私たちの世代にとって田中角栄は圧倒的な存在だ。たたき上げで土建屋社長から政治家になり、1972年に総理大臣になったことから、「今太閤」と呼ばれた(太閤は豊臣秀吉のこと)。聞くところによると、私より上の世代だと、子供向け雑誌に田中角栄の伝記が掲載され、彼の講話を録音した子供向けレコードまで発売されたそうだ。老若男女が熱狂した。
そんな絶頂にあった彼も、1976年に起こったロッキード事件で逮捕され、もともと「金権体質」を批判されていたこととも相まって、徐々に権力基盤を失い、ついに病に倒れて権力者の座から滑り落ち、失意のうちに亡くなる。
蛇足だろうが、ロッキード事件とは、全日空の飛行機購入に際して、アメリカの航空会社から多くの権力者にお金がわたったとされる収賄事件である。その過程で、田中角栄も5億円を受け取ったと認定された。
大学生のときに、ロッキード事件について少し時間をかけて調べたことがある。この事件には1つだけ奇妙な点があった。それは、証拠がアメリカ側からどんどん出てきて、日本側でもその証拠に従って証言が出ているのだが、田中のもらった5億円についての日本側の証拠がついぞ出てこなかったことだ。
つまり、収賄の具体的な証拠なしで、証言だけで逮捕されたのである。
あとで知ったのだが、田中角栄については当時から冤罪説があり、ジャーナリストの田原総一朗さんも冤罪である前提で、のちにロッキード事件の本を出版している(未読)。
私は大学生で政治学を専攻していたのだが、アメリカがロッキード事件前の頃の政権(つまり田中角栄首相)を警戒していたのではないかと思わせる資料があった。そこで、ロッキード事件が思ったより、アメリカの思惑で動いていたのかもしれないと直感した。
彼は内政についても外交についても卓越した政治ビジョンを持っていた希有な政治家だ。ここでは外交だけで、内政については触れない。地方空港・新幹線・高速道路など多くのことが今も残っているので、その力量は推し量れる。
彼の外交理念はエネルギーの確保を出発点にしていた。現実問題としても、日本経済の生命線はエネルギーと資源の安定確保にある。中東戦争で起こったオイルショックもそうだが、そもそも日本が第二次世界大戦でアメリカに宣戦布告したのは列強に石油を止められたからだ(「軍国主義」のせいだと思った人は、戦後のGHQの洗脳プログラムで日本人が「戦争のすべては日本人の軍国主義が悪い」と考えように仕組まれていることをいちおうお伝えしておく。70年経ってもそう思えたとしたら、勉強のできる素直な人だからだろう)。
ホルムズ海峡、インド洋、マラッカ海峡、南シナ海、これらのどこかでタンカーが止められれば、日本経済はあっという間に干上がる。だから、戦前も戦後も、中東からの石油の通り道であるシーレーンの安全に確保することは、富国強兵を成し遂げてからの日本にとって、変わることない最優先にすべき外交政策だ。
日本の石油はアメリカを中心とする欧米の「石油メジャー」と呼ばれる資源会社にコントロールされ、利益を吸い上げられていた。田中角栄は、日本のエネルギー政策を石油メジャー支配から脱却させようとしていた。
だからこそ、いち早く中国と国交を結んだわけである。ただし、私の考えが一般的な考えと違っている可能性があるので、説明しておきたい。
「中国との友好関係」→「アメリカのエネルギー支配から脱却」ともちろんダイレクトに進むわけではない。そのあいだを埋めるものとして、当時のジャーナリストは、日中友好を契機に田中が中国の石油開発に乗り出したいと考えていたと解釈したようだ。
だが、私には受け入れたがたかった。当時、中国の人口はすでに10億人を突破しており、順調に経済発展すれば、中国で産出される石油が日本まで回ってくる可能性はないからだ。中国との友好がエネルギー確保に重要なのは、1つにはもちろん南シナ海を安全に通るためだが、もう1つあると考える。ただし、「自分が田中角栄なら」と想像したときに浮かんだ、単なる憶測である。
