かいつまんで言うと、ある本に載っていた「夜ふけて郊外の住宅地に帰る人々の悩みは、最終バスはすでに出てしまっており、タクシーはなかなか来ないということである」という和文を、その本では「このまま訳すと英語の論理としておかしい」と書いてあったが、納得できない、そのまま訳せばいいのではないか、というものだった。
その本では、最終バスが出ているかどうかは郊外に住んでいるかどうかとは関係がないので、駅から近いか遠いかについて言及すべきだと指摘されていたそうだ。質問者の理解では、都心に住んでいれば「最終バスを逃す」という状況はないはずとのことだった。
その本は大学入試用のものではなく、英語のできる一般学習者に向けたもののようである。受験生なのに、あえてそういったレベルの高い本に取り組もうとするところはすばらしいと思う。
では、「夜ふけて郊外の住宅地に帰る人々の悩みは、最終バスはすでに出てしまっており、タクシーはなかなか来ないということである」を私なりに英訳してみる。以下が拙訳。
Many people living in the suburbs have the following problem. If they miss the last bus late at night, it is not easy for them to get a taxi.
こうやって英語してみると、たしかに前半と後半の因果関係に整合性がないように感じる。前半の「郊外に住む」と、後半の「最終バスを逃すと、タクシーが捕まりにくい」があまり関連してない。
なぜこんなことが起こるかと言えば、日本語にある「暗黙の前提」が英語ではなくなってしまうからだろう。
では、「暗黙の前提」とは何か? それは端的に言えば「日本の一般的な都市通勤のしくみ」である。
いきなりそこに行く前に、話は少しだけそれる。
大学生のときのある夏に、アメリカのロサンゼルスに一人旅をしたことがある。夏の暑さもあったのだろうが、ロスの都心はあまり人が歩いておらず、ほとんどの人が車で移動していた。
その都心を歩く数少ない歩行者も、ほとんどが車から降りてきた人か、中心街近くのスラムに住む人たちだった(少し歩くだけで何人もの物乞いにあった。安全面でも歩くのはよくないのだろう)。
ロサンゼルスという都市は、基本的に市民が自家用車で移動することを前提にしている。そのため、道路や駐車場が充実しているが、都心に行くほど空気が悪く、都心にはスラム地域や移民地域が多い。
反対に、高級住宅街は都心からある程度離れたところにある。
ひるがえって東京は、自家用車の移動を前提としておらず、鉄道や地下鉄などの電車網が発達している。都心であってもさほど空気が悪いわけではなく、環境は幹線道路に近いかどうかのほうが大きい。そのため、都心に行けば行くほど大企業が多くなり、地価も高くなる。
ロスの場合、スラム地域の多い都心より、高級住宅街を含む郊外の地価のほうが高くなる傾向があり、日本のように都心に近くなるほど地価が高くなるのとは対照的である。
つまり、「都市と郊外」と言っても、東京型(=電車通勤)とロス型(=自動車通勤)の2つの型があることになる(もちろん、その折衷型も、それ以外の型もあるだろうが、話を単純化するために捨象)。
「郊外の住宅地に帰る人々の悩みは」「タクシーがなかなか来ないこと」を見れば、多くの日本人は都心から1時間以上かかる郊外の駅やタクシー乗り場の行列が思い浮かぶだろうが、アメリカ人だったら必ずしもそうではない。
これはあくまで東京などの郊外に住み、「自宅→バス→駅→電車→都心の会社」のパターンで通勤している人に当てはまる。そのまま英訳したものは駅であることすら明示されておらず、自家用車で会社に行くのが当然だと考えているだろう多くのロスの人たちに、この内容は理解できなくても不自然なことではない。
だから、この日本語文から読み取れる「郊外の住宅地に帰る人々の悩み」があくまで東京型の人の悩みであり、日本人が読めばおおかた理解できるもののが、ロス型の都市をイメージする人は論理がつながっていないと感じても当然だろう。読み手がアメリカ人であれば、「このまま訳すと英語の論理としておかしい」という指摘は妥当だろう。
意味が通る英文にしたければ、日本の通勤や近郊の事情を先に説明して、日本に限定した話だと示さざるをえない。さすがにそれでは長すぎるということであれば、Many people living in the suburbsをMany people living far from the stationなどにして、「東京型郊外」という概念を捨ててなるべく一般的な描写になるように工夫するしかない(なお、the station はstations near their placesを抽象的に述べたもの)。
日本語を英訳するときには、こういった文化背景の問題に当たってしまうことが多い。英文和訳だと日本人の立場で考えるのでさほど大きな誤解まで至らないにしても、和文英訳だと英語話者の立場を慮らねばならず、そのぶんハードルが高くなる。
日本人が英語で日本人に何かを伝えるというのは特殊ケースになるので、やはり基本的に外国人と考えなければならない。また英語学習者が基準とするとはアメリカ人かイギリス人の使う英語であるので、やはり両者(あるいはどちらか)の考え方を土台にせざるをえない。
その点を考慮すれば、受験の段階で英語そのものでなく文化背景に関わる細かいことまで突っ込むより、まずは単語と文法を適切に使えることを目指したほうがいいだろう。実際、大学受験でこう訳すと、誤訳にとられる可能性が高いので、やはり最初のほうが無難ということになる可能性もある(入試英作文の採点事情を知らない私には、このあたりは何とも言いがたいが)。
この日本語文の引用先が大学入試問題かどうかはわからないが、いずれにせよ、一般的に大学受験の場合、こういったあまり適切でない問題は出されている。優秀な受験生ほど、本筋とは関係ないこういった悩みは出てくると思う。
数年前に、英作文指導のプロである米山達郎氏にそのことを尋ねたことがあるのだが、「本当に優秀な受験生には、直前期のアドバイスとして、本番では自分のレベルを少し落としてできるだけ出題に合わせるように指導する」とのことだった。信じられない方もいるかもしれないが、できる受験生になるとそんなものらしい。
そう考えると、入試の出題を担当する方は、できれば「和文和訳」を少し施して、なるべくそのまま訳しても違和感のない問題にすれば、そういった「できる学生」もとりやすくなるのではないだろうか。実際、質問者のように、和文英訳の「次」を目指す受験生も実在するわけなので。

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