ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

近内悠太さんの著作、

世界は贈与でできている

 

「世界は贈与でできている」近内悠太著書

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説しております。

 

今回で3回目になります(^^;

 

前回、

「贈与」というものは、

贈与とは気づかないだけで、

実は、日常に溢れている・・・

 

というところで終わったので、

その続きになります(^^;

 

ヤマザキマリさんの漫画

「テルマエ・ロマエ」

を通じて、

その考え方が分かりやすく

述べられていますので、

紹介したいと思いますが、

 

皆さんは、

「テルマエ・ロマエ」

ご存知でしょうか?

 

私は原作の漫画は

読んだことはないのですが、

阿部寛さんが超ハマり役(笑)の、

映画は観たことがあります。

 

古代ローマ帝国の技師であるルシウスが、

現代日本にタイムスリップする

話なのですが、

 

そのルシウスのリアクションが、

いちいち笑えるんですね(^^)

 

たとえば、

トイレのウォシュレットを使うと、

大感激!

 

自動でフタが開いたり、

音楽が流れたりすると、

「何人の奴隷を使っているのだ!」

と戦慄したり(笑)

 

現代文明の利器に触れる度に

驚嘆する様子が、

とても面白いのですが・・・

 

本書から引用しますね。

 

 

ルシウスは、

現代を生きる僕らに

何が与えられているのかを

教えてくれます。

 

ルシウスが見て驚くもの、

驚く対象。

 

それは、

古代ローマには

存在していなくて、

現代においては

存在しているものの

およそすべてです。

 

それらは、

僕らが気づかぬうちに

受け取っていた贈与なのです。

 

なぜなら、

古代ローマには

存在しなかったということは、

この世界に初めから

あったわけではないものです。

 

ということは、

歴史の過程で、

それらを生み出した誰かがいる

ということになります。

 

だとすれば、

それは誰かからの

僕らに宛てた

贈り物と言えます。

 

そして、

その対象物が存在しない世界、

与えられていない世界から

やってきてしまった

主体であるからこそ、

 

それが

「ただそこにある」だけで

ルシウスは驚くのです。

 

つまり、

ルシウスの目には

そこにあるあらゆるものが、

あるはずのないもの、

あってはならないもの

=アノマリーに映るのです。

 

そして、

そんなアノマリーだからこそ、

彼の目には

それが自分宛ての贈り物に

見えてしまったのです。

 

(中略)

 

僕らの目には

贈与に見えなくても、

ルシウスの目には

それが贈与に見えるのです。

 

そして、

それがあって

当然のものではなく、

驚くに値するものであると、

態度や行動で示すこと。

 

ルシウスは、

それがそこにあることが

当たり前ではないという

極めて単純で、

極めて重要な事実を

告げるために、

 

そして

それだけのために

古代ローマからこの現代に

召喚される。

 

 

なるほど・・・

 

私たちはふだん

なかなか自覚できませんが、

 

たしかに、

ウォシュレットをはじめ

現代文明というものは、

過去の誰かからの贈与で

成り立っているともいえるわけで・・・

 

 

何気ない日常の中で、

あふれている無数の贈与

(のありがたみ)

は隠されています。

 

それらは

「あって当たり前」

であって、

それが無ければ

僕らは文句を言う。

 

コンビニの陳列棚の商品、

自動販売機、

部屋の空調設備、

電車の定期運行、

あるいは

衛生環境やインフラ、

医療ーー。

 

逆説的なことに、

現代を生きる僕らは、

何かが「ない」ことには

気づくことができますが、

 

何かが「ある」ことには

気づけません。

 

いや、正確には、

ただそこに「ある」

ということを

忘れてしまっているのです。

 

だから僕らは

「ただそこにあるもの」

を言葉で述べることが

できません。

 

それはすなわち、

それらが

与えられたものであること、

それがただそこに

存在するという事実が

驚くべきことであること、

 

そして、

もし失われてしまえば

心底困り果ててしまうことに

気づくことが

できないということです。

 

だから、

「テルマエ・ロマエ」の中で、

ルシウスはその逆を

行うのです。

いちいち驚嘆するのです。

 

ルシウスは

「そこにあるはずのない

ものがある」

という単純な事実を

僕らに

伝えてくれているのです。

 

 

そうですね・・・

 

私たちは失ってはじめて、

その「有難み」に

気づくところがある。

 

