クリエイティブはどこにある? | 真面目に脱線話@リンガランド英語塾

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英語や芸能など、思いついたことを適当に書いていくという、そういうブログです。

こんなことに関心を持つ人がいるのかどうかわかりませんが、きわめて個人的な関心から、1つ記事を取り上げることにしました。予めお断りしておくと、私は面白かったのですが、大多数の方にはどうでもいい内容かもしれません。



また勝手な読み方で、必要な知識が欠けているかもしれませんが、個人ブログの強みを生かして、勝手な解釈で読んでいきます。



タイトルはMaslow on Creativity(クリエイティビティにおけるマズロー)で、Wisdom or wishy-wash?(智恵かごまかしか)というちょっと不思議なサブタイトルがついています。筆者は多数の著書のあるブラウン大学心理学科教授のJoachim I. Krueger博士です(→外部記事リンク)。



wishy-washyはスープなどが「薄い」ことから派生して、「気が抜けている」「中身がない」「女々しい」などの意味で使われる慣用表現です。タイトルではwishy-washとyがとってあるので、その名詞形だと考えていいでしょう。



表題になっているMaslowは、アメリカの心理学者で、クリエイティビティ研究の源流を作ったアブラハム・マズローです。有名なピラミッド状の階層図を作っていて、学校でも取り上げられることがあるのでご存じの方もいらっしゃることでしょう。



心理学はワトソンによる行動主義と、フロイトによる精神分析の大きく2つの流れがあります。行動主義は内面心理を捨象して、おもに観察から人間心理は科学的に分析しようという考え方です。



精神分析のほうはフロイトがその始祖にして代表的人格です。ご存じのように、乳幼児期などに抑圧した無意識が人間行動に大きく影響するとする考え方です。こちらは、意識プラス意志を超えた無意識で人間は行動パターンを築くものだという、内面から分析をしています。



このどちらにも異を唱え、第三の道を提唱したのがマズローです。彼は人間の意志の力を積極的に評価して、人間は自己実現を目指す創造的存在であると考えました。ワトソンは人間を機械論的に、フロイトは人間を生まれつきの精神症だと見るのですが、マズローはもっと前向きにとらえて、いまだに大きな影響を与えています。



いわゆる「ポジティブ・シンキング」と相性がいいからでしょう。


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ちなみに、私はフロイトを尊敬していますが、ブログで書いているのはなぜかマズロー的なことばかりです。理由はよくわかりませんが、単に暗いのが嫌なのか。



「何がフロイトで、何がマズローなんだ!」と思った方は、「成功するにはセルフイメージを高めよう」というフレーズに共感したらマズロー的、「ただでさえ無駄に高いセルフイメージをもっと高めたら、ますます鼻持ちならない人間になるだろ」と思ったらフロイト的みたいに考えると、すごく乱暴ですが当たらずとも遠からずくらいにはなるかもしれません。



マズローについてはもっと評価されても良いと思っている人はけっこういます。筆者がその代表で、その思いの丈がここで綴られています。



Krueger博士は最初にマズローの言葉を引用します。



A first-rate soup is more creative than a second-rate painting.

「最高のスープは二流の絵画よりクリエイティブである」



含蓄のありそうな言葉ですが、筆者はなぜこの言葉を引用したのでしょうか。



それは後回しにして、冒頭の段落から。



Abraham Maslow was one of the great humanists in psychology. He helped establish a third theoretical force at a time when the mechanistic paradigms of behaviorism and psychoanalysis set the tone. Maslow's influence on academic psychology may have receded, but his legacy in applied organizational psychology and MBA programs remains strong. Maslowians know that Taylor-style 'scientific management' does not do justice to the potential of working humans. It does not, for example, tap their creative potential. Maslow's signature achievement was his hierarchical theory of motivation (1943). High school students and corporate suits are familiar with his pyramid of needs, which graphically shows that humans care about excretion before they care about self-actualization. Scholars have claimed that Maslow's pyramid has too many problems to be useful, but recently Douglas Kenrick and colleagues have restored the noble edifice to new glory.

