英語学習法と呼ばれるものは、世の中に山ほどある。
いま思いつくだけでも、英文法やリーディングやライティングやリスニングなど4技能や英単語などの大きな分野、あるいは、音読、精読、多読、リピーティング、シャドーイング、サイトトランスレーションなど、1つの分野の中の1つの方法まで無数にある。
これが英語学習者の最大の悩みの種となっている。
学習法はたくさんあるのに、やる時間は限られている。どれか1つをとらなければいけないとして、どれがいいのかわかるという人はほとんどいないのではないか。
しかも、学習法の本を読むと、「学校英語は実用には役に立たない」といったことが平気で書かれていることがある。
自分が学校で一生懸命にやってきたことが簡単に否定される。「ゼロからがんばってやるしかないのか」と暗澹たる気持ちになって当然だろう。
ところで、その著者が「学校英語は役に立たない」と言っているのは実感である。
「学校で学んだことだけでは英語でコミュニケーションをとれなかったが、自分で工夫して勉強したらコミュニケーションがとれるまでに伸びた。やっぱり学校英語なんてダメだ」と思ったわけである。
ひどいものには「学校英語の毒を、やさしい英語の多読で洗い流せ」などといった乱暴なことを言う人までいる。この中には「多読は英文法なしで(いや、それどころか単語を知らなくても)可能だ」というメチャクチャな前提が含まれている。
ここには大きな落とし穴がある。
考えてみると、その著者が英語を読めるようになったり、コミュニケーションがとれるようになったのは、「学校英語+自分の学習法」を実践したからである。いくら否定しても、その事実は変わらない。
でも、一部の著者は自分の実力を養うのに、学校英語は最初からなかったものとして否定してしまう。
また戦略して否定する業者などもいる。
どんなに知的水準の高い人も、苦手なことにはつい思考停止になりがちだ。「学校英語なんていらない。この方法だけでOK」と言われれば、「中学や高校で英語は苦手だった私もいけるかも」とついつい考える。
そういった学習者の心理を知って、業者などが戦略として学校英語を否定する場合も少なくない。
では、どう考えればいいのだろうか? その答えは、習った学校英語を積極的に活用することである。
日常英会話ができるようになりたければ、土台は中学英語の文法と単語で十分である。ただし、たとえば単語の知識であれば、「単語を見れば意味を知っている」のレベルでは会話は無理で、「その単語を使える」というレベルまで引き上げる必要がある。
目標がビジネスメールが1つ10分以内で書けるようになることや、ビジネス書を原書で読めるようになることであれば、大学受験レベルまでの知識は土台として必要である。
そこから出発して、メールが書けるようになることであれば単語が使えるようになること、原書を読むことであれば、文法を意識せず英語を英語の順番で読めるようになることが必要になる。
まず、いまの自分にどれくらいの力や知識があるかを把握する。次にとりあえずどこまでできるようになりたいか、デッドラインを設定して目標を決める。そして、そのためには何を補えばいいかを考える。
英語学習と言っても100人いれば100通り以上あってしかるべきである。それなのに、現状把握も目標設定もなしに、やみくもにある学習法をやればできるようになるというのはあまりにも乱暴ではないだろうか。
お勧めなのは、TOEICの成績なり、これまでの学習歴なりを指導者に見せ、自分の目標を伝えることである。ベテランである程度もののわかる指導者であれば、そのためには何をすればいいか具体的にアドバイスできる。
そのアドバイスに従ってやるというのが、おそらくその人にとっても最高の英語学習法である。

Image(s): FreeDigitalPhotos.net