言い方を変えれば、

失わないと、

なかなかその「有難み」に

気づくことができない。

 

 

僕らにとっては

「あって当たり前」

であり、

それらが失われた状況を

念頭に置いて

生活することができません。

 

大きな災害の後には、

少しの間はその有難みを

実感できますが、

 

生活が日常に戻って

しばらくすると、

その有難みはしだいに薄れ、

忘れてしまいます。

 

他方、ルシウスは

そもそも

「それが無くて当たり前」

の世界を生きていて、

それが「ある」という状態を

想像することすら

できません。

 

だから彼は真剣に、

過剰なまでに驚くのです。

 

そんな言語ゲームの

他者だからこそ、

僕らの言語ゲームの中で

透明になって

しまっているものを

可視化させることが

できるのです。

 

それはつまり、

僕らが子供のころ、

この世界を初めて見た時に

感じたであろう

センス・オブ・ワンダーを

再演してくれているのです。

 

 

現代にタイムスリップしてきた

古代ローマ人ルシウスの

感じ方というのは、

私たちの子供のころの感覚。

 

センス・オブ・ワンダー。

 

たしかに、

子供のころは、

初めて見るものすべてが、

新鮮で驚きに満ちていたような・・・

 

はっきりとは覚えていないのですが、

うっすらと、そんな記憶があります(^^;

 

 

そして、

その身振りは

「君たちはこんなにも

多くの素晴らしいものを

持っている」

という

ルシウスからの祝福の声に

聞こえます。

 

ルシウスがこの世界と

初めて出会う姿を見て、

僕らはこの世界と出会い直す。

 

逆説的思考とは、

世界と出会い直すための

想像力のことでした。

 

世界と出会い直すことで、

僕らには実は多くのものが

与えられていたことに

気づくのです。

 

 

「世界は贈与でできている」

つまり、

実は僕らには多くのものが

既に与えられてる・・・

 

それに気づくためには、

 

想像力、初心、

子どもの頃の感覚を思い出す・・・

 

そして、月並みなようですが、

やはり「感謝」の気持ちを

忘れないことでしょうか。

 

それが世知辛い世の中で、

幸せに生きるヒントになるような

気がします😊

 

 

 

******************************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回に続きます(^^;

 

 

******************************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

金峰山・朝日岳・大弛峠の案内標識

 

大弛峠で車中泊して、

いざ金峰山へ!

 

 

霧深い森の登山道、金峰山への道

 

ううっ・・・

ガスってる💦

 

 

金峰山頂上へ続く岩場の登山道

 

岩場越えて・・・

 

金峰山頂上:ガスに覆われた岩場

 

乗り超えて・・・

 

朝日岳 標高2,579m 甲府名山

 

途中の朝日岳山頂、

ガスの中・・・

 

 

金峰山登山道、ガスで視界不良

 

よし、もうすぐ金峰山頂上か?


何も見えず・・・

 

 

金峰山頂上への登山道、ガスで霞む景色

 

この先か・・・

 

 

金峰山頂上への険しい岩場と登山道

 

巨石乗り越え・・・

 

 

金峰山頂上への巨石と登山道

 

おおっ、この先に・・・

 

 

金峰山頂上2,599m、甲府名山、山頂看板

 

金峰山頂上、着きました!

けど、何も見えず(^^;

 

 

金峰山頂上、ガスで何も見えず

 

晴れてれば絶景だろうに・・・

 

いつか、リベンジします(^^;

 

 

 

木造門と庭園、石灯籠

 

下山後、気を取り直して、

塩山地区の、まずは放光寺。

 

 

恵林寺の日本庭園と重要文化財

 

重要文化財の仏像などを

拝観することができます!

 

優しい住職が仏像の歴史などを

丁寧に説明してくださいます(^^)

 

その後、自由に拝観・・・

 

 

恵林寺の仏像と庭園

 

左手の収納庫に安置されていて、

間近で拝めます!

 

仏像好きにおすすめのお寺です(^^)

 

 

彼岸花と石畳、そして石材の台座

 

彼岸花。

 

 

恵林寺の赤門と石垣、緑の木々

 

そして、

甲斐武田氏の菩提寺として有名な、

恵林寺。

 

 

恵林寺の山門と石灯籠

 

立派なお寺です!