「アブラハム・マズローは人間性心理学の偉大なヒューマニストである。彼は行動主義や精神分析学の機械論的な枠組みの優勢な空気の中で、第三の理論を確立するのに貢献した。アカデミックな心理学へのマズローの影響は後退してしまったかもしれないが、応用心理学やMBAプログラムにおける影響はいまだに根強い。マズロー主義者はテイラー的な「科学的管理法」が、労働者の能力を公正に扱っていないことを知っている。たとえば、それは労働者のクリエイティブな能力を検討していない。マズローの代表的な業績に1943年に発表した要求のピラミッドがある。今の高校生や起業の管理職は欲求のピラミッドに精通しているが、それは人間が自己実現の欲求より生理的欲求のほうを優先していることを図示したものである。科学者によれば、マズローのピラミッドは問題が多すぎて役に立たないらしいが、最近はダグラス・ケンリックのグループがこの壮大な建築を改良して新たな価値を与えている」



後半に書かれていることは「マズローのピラミッド」を見れば一目瞭然ですが、版権フリーの図が見つからなかったので、リンク先をご覧ください(→外部リンク)。高校生のときなどに保健体育や倫理社会の資料などで見たことがある方もいらっしゃるでしょう。



テイラーは大学の経営学で習った覚えがありますが、内容は失念しました。労働に基準や目標を持ち込んだ学者で、当時「ドラッガーの基本のところを作った人」というイメージを持ったことはなんとなく覚えています。



では、次。



Self-actualization sits at the pinnacle of Maslow's pyramid. Self-actualization is the kind of concept that drives the Aristotelian mind mad (i.e., a mind that thinks by categorizing and removing contradictions) because it involves both the notion of child-like spontaneity and the notion of progressive development. To Maslow, this was not a problem because he "was forced by sheer pressure of fact to give up this Aristotelian style of logic." Or perhaps he just enjoyed making Aristotelians squirm.

「自己実現はマズローのピラミッドの先端にある。自己実現はアリストテレス的な思考(たとえば、カテゴリー化と矛楯を排除するような思考)をかき乱すようなコンセプトだ。なぜなら、それは幼稚な自立性の認識と進行する発達の認識の両方を含んでいるからだ。これがマズローには問題にならないのは、彼が「アリストテレス的なロジックを放棄するために、現実にある激しい重圧に突き動かされた」からである。あるいは、単にアリストテレス主義者が嫌がるのを楽しんでいただけかもしれない」



自己実現とは、簡単に言えば「なりたい自分になること」です。心理学者としてはこれほど前向きなことを断言できた人は珍しいので、専門家以外からも評価されているんだろうと思います。



筆者は、ここからアリストテレスをマズローの仮想敵とします。この古代ギリシャの大哲学者の思想の何を仮想的にしているのか筆者は書いていません。どうやら「常識」らしいので書いていないようです。ギリシャ哲学に詳しくないので自信がないのですが、おそらく「政治的動物としての人間」のことではないでしょうか。



「人間は政治的動物であり、神のように自足・自立することはできない。共同が必須であって、そこに政治が生まれる」といったような考え方です(たぶん)。


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Creativity (or, as Maslow says, "creativeness") is a facet of self-actualization, as described in his 1968 essay. Here, Maslow breaks with the tradition of defining creativity in terms of its products. Most scholars (still) assume that creativity is the process that results in something novel and useful. In contrast, Maslow observes that there is no correlation (in his experience) between psychological health and productive achievement. Instead, there is a correlation between psychological health and ordinary creativity. Indeed, this must be so because Maslow defines creativity in characterological terms, with cheerfulness and openness to new experience being part of the mix. To Maslow, creative people are like happy and secure children. When the emperor is naked, they blurt out what they see, namely "the fresh, the raw, the concrete, the idiographic [. . .] they do not cling to the familiar, nor is their quest for the truth a catastrophic need for certainty, safety, definiteness, and order." To Maslow, society is the great inhibitor, alienating the person from herself. Creative individuals overcome this inhibition or never succumb to it. "They are less enculturated, less afraid of what others might say, less afraid of their own impulses, more self-accepting. Less controlled, less inhibited, less planned, less "willed." Nutty, silly, crazy."