それは、日本が中国と共同して、中東の石油開発をおこなうことだ。
地図を見ていないと見落としがちだが、中東は中国の隣にあり、太古にはシルクロードで結ばれていた(そもそも石油の出るウイグル自治区に住むウイグル人はイスラム教徒で、石油ほしさに力づくで支配している)。日本の技術力と中国の地理的条件がそろえば、メジャーを出し抜くのは可能である。もしそうであれば、アメリカが田中角栄という希代の政治家を相当に警戒したはずである。
しかし、この憶測の証拠はない。もしそんなことを表だって言えば、アメリカに葬られるのは火を見るよりも明らかだ。だから、もし当たっていたとしても、証拠がなくても当然だ。
アメリカは田中角栄を徹底的に分析した。彼の弱点は何か。それは彼が金権体質にあることだ。最近、『天才』という田中角栄の小説を書いた石原慎太郎氏も、若いときから田中角栄の金権政治を徹底的に批判している。金権体質が法律違反という形で表に出れば、反対派とマスコミが勢いづいて、彼を失脚させるのはじゅうぶんに可能だった。
私がここで問いたいのはロッキード事件で田中が冤罪かどうかではなく、彼の「金権政治」のほうだ。
石原慎太郎氏の新作小説『天才』を読んで私が感じたのは、本質的な違和感だった。
この小説は田中角栄が「俺」という一人称で登場し、新潟の幼少期から政治家として栄華を極めて失脚するまでを追っている。『天才』に描かれている田中角栄は、私が思い描いていた人物より独善的で、金に対する執着を感じた。違和感の主な原因はおそらくそこだろう。
田中角栄と石原慎太郎の最大の違いは学歴だ。石原氏は裕福な家庭で生まれ、教育環境も良く、湘南高校と一橋大学を出た芥川賞作家だ。かたや、田中角栄は高等小学校(今で言えば中学校)しか出ておらず、時代に違いはあるが、それでも大きな差があると言うべきだ。
もちろん学歴と能力に相関関係はない。ただ、日本は歴然とした学歴社会であり、学歴のある者がエリート社会での競争に参加できる。いくら能力があって、中卒で参加するのは事実上、不可能なはずだった。
その不可能を可能にした例外中の例外が田中角栄だ。彼は突出した思考力と行動力と人間的魅力で、トップエリートたちを次々に籠絡した。ただし、その源泉となったのは彼が集めて配った金だった。
田中角栄は「人は金で動く」ということを新潟の貧しい家庭で身を以て知り、その人間の性を存分に利用することで、学歴社会という大きな壁を突破し、日本のトップに君臨した。そして、自分の理想を次々と実現していった。彼は生きた金を使う天才だった。
「金権体質はおかしい」と言うが、では、彼のように能力があるが学歴のない者が、この日本でどうやって学歴エリートに対抗すればいいのか。よく「古い金権政治」とか「古い金権体質」という言い方をするが、私はおかしいと思う。金権政治は田中角栄がそのたぐいまれなる能力で自分の理想を実現するために、学歴社会を突破しようと打ち立てた戦略に過ぎない。
だから、金権政治は学歴社会のアンチテーゼだ。古いも新しいもない。もし、金権政治が悪であるなら、悪に対抗するための悪でしかない。
金権政治が捨て去るべき古いものだと言うなら、学歴社会だって捨て去るべき古いものであるはずだ。ただ、多くの政治家も、すべての官僚もマスコミもみんな高学歴だから、金権政治の古さしか見えない。金権政治が汚いのなら、学歴社会だって汚い。
学歴はその人物がたくさん持つ属性の1つに過ぎない。それなのに、いつのまにか社会階層を形作る土台になり、学歴を排除するための既得権益になっている。学歴社会とは、学歴というその人の属性の1つに過ぎないものが、あるレベルの社会参加の「入場券」にまで格上げになった社会のことだ。いわば学歴が身分になっている社会のことだ。