 

 

恵林寺の外観と日本庭園

 

こちらも日本庭園や

重要文化財の不動明王像が、

拝観できます(^^)

 

 

庭園の回廊と池

 

美しき日本庭園・・・

 

 

武田信玄の不動明王像 恵林寺

 

信玄公がモデルとされる、

不動明王像。

(これは宝物館の写真の写真ですが)

 

 

仏像と霧、寺院の絵

 

信長焼き討ち時の

快川禅師の言葉。

 

「心頭滅却すれば火もまた涼し・・・」

 

すざまじき境地ですね。

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

近内悠太さんの著作、

 

世界は贈与でできている

 

世界は贈与でできている 書籍カバー

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説しております(^^;

 

前回、「贈与」とは時に、

「呪い」となってしまうことがある。

 

では、呪いをかけない「贈与」とは、

いかなるものか?

 

それは、

「受取人に贈与だと気づかれないもの」

「受け取った時には分からずに

後になって分かるもの」

 

だと述べましたが、

今回はそれについて解説しますね。

 

こんな事例があります。

引用の引用になりますが・・・

 

 

その男性の母親は

認知症を患い、

毎日16時になると

外へ出て行ってしまうという。

 

いわゆる「徘徊」だ。

 

男性は、

必死になって

その外出を止めようとすると、

母親はわめき、

暴力をふるう日々が続いた。

 

「母さん、

どうして毎日16時に

外出しようとするの?」

 

尋ねてもはっきりした

返事はない。

 

どうすることもできなくなり、

彼はベテランの介護職員に

相談した。

 

すると介護職員は

何を思ったか、

母親の兄に連絡を取った。

 

そして「16時」

というキーワードで

何かヒントは無いかと尋ねる。

 

すると叔父は

「16時」とは

幼かったころの息子が

幼稚園からバスで帰ってくる

時間ではないかと言う。

 

その話を聞いた介護職員は、

母親にこう告げた。

 

「今日は息子さん、

幼稚園のお泊り会で、

帰ってきませんよ。

バスも今日は来ませんよ」。

 

おまけに

ニセモノの「お泊り会」の

案内状まで作って

母親に見せた。

 

するとどうだろう、

母親は、

「そうだったかね?」

といって

部屋に戻っていった。

 

その日を境に、

同じように

「今日は帰ってきませんよ」

という説明をしてあげるだけで、

「16時に外へ出てしまう」

という行為はなくなった。

 

 

認知症の母親にとって、

16時の徘徊は

息子を迎えにいくという

「贈与」をしているつもり

だったのですね。

 

息子はその贈与に

気づいていなかった・・・

 

 

もしその男性が

「16時」という

不合理の合理性に気づかず、

 

母親の振る舞いが

非合理なもの、

意味のないものだと

見なしたままだったとしても、

 

母親の

「息子を迎えに行く」

という贈与の行為は

この世に存在したでしょうか。

 

母親という差出人と

その贈与は、

受取人である男性が

それに気づく前の時点では

存在しなかった。

 

「実はこの私を

迎えに行っていたのか」

と気づいた時点において、

 

母の行為が

数十年の時間を飛び越えて、

今ここに贈与として

立ち現れたわけです。

 

ではこの贈与を

受け取ったのは

いつなのでしょうか。

 

もちろん、

贈与に気づいたのは

今現在です。

 

僕は男性は

この贈与をずっと

受け取り続けていたのではないかと

思います。

 

贈与はすでに届いていた。

 

ただ、それを見落とし、

気づかず、

数十年の時間が経っていた。

 

しかし、だからこそ、

その贈与は呪いになることなく、

男性のもとに届いたのです。

 

この「16時の徘徊」の

エピソードには、

本書が目指す贈与論の

モデルの一つが隠されています。

 

他者の不合理な

振る舞いの中に、

差出人としての姿が

隠されている。

 

僕らは不合理性を通じて、

他者からの贈与に

気づくことができるー。

 

 

なるほどです・・・

 

本書の

「世界は贈与でできている」

というのは、

そういうことなんですね。

 

つまり、

差出人も分からないし、

その時には贈与だと気づかないことが、

実は世の中にはけっこうあるのではないか、

ということです。

 

差出人が分からない、

すなわち、

名乗らない贈与者の代表例としては

「サンタクロース」が挙げられています(^^)

 

たしかに、

差出人が親だと分かるのは、

だいぶ後ですよね。

 

ほぼ確実にバレますが(^^;

 

 

贈与に気づくためには、

受取人の「想像力」や「知性」が

必要だといいます。

 