「1968年の小論で述べたように、(マズローがクリエイティブネスと呼んだ)クリエイティビティは、自己実現の一断片である。そこでマズローは創作の観点からクリエイティビティを定義する伝統を捨象している。クリエイティビティがそれまでにない役に立つものを生み出すプロセスだと考えている学者が(いまだに)多い。マズローが主張したことは、それとは逆に(彼自身の経験上)健全なる精神と創作することのあいだに関連がないということである。それどころか、新しい経験に対して、喜びと開放の両者が混じった状態の一部である一方で、マズローが性格研究の観点からクリエイティビティを定義したからこそ、これが言えなければならないのだ。マズローにとって、クリエイティブな人とは幸せで不安などない子どものような人物のことである。王様が裸であるとき、見たものを見たまま叫ぶように、彼らは「若々しく、すれておらず、理屈屋でなく、率直な人たちである。(中略)熟知したことにこだわらず、真実を追求することが、確実で安全で決まっていて秩序だったものを破滅的に必要とするものでもない」。マズローにとって、社会は人間を本当の自分から引きはがす強大な壁である。クリエイティブな個人は、この壁を乗り越え、あるいは挫折することがない。「彼らは文化に毒されておらず、他人の言を意に介さず、自分の欲望を恐れず、自己肯定的である。人にコントロールされず、計画性もなく、「意志」もない。いかれていて、阿呆で、壊れている」



クリエイティビティというと、芸術家など「創作する人」をまっさきに思いつきますが、マズローはそんなものは関係ないと言い切ります。筆者によれば、マズローにおけるクリエイティブである状態とは、野蛮な子どものままでいることです。


Yet, Maslow seems dissatisfied with this analysis, and loses his nerve. He teeters and Aristotle's gravitational field sucks him back in. Creative people, he now adds, also see "the generic, the abstract, the rubricized, the categorized and the classified." There are thus two types of creativity: the raw or primary type of creativity and the secondary or ordered type of creativity. This distinction itself is an Aristotelian one.

「しかし、マズローはこの分析に不満を爆発させ、ゆらゆらゆれて、アリストテレスの磁場に引き込まれてしまうだろう。クリエイティブな人々は同時に「包括的、抽象的、規範的、範疇的、分類的な人々」に見えると、彼なら言い返す。だから、クリエイティビティには2種類ある。荒削りで原始的なタイプのクリエイティビティと、加工した、あるいは秩序だったクリエイティビティだ。この区別自体、アリストテレス主義と同じものだ」



ちょっとへんてこな印象を与える展開ですが、この筆者の定義にマズローは「私の言っているのはアリストテレスの言う政治的動物のことだ」と反論するだろうと述べています。そして、どのどちらも「正解」だというわけです。ただ、そうなるとアリストテレスと同じになってしまうけど、とつけ足して、「結局なんなんだ」という気持ちにさせられます。



Sensing he is about to get stuck, Maslow presses on. He suggests that real creativity (meta-creativity?) is found in the will and ability to overcome dichotomies (and thereby Aristotle) and integrate the primary with the secondary process. Ultimately, creativity is "constructive, synthesizing, unifying, and integrative [and in that sense it is] part of the inner integration of the person." Thus defined and elevated, creativity anticlimactically turns out to be "an epiphenomenon of the greater wholeness and integration, which is what self-acceptance implies."

「自分が泥沼に入ろうしていると感じても、マズローは強行する。真のクリエイティビティ(あるいは、メタ・クリエイティビティ?)とは、二分法に(つまりアリストテレスに)打ち勝って野蛮なものを二次的過程に統合する意志と力の中に見いだされる。クリエイティビティは究極的には「建設的、統合的、統一的、総合的、(そしてそういった意味で)人の内面の統合の一部」である。それゆえ、クリエイティビティは明確化と昇華によって、「自己受容に含まれる、それより大きな全体と統合からの付随する現象」にすぎないとわかる」



