私がはじめて『男はつらいよ』を見たのは大学生のときでした。その頃は邦画はほとんど見ていませんでしたし、なんとなくワンパターンで古くさいイメージがあって、とても面白そうに思えませんでした。
ある事情があって、お正月三が日をサウナ施設に逗留することになってしまったことがあります。そのサウナにはわりと大きめのビデオシアターがあり、正月期間は『男はつらいよ』全作を流していました。持ってきた本も読み終わり、暇なので膝掛け代わりのバスタオルを持ってビデオシアターに出かけました。
・・・ハマりました。山田監督、これまでごめんなさい。
物語の構造は単純です。東京下町生まれの寅さんが地元にいられず日本中を転々とするという話です。毎回ちがった美女(マドンナ)が現れ、寅さんに接近しますが、決して一緒になることはありません。寅さんは恋心をいだいたマドンナにいつも振られ続けます。
ところで、ふと疑問がわきました。
寅さんの生き方はむしろ男の理想のように見えます。女性にもてないという設定なのでたしかに美女たちに振られるでしょう。身勝手さから家族に迷惑をかけ続けている「ろくでもない男」です。しかし、あの自由さに憧れるのは私だけではないはずです。
でもなんでタイトルは『男はつらいよ』なんだろう? 全然つらそうじゃないんだけど。
・・・というのが浅はかな当時の感想です。
寅さんの台詞に「男はやせ我慢」というのがあります。『男はつらいよ』における「やせ我慢」とは、第三者にはどうでもいいようなことにこだわって、あえて自分の不利益になることを選ぶことです。これは寅さんの一貫した行動様式で、この映画を貫く美学と言っていい部分です。
『男はつらいよ』では、「そこをひと押しすればハッピーになれる」というところがあります。しかし、寅さんは、一押しなどせず、立ち止まって、すぐそこにある幸せに背を向け、孤独な放浪生活に戻ります。見ているほうは「なんで押さないんだ!」とやきもきして、いきりたちます(寅さんがそういうひとであるのはわかっているのに)。
男としてかっこいい生き方を選択して、孤独に放浪を続けること。これが寅さんにとってのやせ我慢であり男の、美学です。
そもそも寅さんが放浪しているのは、本当は家族に迷惑をかけたくないからです。まわりに「好き勝手やって」と思われていますが、それが寅さんのやさしさだと気づいているのはおそらく彼の妹さくらくらいでしょう。みんなに余計な心配をさせてくなくて、あえて好き勝手やっていると見せているわけです。その懐の深さに心がつかまれます。そもそもそんなひとだから、寅さんはどんなにひとを振り回してもひとから恨まれることなどないわけです。
あるとき、ある女性に寅さんの生き方を熱く語りました。おおよそ寅さん的な世界とは縁がなさそうな都会的な若い女性です。「そのひと馬鹿じゃないの?」と真顔で返さました。そんな反応は予想していなかったので、絶句しました。「馬鹿ってことはないよ」「だって馬鹿じゃん。意味わかんない」とかなんとか。オーマイコーンブ!
しかし考えてみると、それを選んだら幸せになれ、みんな喜んでくれるのです。それなのにあえてその道を選ばないというのは、たしかに馬鹿な行為です。何のメリットもありません。
次回でいよいよ完結です。『男はつらいよ 英会話編』