 

受取人においては、

贈与は過去の中に

あるのでした。

 

ですが、

もちろん

「過去そのもの」は

もはや存在しません。

 

だから、

そこには

想像力が要請されます。

 

贈与は差出人に倫理を要求し、

受取人に知性を要求する。

 

これは本書の贈与論において、

決定的に重要な主張です。

 

そして、

倫理と知性は

どちらが先かと問われれば、

それは知性です。

 

つまり、

受取人のポジションです。

 

なぜなら、

過去の中に埋もれた

贈与を受け取る主体だけが、

 

つまり、

贈与に気づくことのできた

主体だけが

再び未来に向かって

贈与を差し出すことが

できるからです。

 

その主体は

「もし私が気づかなかったら、

この贈与は存在しなかった」

ということを

痛いほど理解しています。

 

つまり

「この贈与は

私のもとに届かなかったかも

しれない」

と直覚できているからこそ、

 

今から差し出す贈与も

他者へと届かない

可能性が高く、

 

届いてくれたなら

これほど

素晴らしいことはないと

分かっているからです。

 

この贈与は私のもとへ

届かなかったかもしれない。

 

ということは、

私がこれから行う贈与も

他者へは届かないかもしれない。

 

でも、いつか

気づいてくれるといいなー。

 

かつて受取人だった

自身の経験から、

そのように悟った主体だけが、

 

贈与が他者に届くことを待ち、

祈ることができるのです。

 

 

なるほど・・・

 

自分はたまたま

気づくことができたけれど、

贈与とは、

そもそも他者には気づかれにくいもの。

 

だから、

自分がする場合でも、

おそらく気づかれない、

 

気づいてもらえればラッキー!

 

ぐらいに考えておけば、

贈与が「交換」や「呪い」に

なることはないのですね(^^)

 

そして、

その「贈与」というものは、

贈与とは気づかないだけで、

実は、日常に溢れているという・・・

 

次回に続きますね(^^;

 

 

 

**********************************************

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回もこの本の紹介・解説を続けます(^^;

 

 

 

*********************************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

シルバーウィークは、

台風通過後、

山梨県甲州の金峰山に行きました!

 

せっかくなので、

前日に近隣の神社仏閣、ぶらっと巡り(^^)

(渋選です)

 

文化財 清白寺 仏殿

 

清白寺。

 

 

清白寺仏殿 国宝 山梨

 

仏殿。

山梨県に2つしかない、

建造物の国宝だそうです!

 

 

清白寺の参道に咲く彼岸花と山並み

 

参道には彼岸花。

いつのまにか、そんな季節ですね~

 

 

差出磯大嶽山神社の風景

 

差出磯大嶽山神社。

 

 

赤い鳥居と山並みを望む街並み

 

高台にあるので、

絶景でした!

 

なで猫像と黄色い旗

 

もちろん、撫でました(^^;

 

 

清白寺の仏殿と彼岸花

 

窪八幡神社。

 

 

清白寺 仏殿 山梨国宝

 

 

差出磯大嶽山神社の扁額と垂れ幕

 

 

清白寺の仏殿と赤色の柵

 

少し寂れた感がありましたが、

歴史を感じさせる立派な神社でした(^^)

 

それぞれの地方には、

私が知らない魅力的な神社仏閣が、

まだまだありますね~

 

・・・車中泊して、

いざ翌日の登山へ!

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

関東は台風接近中ですね。

被害が少ないことを祈っています・・・

 

今回は、

教育者、哲学研究者である、

近内悠太さんの著作、

 

世界は贈与でできている

 

近内悠太「世界は贈与でできている」書籍

 

から、私の印象に残った箇所を、

紹介・解説していきます(^^)

 

私はもともと、

こういった

今を描いた哲学といいますか、

現代思想のようなものに

心惹かれる傾向があるのですが、

(あまりにも難解なものは除く(^^;)

 

この本は、

天外伺朗さんのユーチューブで、

清泉女子大学学長の

山本達也さんが紹介していました。

 

面白そうなので読んでみましたが・・・

いやあ、なかなかよかったです!

