私は小さいときから『オバケのQ太郎』が大好きだった。教室は「オバQ派」と「ドラえもん派」に分かれていた。私は「沈黙のオバQ派」だった。
しかし、気がつくと『オバケのQ太郎』はいつのまにか終わっていた。それにひきかえ、『ドラえもん』は相変わらずの健在ぶりである。『ドラえもん』がいつ始まったか知らないが、今や世界中の人気者である。
どちらも同じ作者の人気作品なのに、『オバケのQ太郎』は長く続かず、『ドラえもん』があれほど長く続いているのはどうしてなのだろう。
ところで、なんで突然こんなことを思いついたかというと、ある繊維メーカーのテレビCMのせいである。
そのCMには、若い女性タレントがアルパカと一緒に出演している。アルパカは「ミラバケッソ」を連呼する。「ミラバケッソ」は「未来に化ける新素材」のことだそうだ。
このCMを見ているとなつかしい感じがして不思議だったのだが、ふとQ太郎の弟のO次郎のことを思い出した。
O次郎は「バケラッタ」を連呼するキャラクターである。
「ミラバケッソ」の原型は「バケラッタ」ではないだろうか。
根拠はないけど。
そんなわけで、私は突然『オバケのQ太郎』のことをあれこれ考え出した。
「そういえば、『オバQ』は終わったのに『ドラえもん』が続いているのはどうしてだろう」と、どうでもいいことを考え出してしまった。
両者はほぼ同じ設定で、登場人物の類型もほぼ同じである。Q太郎はおばけでドラえもんはロボットだが、人間ではないという点では同じである。
ただ、Q太郎はおっちょこちょいで同居する男の子はしっかりものであるが、ドラえもんはご存じのとおりのしっかりもので相方は頼りないのび太である。その点は対立している。
ただ、そんなことで両者のアニメ作品としての寿命にあれほどの差が出るとは思えない。主人公が人間以外でしっかり者なんてのはいくらでもある。
しかも、『ドラえもん』の基本的な構造は意外と単純である。「のび太が何かに困り、それをドラえもんの道具で解決するが、道具に頼りすぎてあとで失敗する」というもの。ほとんどの物語がこの枠に収まってしまう。
ただし、設定の自由度に関しては『ドラえもん』はかなり大きい。
というのも、ドラえもんはどこでもドアとタイムマシーンを持っている。ということで、場所と時間に関しては自由に設定することができる。
『ドラえもん』は場と時間の組み合わせを無限に変えることができる。だからこそ、あれほど単純な構造なのにいろんな物語が生み出せるのである。
それに対して、『オバケのQ太郎』は、場はともかく(いちおうQ太郎は空を飛べる)、時間に関しては現代に固定されているのである。
記憶に間違いがなければ、帯番組だった頃の『オバケのQ太郎』で、O次郎がタイムマシーンに化けたことがある(Q太郎以外のおばけは自由に化けることができる)。
そのあと彼らがどの時代に行ったのかは覚えていないのだが、とにかく私はそれを見て「『オバQ』が『ドラえもん』にちゃったなあ」と思った。案の定、『オバケのQ太郎』が打ちきりになるのはそのすぐあとのことだ。
『ドラえもん』がどこまで続くかわからないが、視聴者(=子どもたち)が入れ替わっていくうちは命脈を保つだろう。
『ドラえもん』の最大の問題は少子化なのかもしれない。声優が総入れ替えになったそうだが、下手に大人の視聴者を引き込もうとして失敗しなければいいのだが。
