「手放す」気持ちすらなくなったら新しい扉が勝手に開く | ありがとうございました

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先日、「猫なんかよんでもこない」という映画を見てきました。猫好きの夫がネットでタイトルを見つけて「見に行こう!」と。ジャケ買いならぬタイトル行きあせる

マンガで評判になってアニメ化され、今回実写化されたようです。

猫と暮らしているぐらいだから抵抗もなく、でも大した期待もなしで見に行ったのですが、私の中ではヒット作になりました。

猫は可愛かったし、猫が苦手という主人公が押し付けられて悪戦苦闘しながら変わっていく様子もよかったのだけど、一番印象に残ったのはラストシーンで。

細かなストーリーは省きますが(気になる人はググってね)、諦めるしかなかった夢を別の形で追っているときは結果が出なかったのに、諦めるのを終わりにしたら何でか知らん、世界が向こうからやってきて。

あれだけ必死で追いかけて、ひたすら待ち続けていたときにはまったく鳴らなかった電話が、

その日であることすら忘れて、
猫と一緒に、柔らかな日差しと心地よい風につつまれて、
気持ちよくまどろんでいるときに鳴り始めて。

一回…二回…三回…。

主人公は気付かない。
一緒に寝ている猫も気付かない。

四回…五回…六回…

留守電のメッセージが流れ、
電話の向こうから声が流れ始め…




「これでダメならもうやめようと思っていた」

こんなセリフを何度か聞いたことがあります。

あるいは、もういい、やめだ!と心の底から思ったときに扉が開いたみたいな話し。

このラストシーンもそうだったけれど、手放すことすらやめた時に新たな扉が開くのかもしれないなあと思います。



でもね。
「新たな扉を開けたいから手放そう」とすると何も変わらないんだな、これが。きっと。


手放すことすらやめるようになるには、
やはりちゃんとしっかりしがみついて、
執着して、

手放そう、
手放すぞ、
よし、手放したぞ!
と勘違いして、

あ"~!!!
私ってやっぱりダメだーーーーっ!!!
バカバカバカバカバカっ!!!!!!

となる時期も絶対に必要なんですよね。

この映画の主人公もそんな経験をして手痛い代償を払ったからこそ、
おだやかな午後のひとときと、新しい世界からのメッセージを受け取れたんだなと。


なのでね。

もし、しがみついて苦しんでることがあったら、

それ、大丈夫だから。

今は苦しくても、大丈夫だから。

絶対、絶対に大丈夫だから。

ね?