 

ヴィトゲンシュタインが出てきたり、

一見、難しそうな感じもするのですが、

身近な具体例が豊富なので、

浅学の私でも理解しやすかったです(^^)

 

サブタイトルには、

資本主義の「すきま」を埋める倫理学

とありますが、

この本で「贈与」とは、

 

 

僕らが必要としているにも

かかわらず

お金で買うことのできないもの

およびその移動

 

 

と定義されています。

 

「贈与とはお金で買うことができないもの」

というのは、分かる気がします。

 

では、

「その移動」とはどういうことでしょうか。

 

自分の手でどうにかなるものではなく、

文字通り

他者から与えてもらうしかない、

ということだと考えます。

 

そして、この本の面白いところは、

その「贈与」とは、

受取人に贈与だと気づかれてはいけない。

 

気づかれれば

商品の売買のような

「取引」や「交換」になってしまう

というのです(^^;

 

それから、

「贈与」とは瞬時に完成せず、

時間差が生じる。

 

差出人にとっては「届くといいな」

という未来形になり、

受取人にとっては「すでに受け取っていた」

という過去形として

成り立つのだといいます(^^;

 

ちょっと分かりにくいと思いますが、

本書では、

具体例を挙げて、

分かりやすく説明されています。

 

興味を持たれた方は、

是非、本書をお読みいただければと

思いますが・・・

 

今回は、私の印象に残った、

「贈与」は時として、

「呪い」として機能する

という箇所を紹介いたしますね(^^;

 

呪い・・・

どういったことでしょうか?

 

 

その呪いの効果によって、

僕らは、

他者とのつながりを求めながら、

そのつながりに

疲れ果てるのです。

 

(中略)

 

「届いてしまった年賀状」

を考えてみましょう。

 

去年もこちらからは

送っていないのに、

ポストを開けたら、

その人からまた今年も

年賀状が届いてしまった。

 

心のうちで

「ああ、申し訳ないな」

と思いながらも、

 

同時に思わず

「やれやれ・・・」

とつぶやいしてしまう。

 

この「やれやれ」

という気分はどこから

やってくるのでしょうか?

 

 

これ、ありますよね(^^;

 

たしかに、

有り難いことではあるのですが、

いまさら返事を書くのは

正直手間だし、

かといってこのままにしたら

何だか罪悪感が残るし・・・

 

 

僕らは何かをもらったら、

お返しをしないままでいると

どこか落ち着かない気持ちに

なります。

 

贈与は、

差出人の意図にかかわらず、

受取人に

一方的な負い目を与える。

 

そして、

その負い目がふたたび

贈与を引き起こす。

 

ここまではいい。

 

しかし、もし、

こちらにお返しをする

心づもりが無かったり、

返礼をする用意や準備が

できていなかったり、

 

あるいは、

返礼が原理的に不可能な場合、

僕らはどうなるのでしょうか。

 

善意や好意を押しつけられると、

僕らは呪いにかかる。

 

もちろん、

その逆で、

こちらから

善意を押しつけてしまうと、

相手をその関係性に

縛りつけてしまう。

 

呪いとは

「思考と行為の可動域」

に制約をかけるものの総称です。

 

(だから僕らはしばしば

自分自身にも

呪いをかけてしまいます。

たとえば、

不安や恐怖は思い込みを生み、

思考が制限されてしまう

ことになります)。

 

他者の善意は

ときとして呪いになる。

 

そう、僕らがつながりに

疲れ果てるのは、

相手が嫌な奴だから

ではありません。

 

「いい人」だから

疲れ果てるのです。

 

いや、正確には

「いい人だと偽る人」からの

コミュニケーションによって、

疲れ果てるのです。

 

そして、ここに、

贈与と交換の

交錯地点があります。

 

 

・・・年賀状程度では、

そこまで強い「呪い」には

ならないような気もしますが(^^;

 

ただ、考え方としては、

よく分かります。

 

善意や好意を押しつけられると、

受取人は、呪いにかかる。

 

すなわち、

関係性を縛られることになる。

そして、

疲れ果ててしまう・・・

 

 

・・・遠藤周作さんの

「善魔」(ぜんま)

という言葉を想起しました。

 

いろいろなケースが考えられますが、

わかりやすい例でいえば、

「過保護な親」ですね。

 

親はよかれと思って、

あれこれ子どもに世話を焼くのですが、

それが結果的に、

子どもをスポイルしてしまう。

 

子どもは反抗したくても、

表面的にはあくまで善意なので、

なかなかそれもしにくい・・・

 

これは、親の不安や虚栄心、

コントロール願望から

発していることが多いのですが、

 