田中角栄の偉大さは、トップに這い上がるときに最大の壁となっていた学歴社会を、田中の側からは否定しなかったことにある。彼は学歴社会のメリットを知り認め、それはそれとして自分の理想を実現するにはどうすればいいかを考えた。すべてにきれいごとを言わずに、汚れた社会で汚れたままで格闘しようとした。
その結果、彼は金という道具を選択した。金は彼にとって目的ではなく道具だ。能力は誰よりもあったのだから、トップに立てばよかったのである。
彼は自分の側からは障害となることを否定せず、相手の批判は否定せず受け流した。それは田中角栄というあらゆる壁をたぐいまれなる頭脳と行動で克服し、相手の多くを求めない器の大きさがあったからだろう。
多くの人は金権政治を「壊すべき古いもの」として徹底的に叩いたが、結局それは、学歴エリートたちが既得権益が守るためだったにほかならない。ロッキード事件は学歴社会を乗り越えた大人物の偉大な轍を、再び見えなくしたのである。
『天才』は学歴エリートの書いた小説で、そこで出てくる「俺」は石原慎太郎その人である。石原慎太郎氏が今さら田中角栄を描いたのは、同じアメリカから恐れられて疎まれた者への共感と同情があったのではないかと想像している(蛇足ながら、「石原(完爾)」という名前に反応するアメリカ人はいまだにいる)。だが、石原氏は自分が当たり前に持っている学歴という既得権益に気づかず、その部分で田中角栄の偉大さを表現できる「もう片方」が見えない。
田中角栄の描いた理想は日本の国益を叶い現代にも通用する先見性があった。だから、彼を「天才政治家」としてもいいのだが、それだとこぼれ落ちるものがある。彼の「天才」はむしろ弱者への共感、あるいは人間の弱さがわかる能力、それをいたわる力にあったと思う。だからこそ多くの人が慕い、まただからこそ国を動かすほどの効果的な金の使い方が理解できたのだろう。
田中角栄は「人間の弱さがわかる」という能力に卓越していた。
田中角栄は最後に破れたが、彼の敵となった石原慎太郎氏をはじめとする政治家も、検察やマスコミも、立花隆氏をはじめとするジャーナリストも、田中角栄批判のために新潟三区に立候補した野坂昭如氏をはじめとする反金権派文化人も、みんな高学歴のエリートたちだ。
彼らは自意識では巨悪に立ち向かっているつもりだった。だが私から見れば、学歴社会の高学歴者という高見から、学歴のない天才政治家の戦いを無視してきれいごとを言っていたようにしか見えない。
「田中角栄なんて所詮は金の亡者だろう」としか思えないのなら、あなた自身の金へ執着がそう思わせているのかもしれない。どんな人も対象を自分の器の範囲でしか見ることができないし、卑しい人は相手の卑しいところしか見えないものだ。


Image(s): FreeDigitalPhotos.net
【翻訳書のご紹介】
『世界のトップエリートが絶対に妥協しない小さな習慣』(大和書房)を出版いたしました。ウォール街のトップエリート女性が書いた、「どうやったら目標を100%成功させて、人生を大きく好転させるか」を解説した本です。多くの人に役立ちすばらしい本ですので、ぜひご一読ください。くわしい内容については→こちらまで。
「田中角栄なんて所詮は金の亡者だろう」としか思えないのなら、あなた自身の金へ執着がそう思わせているのかもしれない。どんな人も対象を自分の器の範囲でしか見ることができないし、卑しい人は相手の卑しいところしか見えないものだ。

Image(s): FreeDigitalPhotos.net
【翻訳書のご紹介】
『世界のトップエリートが絶対に妥協しない小さな習慣』(大和書房)を出版いたしました。ウォール街のトップエリート女性が書いた、「どうやったら目標を100%成功させて、人生を大きく好転させるか」を解説した本です。多くの人に役立ちすばらしい本ですので、ぜひご一読ください。くわしい内容については→こちらまで。





