言うまでもなく、斎藤投手は早稲田実業高校のエースとして、2006年夏の甲子園の優勝投手になっている。とくに決勝戦では、日大苫小牧高校の田中将大投手と延長15回まで投げ合うが勝負がつかず、再試合で優勝を決めるという名勝負を繰り広げている。
ところで、夏の甲子園の優勝投手に、その後、プロで大成した投手が少ないという事実をご存じだろうか。
斎藤投手の前は、横浜高校の松坂大輔投手までさかのぼる。その前というと、なんとPL学園の桑田真澄投手である。
松坂投手の1年後輩に、桐生第一高校のエースとして夏の甲子園を制し、日本ハムファイターズに1999年に入団した正田樹投手がいるが、正田投手も2002年に新人王を獲得する活躍を見せながら、翌年の故障から本来の能力を出せていないままだ。
甲子園の優勝投手なのだから、すべてその世代を代表するような名投手ばかりである。才能豊かで、うまく育成すればチームのエースになれるような素材が目白押しのはずだ。それだけプロの世界が厳しいとも言えるが、それにしても活躍している選手が少なすぎる。
理由は簡単だ。夏の甲子園は、将来のある10代の若者に課すには過酷すぎるのである。
たとえば、斎藤投手は優勝決めるまで4試合を連投で投げきっている。しかも、優勝を左右するかもしれないという大事な試合ばかりだったので、1球も手を抜けるはずがない。
斎藤投手はその後早稲田大学に進学するが、大学時代は150kmあった速球は徐々になりを潜め、140km台まで落ち込んでいる。プロとなった現在はストレートが130km台である場合も珍しくない。
夏の甲子園における連投で肩に爆弾を抱え、その後、それが徐々に破裂し始めていると考えるべきではないだろうか。
松坂大輔投手は圧倒的なスタミナと速球でならす「怪物」であるが、西武ライオンズ時代にいちど大きな故障をしている。
2002年、松坂投手は肘の違和感を訴える。ライオンズはこの年、パリーグを制覇し、日本シリーズではケガから復帰後、二度先発するが、結局、読売ジャイアンツの強力打線に打ち込まれ、2敗するという屈辱を受けている。
翌年から松坂投手は本来の力を発揮し、2003年には16勝をあげている。
このときは、「あの松坂でも故障するのか」と多くの者が驚いた。そう、あの松坂でも、甲子園で酷使されれば、のちに故障の爆弾を抱えるのである。
横浜高校時代の松坂と言えば、何と言っても準決勝、上重聡投手を擁するPL学園との17回の投げ合いを思い出す人が多いだろう。
上重さんは現在、日テレのアナウンサーであるが、将来を嘱望された選手である。だが、立教大学に進学後、肘を故障して野球を捨てている。
地区予選からの勝ち抜き戦である夏の甲子園は、投手の負担があまりにも大きく、おそらく多くの才能の芽を摘んでいる悪魔の大会である。たしかに、それだけに苦しみの中で勝ち取った優勝のうれしさは何者にも代えがたいものだろうが、長い目で選手のことを考えたときに、そこまでやる必要があるのかと私は疑問である。
炎天下での連投のドラマを楽しむために選手を酷使しその将来を奪うことは、たんなる大人のエゴではないのだろうか。
斎藤投手には最近は「さぼり魔」だの「大口」だのネガティブな報道が目立つ。だが、肩に爆弾を抱えた投手が選手寿命を延ばす方法は「投げない」しかないのである。あれほど才能豊かな投手がなぜそこまで追いこまれたかに、もう少し思いを巡らせてもいいはずだ。

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