当人はそれが本当の愛情だと

本気で思い込んでいる場合もあるのが

やっかいなところです(^^;

 

本書では、

「唯幻論」で有名な岸田秀さんの、

「親からの呪い」のケースが

詳しく紹介されています。

 

もちろん、

悪気はない場合がほとんどですし、

程度の差こそあれ、

私たちはだれもが、

子どもだけでなく、他者に対して、

(たとえば、立場の弱い人などに)

「過保護な親」のような振る舞いを

してしまうことはあるわけですが、

 

「贈与」は

すべて「善」というわけではなく、

時として、

相手に呪いをかけてしまうケースがある。

 

というのは

忘れずにいたいですね(^^;

 

・・・では、

呪いをかけない「贈与」とは、

いかなるものか?

 

本書では、

「受取人に贈与だと気づかれないもの」

「受け取った時には分からずに

後になって分かるもの」

 

だと述べられているのですが・・・

 

・・・次回に続きますね(^^;

 

 

 

***********************************************

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回もこの本の紹介・解説をします!

 

 

 

***********************************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

実家の母が急に入院したので、

(今はおかげさまで退院しました)

 

お見舞いがてら、

その足で、久しぶりに、

地元立川の諏訪神社に・・・

 

諏訪神社の鳥居と狛犬

 

何十年?振りだろう・・・

 

 

諏訪神社(立川)の重厚な木造門

 


立川諏訪神社社殿と狛犬

 

こんな立派な社殿だったっけ?

(火事で焼失したので2002年に再建されました。

前はもっと渋かったような)

 

前の社殿は、たしか中学生(小学生?)のころ、

課外授業で写生した記憶があります(^^;

 

 

塩船観音寺 藥師如来大祭 看板

 

こちらは青梅の、

つつじで有名なお寺、

塩船観音寺。

 

 

諏訪神社本殿と緑の旗

 

薬師堂。

 

諏訪神社本殿と緑の旗

 

渋すぎる!

 

 

塩船観音寺の薬師堂と銅製火舎

 

重要文化財の本堂。

 

 

諏訪神社の立派な社殿

 

素晴らしい仏像が安置されています。

 

 

塩船観音寺のツツジの丘

 

このモコモコ、

ツツジの時期には、

色とりどりになるそうです!

 

 

塩船観音寺のツツジの段々畑

 

また4月に来てみたい!

 

 

諏訪神社と遠景の仏像

 

平和観音像が、

見守っています・・・

 

 

見て見ぬふりをしてきた実家の母、

そろそろ介護が必要になってきました・・・

 

そんな歳ですね(^^;

 

 

猫がクッションで眠る様子

 

ボクは元気だよ😸

(招きネコ?)

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

伊坂幸太郎さんの小説、

 

魔王

 

伊坂幸太郎「魔王」新装版の表紙

 

を紹介・解説しています(^^)

 

今回で2回目、最終回です。

 

私の印象に残った箇所を、

ちょっと長くなりますが、

引用させていただきます。

 

 

「ムッソリーニは最後、

恋人のクラレッタと一緒に

銃殺されて、

死体は広場に

晒されたらしいんだよね」

 

「あらら」

 

 

ムッソリーニとは、

ご存知の方も多いと思いますが、

イタリアのファシストであり、独裁者。

 

第二次世界大戦で敗れて、

このような最期を遂げる訳ですが・・・

(小説ですが、晒されたのは事実です)

 

そうです。

この小説は、

ファシズムや独裁者が、

テーマのひとつになっています。

 

 

「群衆がさ、

その死体に唾を吐いたり、

叩いたりして。

 

で、そのうちに、

死体が逆さに

吊るされたんだって。

 

そうすると、

クラレッタのスカートが

めくれてね」

 

「あらら」

 

「群衆はさ、

大喜びだったんだってさ。

 

いいぞ、下着が丸見えだ、

とか興奮したんじゃないの。

 

いつの時代にも

そういうノリなんだよ、

男たちは。

 

いや、

女もそうだったんだろうね。

 

 

たしかに、

独裁者ムッソリーニから、

自分や身内、知人が酷い目にあったりして、

恨みつらみを抱いていた人は

多かったのだと思います。

 

クラレッタは、

その恋人なので、

同じ思いを抱いたのかもしれませんが、

 

ただ、

それにしても・・・

 

 

ただ、その時にね、

一人、ブーイングされながら

梯子に昇って、

 

