あらら、みなさんお好きなんですね(笑)。
週末ゆる農民さんの文章には、オヤジらしさを隠さすことなく堂々と「すけべ」を出発点としながらも、読む者をあらぬ方向に流しながら翻弄する知的なエンターテイメント性があります。読ませる文章を書くプロレベルの文章家です。
いや、プロかもしれません。もしかしたら普段は文学作品しか書かない某有名作家が、はけ口だか気晴らしにやっているのではないかと疑っています。
さて、それはそれとして表題のテーマに移りましょう。これです。
高校生のミニスカート。
私が初めてスカートの短い高校生を見たのは大学生のとき、場所は渋谷でした。それまでは今のようなミニスカートをはいた高校生は見たことがありませんでした。
大学時代の2年間、私は渋谷駅から10分ちょっと歩くある喫茶店に通っていました(その喫茶店は今も残っていて、いまだに人気店だそうです)。
店内にはいつもレコードのジャズが流れていました。無口な丸刈りのマスターが入れてくれるローストのきいた苦めのコーヒーを飲んでいると、心から落ち着きます。アルバイト代が入ると11枚つづりの回数券を買って、暇があると通い詰めました。本を読んだり、友達と青臭い議論をしたり、ジャズを聴きながらぼっとしたり。
そこに行く途中に、幼稚園から一貫教育をやっている某大学の前を通ります。当時はその前の道路を横断するのに横断歩道がなく、陸橋を通らなくてなりませんでした。
ある日、いつものように陸橋を上っていると、高等部の学生さんが大挙して陸橋を上ってきました。ちょうど高等部の下校時間とあたったようです。
それを見て私はぎょっとしてしまいました。女子高校生たちのスカートが当時では信じがたいほど短かったからです。
またその陸橋の階段はかなり急勾配です。見たいと思おうが思うまいが、いやおうなく、多くの女性たちの下着が「丸見え」状態です。ちょっとしたカルチャーショックと言ってもいいかもしれません。
当時は「盗撮」なんてなかったのかもしれませんが、それにしてもおおらかな時代だと感心してしまいます。
その光景が頭から離れないまま、私はいつもの喫茶店に入りました。
そんな短いスカートをはく高校生なんて初めてだったので、せっかく持ってきた本を開くのも忘れて、「あの高校の学生は、みんななんであんなに短いのをはいているのだろう?」と考えてこんでしまいました。
ところが、それからしばらくすると、都内の高校生のスカートはどんどん短くなっていき、1年もすると長いスカートのほうが珍しい状態になってしまいました。その広まり方はいま思い返しても不思議なほどで、すさまじい「感染力」を持っていました。
塾で英語講師のアルバイトしていた冬のある日、私は質問に来た生徒さんに「なんでみんな短いスカートをはくんだろうね」と聞いてみました。外はかなり寒いのに、わざわざ吹きさらしになるような格好をすることが、冷え性ぎみな私には少なからず理解しがたかったからです。
たぶん「足が長く見えるから」とか「短いほうがかわいいから」などと答えるだろうなあと予想していました。
ところが、その生徒さんはこう答えました。「私も短いスカートがいいとは思わないんですけど、いま長いのをはくとダサく見えるんで」
意外な答えでした。思わず「なるほど、消去法なんだね」と言うと、なぜか大笑いされてしまいました。
ただ、この答えには腑に落ちることがありました。では、説明を試みてみましょう(やっと本題)。
これは私の持論ですが、日本の若者文化は大きく、サンリオ文化とヤンキー文化に分けられます。サンリオ文化はハロー!キティに代表される幼くてカワイイものを大事にする文化、ヤンキー文化は「不良」を肯定して「健全な不良」「正しい不良」を追求するような文化です。
現在はサンリオ全盛ですが、かつてはヤンキーがサンリオを圧倒しており、高校生のミニスカートが流行し始めた当時は、その過渡期にありました。
当時のドラマや映画を思い起こすと、高校生にとって「ヤンキー」の象徴は長い学ランとロングスカートでした。とくに女性のスカートは靴が隠れそうなくらい長く、それが一種暴力的なファッションの象徴になっていました。
でも、バブル経済がやってくると、東京のヤンキー文化は徐々に駆逐されて、ヤンキー文化が深く根づく千葉や群馬など郊外の一部地域に追いやられていきます(東京ではアメリカンブラックカルチャーに影響されるストリート系に変質したのかもしれません)。
そしてついに、渋谷を中心とする東京はサンリオ的カワイイに支配されてます。キティちゃんの完全勝利です。
好景気というものは、どうやら「カワイイ」を助長するようです。それに従って、それまでは渋谷パルコや渋谷西武などの陰に隠れていた渋谷109が一躍脚光を浴びるようになります。
そのサンリオ的カワイイの象徴が、ヤンキーの長いスカートに対抗する短いスカートです。
ヤンキー文化が都心からおおかた駆逐されると、長いスカートは「ダサい」とさげすまれていきます。この勝負が決すると、渋谷の高校生から始まったミニスカートは、信じがたいスピードで首都圏を席巻していきます。
また、「下着が見えてナンボのもんじゃい」という精神には(なぜか関西弁)ヤンキー的な要素を多分に含んでいます。短いスカートをやがてヤンキー文化も取り込み、サンリオ文化もヤンキー文化もなく、高校生たちのスタンダードとなってしまいます。
私などが見ると渋谷系の「ギャルデコ」など、かつての「トラック野郎」のトラックの華美な装飾を彷彿します。ギャルにもヤンキーの片鱗が多々垣間見えますが、サンリオ文化が主であり、ヤンキーをその下に取り込まれたものであることは間違いないでしょう。
また、その動きと併行して、渋谷系ファッションが世界に拡大していきます。「ミニの制服」はそれを代表する1つの型なので、「日本の高校生のスカートは短くあるべき」というルールは、ほとんどユニバーサル化してしまい、現在に至ります。
男性陣は「スカートは短いほうがいい」とか「ラッキー、パンツ見えた」など、小学生のときと変わらぬ目でそれを見ますが、女子高生はそこに1つのアイデンティティを見出しているのです。
ただ、男の「短いスカートに対する純粋に下品な目」というものにやがて気づき、高校を卒業すると同時に、ミニを止め、その大部分が自分なりのファッションのあり方を考えるようになります。
次に彼女たちがミニをはくことを考えるときは、「好みの男の気を引くため」という目的性を帯びています。「女子高校生としてミニスカートをはく自分」から「自分らしいファッションの一部」に移行し、高校生時代と違い、自分の足の長さや太さなどを鑑みながらミニの有用性を推し量るわけです。
それが成長というものでしょう。いや、本当はよくわかんないんだけど。

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