「かよ子さんはもう頑張らなくてもいいと思います」
そう言ってもらって涙が出そうになりました。
心に沁みました。
同時に。
人の言葉を拠り所にしかできないなんて、何てダメな人間だ!
と自分を責める自分もいます。
自分のことは自分で。
自分のケアは自分にしかできないのだから、人に甘えてはダメだ。
人に言われてホッとしたり(魂が喜ぶ種類の)涙が出るようではまだまだダメだ。
なってない!
もっとちゃんとしっかりしろ!
それでもお前は人の心を扱う人間か!?
自分を自分で支えられないような人間が、人の役立てるわけがないだろう!!
と、こんな感じ。
人が人に頼るのはOK。
でも私は人に甘えたり頼ったりしてはいけない。
何でも自分でできないとダメ。
できるようにならないとダメ。
したり顔でそう言う自分がいる。
はぁぁぁ…
今も巣食っているこの思い込み。
(あ!ずっと働いてきたのもこれかな?)
せっかく魂が緩んだのに、もっと自分に素直になろうぜ、自分!
と叱咤激励。
「嫌われる勇気」のアドラーは言います。すべての感情には目的がある、と。
で、上の思い込みにしがみつきたがっている理由も何となくわかっています。
だって…、その方がカッコイイもん!
何でもテキパキこなせて、どんな状況にもビクともせず、誰にも頼らずにいつも的確な判断で人を引っ張っていく孤高のリーダー。
あるいは、家族のどんな苦境にも常に明るく前向きに振る舞って夫や子どもたちを励ましながら状況を切り開いていける女性。(←弱音とは無縁の世界にいる前提)
たとえリーダーでなくても、たとえ母親でなくても、そんな姿勢のワタシ、カッコイイ! なんですね。
一方で長女あるあるに苦しみ、他方では歯を食いしばって頑張るワタシってカッコイイ!なんて、結局苦しみから逃げられないことが自分のメリットになっている。
だから自分を苦しめる思い込みにしがみつくんだなあ。
人の力を借りなければ腑に落とせなませんでした。
人の力を借りなければわからないようではダメ(※ただし私に限る)と決めていたけれど、ダメ人間でもいい。どうせバレてるし。
そしてどうせ私は素晴らしいしね。