スカートを戻して、

自分のベルトで縛って、

めくれないようにして

あげた人がいたんだって」

 

「あらら」

 

私は言いながらも、

その時のその人の立つ状況を

思い浮かべ、

その度胸に圧倒された。

 

「それはまた、勇敢な」

 

おまえはその女の

肩を持つのか、

と罵倒され、

暴力を振るわれても

文句を言えない

場面だったのではないか。

 

「まあ、実話かどうかは

分からないけど、

何だか偉いなあ、

とは思うよね」

 

蜜代っちは

大切な物に

息を吹きかけるような

口ぶりだった。

 

「実は、わたしはいつも、

せめて

そういう人間にはなりたいな、

と思ってたんだ」

 

「スカートを直す人間に、

ってこと?」

 

「他の人たちが暴れたり、

騒いだりするのは

止められないでしょ。

 

そこまでの勇気はないよ。

 

ただ、せめてさ、

スカートがめくれてるの

くらいは

直してあげられるような、

 

まあ、それは無理でも、

スカートを直してあげたい、

と思うことくらいは

できる人間ではいたいなって、

思うんだよね」

 

 

私自身、その状況にあったら、

どうするだろうか・・・

 

さすがに、唾を吐くようなマネは

しないと思いますが、

 

では、実際に、

スカートを直す行動はとれるだろうか。

 

う~ん・・・

 

小心者の私には、

できないと思います。

 

おそらく、

興奮状態の群衆に顔をしかめながらも、

無言でその場を立ち去るだろう・・・

 

我ながら情けないですが(^^;

 

ただ、

小説で蜜代っちが言うように、

 

スカートを直してあげたい、

と思うことくらいは

できる人間でありたいと思います。

 

たとえ、元々は権力者であっても、

立場が弱くなった人や、

無抵抗な存在には、

いたわりの気持ちを抱ける人でありたい。

 

衆を頼むようなことはしたくない。

 

そして、少なくとも、

スカートを直すような行動をとれる人を、

応援できる自分でありたい。

 

それが、結果的に、

ファシズムや独裁者の台頭を

少しでも防ぐことに

繋がるのではないか・・・

 

そんなことを考えました。

 

 

 

***********************************************

 

 

以上、

伊坂幸太郎さんの小説、

 

魔王

 

伊坂幸太郎「魔王」新装版の表紙

 

の一部分ですが、

2回にわたって、

紹介させていただきました。

 

初版は2005年の本ですが、

驚くほど、

今の世の中を予言しているといいますか、

 

別の言い方をすれば、

いつの時代にも、

「魔王」は存在するともいえるわけで・・・

 

小説には、シーベルトの歌曲、

「魔王」の内容が象徴的に引用されています。

 

 

闇夜に、

父が息子を連れ、

馬で走っている。

 

そして、

息子に問い掛ける、

 

そういう歌だ。

 

「息子よ、

なぜ顔を隠すのだ?」

と父が訊ねる。

 

「お父さん、聞こえないの?

冠を被った魔王が

いるじゃないか」

と息子が答える。

 

「あれは霧ではないか」

 

「お父さん、聞こえないの?

魔王が何か言うよ」

 

「枯葉の音ではないか。

落ち着くんだ」

 

「お父さん、見えないの?

魔王の娘がいるよ」

 

「見えるが、

あれは柳ではないか」

 

「お父さん、魔王が今、

僕をつかんでいるよ」

 

ようやくそこで父親も、

ただ事ではない、と思い、

馬を全力で走らせる。

 

必死の思いで

館に辿り着く。

 

 

・・・このシーンは、

色々な解釈が

できると思いますが、

 

ささやかな声にも、

きちんと耳を傾けること。

 

そして、

「魔王」は実は、

身近な人や、はたまた自分の中にも

いるのかもしれない・・・

 

そんなことを思わせる小説です。

 

興味のある方は、

是非、小説をご一読ください😊

 

 

 

**********************************************

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回は別の本を

紹介させていただく予定です(^^;

 

 

 

*********************************************

 

 

おまけ写真集(^^;

 

8月のお盆過ぎには、

八ケ岳の天狗岳に登りました!

 

前日は、諏訪大社に、

 

諏訪大社 上社前宮の建物

 

諏訪大社、上社前宮。

 

 

諏訪大社上社本宮の鳥居と参道

 

上社本宮へ!