ここはすごく難解でわかったような、わからないような気分になります。・・・とも言っていられないので考察すると、野蛮か創造かの二者択一ではなく、それを乗り越えようとする意志や力に真のクリエイティビティがあると述べています。そして、創造して、その創造をした自分をありのままに受け入れて、出来上がったものから、クリエイティビティが取り出せるといったことだろうと思います。



ひらたく言えば、とりあえず何か作って、完成した物から「ああ、これが自分か」とわかったら、結果的にそれがクリエイティブである状態と言いたいのでしょう。


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Maslow's ideas work themselves best into our minds if we set (Aristotelian) criticism aside. If we did not, we might notice, for example, that his theory of creativity-as-self-actualization contradicts his pyramid theory of motivation. According to the pyramid theory, we can move up into the thin air or self-actualization only after the lower needs have been fulfilled. Among those are social needs of finding respect and approval. According to the creativity theory, we no longer care (or have never cared) about social approval when in the creative zone.

「マズローのアイデアが私たちの心で最もよく機能するのは、(アリストテレス的な)批判を棚上げにするときである。仮に棚上げにしなければ、たとえば、彼による自己実現としてのクリエイティビティ論が、彼による要求のピラミッドと矛楯することに気づくのではないか。このピラミッド論によれば、私たちがピラミッドを登るって空気の薄い層か、自己実現のところに突入するには、下位の要求を満たしたあとでなければならない。その中にあるのは、尊敬や賛同を得るという社会的要求である。彼のクリエイティビティ論によれば、クリエイティブな層にいるときには、社会的に賛同されることに全く関心がない(か、一度も関心を持ったことがない)」



人間はアリストテレスの言う政治的動物であるけれども、そのことは忘れないとマズローの考えがわからないといったことです。なぜなら、上で見たピラミッドを見てわかるように、「自己実現への欲求」は「他人から認めてもらいたいという欲求」より上位だからです。



クリエイティブな状態=自己実現への欲求が満たされるときならば、クリエイティブな活動をおこなっているときに、他人の目など気になるはずはない、という理屈です(「無我の境地」という表現に当たるんじゃないかと思います)。



Maslow's theory of creativeness is a creative achievement. It is "nutty, silly, crazy;" it flaunts convention, and it pisses at the pedestal of Aristotle. But it also teaches us to look for creativity in new places.

「マズローのクリエイティブネス理論はクリエイティブな業績である。それは「いかれていて、阿呆で、壊れて」おり、伝統をおちょくり、アリストテレスの胸像におしっこをする。でも、それはまた新たな場におけるクリエイティビティの見つけ方を教えてくれる」



結局、何がクリエイティブかといえば、マズローの考え方がまさにそうじゃないか、と言うわけです。何しろあの大哲学者すらないがしろにして、まさに「自分のやりたいことをやって、自分を見つける」という、他人を介さない境地だからです。



なんだかすっきりしない終わり方ですが(このあとにアメリカへのシリア軍事介入批判がありますが、流れと関係ないので捨象します)、かくのごとく、マズローが一部の人たちに深く愛されていることがわかればいいんじゃなかというのがとりあえずの私の結論です。



西洋思想を批判しようとして東洋思想に突入しかけるけれど、筆者は西洋思想側の人間なので、やっぱり元に戻っちゃったといった印象です。「神」を引きずらざるをえない西洋思想の人たちは、かくのごとく神という前提で、言葉を使って格闘し続ける運命にあります。



ところで最初の言葉ですが、おそらく「ほかの誰かも描けるようなほどほどにうまい絵」より、「自分以外に誰も作れないおいしいスープ」のほうがクリエイティブだという考え方でしょう。「そりゃそうだろ」と私たちは思いますが、日常に組み込まれた料理を絵画と一緒にすることは、西洋思想的にいる人たちには過激きわまりないことなのでしょう。



ついでに、Wisdom or wishy-washというタイトルはwishy-washをスープとかけて、マズローのクリエイティビティ論が、絵画のような先人の蓄積した智恵ではなく、その場で最高の物を作ろうというスープだということを暗示したいんじゃないかと思います。



こういうことは外から見ると面白いけれども、疲れそうだから参加はしたくないなあというのが私の感想です。こういうのが文化の違いなんでしょう。




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