あとで読み返してみて、まるで日本では女性が一方的にしいたげられているような印象を持ちました。もちろんそういった面がないではないでしょうが、コトはそんなに単純なものではありません。
そこで、今回は男性の側から見てみたいと思います。
大学では政治学を専攻してましたが、大学1年の教養課程での政治学概論で、衝撃を受けたことがあります。
先生はこんなことを言いました。
「君たちは世の中が男性上位だと思っているだろう。でも、日本の家庭の財布は誰が握っているかい?・・・妻だろ」
「なるほど」と思いました。たしかにそうです。政府や行政のことを考えればわかりますが、たとえば省庁でいちばん強いのは予算を握っている財務省です。経済を握ることは、実質的にその組織の権力を握っていることだと言っても過言ではありません。だったら、日本社会も必ずしも男性上位じゃないかもしれないぞ・・・と。
「アメリカがレディファーストの国ということになっているね。でも、あれは見せかけだよ。統計ではっきりしているんだが、アメリカの家庭では大半は財布を夫が握っている。だからこそ、ああやって一生懸命に女性をたててご機嫌をとるなんてできるわけだ」
私はここで衝撃を受けました。世の中は見かけほど単純ではないと知った原体験、と言うとちょっとオーバーですが、深く印象に残ったのは確かです。
前回まで、女性は「日本語の世界」でことばが制限されていると言いました。だから、日本語の世界は表現欲の強い女性には住みにくく、「英語の世界」で自分のことばを手に入れたいと思うといったような内容です。
ここで見落としていけないのは、女性が精神的に自由である点です。日本語の世界を離れ、英語の世界に移動できれば英語は上達します。ポイントは女性がなぜそんなにあっさりと他言語の世界へと移動できるかです。
女性にはがっしりとした土台があります。たしかにことばやしぐさに一定の制限はありますが、たとえば、ネクタイをつけ、ズボンをはいても、「女性性」が揺らぐことはありません。たんに「ボーイッシュな女性」と見られるだけで、変わっているとかおかしいなどと見られることはないでしょう。
それに対して、ピンク色のワンピースを着たロングヘアーの中年男性がいたらどう思うでしょうか?(たとえば、皆藤愛子さんのイメージ)
これは「女性っぽい男性」というレベルではありません。「頭おかしいだろ」と言われるのがオチでしょう。「反社会的だ」と考えるひとすらいそうです。「変な男性」というより「男性もどき」と考えられてもしかたがありません。(「女だってふんどししたら変だろ!」と言われたことがありますが、「グラビアアイドル」がふんどしルックであっても、反社会的どころか、喜んでいませんか?そこのお父さん)
男性の土台は「男性的世界」からちょっと離れるだけで土台がぐらぐらしてしまうほどもろいものです。いつも強さのシンボルを背負いながら生きていかなければいけないのが、男性の宿命です。
では、なぜそのようなことになるのでしょう。
次回、もうすこし掘り下げることにします。