 

 

諏訪大社上社本宮

 

参拝所。

 

 

諏訪大社上社前宮の拝殿

 

幣拝殿、

荘厳で美しい空間・・・

 

 

諏訪大社上社本宮、風鈴が吊るされた廊下

 

布橋、通れます。

風鈴がきれいでした!

 

そして、翌日・・・

 

 

唐沢鉱泉:登山前泊に最適な宿

 

車中泊して、いざ天狗岳へ!

 

 

天狗岳登山道、苔むした森の道

 

ひたすら登ります・・・

 

 

霧深い山頂、岩と緑の木々

 

開けたと思ったら・・・

ガス!

 

 

西天狗岳頂上、第二展望台の標識

 

何も見えず・・・

 

 

岩場の登山道、白マークあり

 

岩をよじ登り・・・

 

 

西天狗岳山頂標識

 

西天狗岳!

何とか頂上、着きましたが・・・

 

ガスってる(^^;

 

 

八ヶ岳の山々、雲海と青空

 

が、しばらく座っていると・・・

おおっ、

 

 

八ヶ岳の山々、霧と雲に覆われる

 

見えてきた!

赤岳と阿弥陀岳!

 

 

八ヶ岳天狗岳山頂、登山者と標柱

 

撮って頂きました😊

 

私が傾けたわけではありません。

(強風のせいか、

斜めに立っていました(^^;)

 

 

八ヶ岳から眺める雲海と街並み

 

茅野方面かな。

 

奥には、

南アルプスや中央アルプスも!

 

 

八ケ岳 天狗岳山頂からの絶景

 

おおっ、くっきりしてきた!

 

 

八ヶ岳 天狗岳登山道と山頂の景色

 

今のうちに東天狗岳へ、

れっつごう!

 

 

東天狗岳山頂、登山道と指差方向標識

 

東天狗岳頂上!

 

八ヶ岳 東天狗岳 山頂の看板と登山者

 

 

八ケ岳天狗岳登山道と雄大な山並み

 

有名な角度から、

今来た、西天狗岳を振り返る。

 

はるか彼方に北アルプスも・・・

 

しばし見とれてました・・・😊

 

 

八ケ岳の天狗岳登山道、岩と緑の森

 

帰りは、黒百合ヒュッテ経由、

 

その先、

濡れた岩石地帯を下る・・・

ううっ、滑る。

 

苔でコケて、

膝を擦りむきました😢

(このルート要注意です!)

 

苔むした森と岩場の風景

 

苔、美しい・・・

 

 

田園風景と山々、雲のある空

 

帰り道、車窓から、

 

八ケ岳、有り難う!

また行きたいです(^O^)

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

久しぶりの

記事になりますが・・・(^^;

 

今回は、

伊坂幸太郎さんの小説、

 

魔王

 

伊坂幸太郎「魔王」新装版の表紙

 

から、私の印象に残った箇所を、

紹介・解説いたします!

 

伊坂幸太郎さんの小説は、

若い頃、

「死神の精度」など、

何冊か読んでいますが、

魔王はまだ未読でした(^^;

 

この本、初版は2005年、

(新装版が2023年)

ということですが、

 

いやあ、

今の世相を予言しているといいますか、

現代の社会に関して、

とても考えさせられる内容でした。

 

自分が念じた言葉を

相手に話させることができる

特殊能力を持つ「兄」と、

また違う特殊能力を持つ「弟」の

「兄弟」が主人公なのですが、

 

そこにカリスマ的な

政治家が登場して・・・

 

・・・と、

ネタバレになりますので

ストーリーの詳細は

割愛いたしますが、

 

印象に残ったセリフを、

引用しますね。

 

兄が語ります。

 

 

「ただ、

よく言う人がいるだろ。

 

日本の歴史教育は、

自虐的で、

だから若者が

国に誇りを持てない、

って。

 

あれが俺には

納得できないんだよな」

 

お兄さんは言った。

 

「若者が日本に

誇りを持ってなくて、

大人を小馬鹿にしているのは

間違いないけどさ。

 

それって、

歴史教育のせいなのか?

 

日本が、

侵略戦争をしたと

教わったから、

誇りを持ってないのか?」

 

「どうだろうね」

 

潤也君が笑った。

 

「俺、歴史の授業を

真面目に受けていないし、

学校で、

反戦反戦って叫ぶ教師に

げんなり

させられてたからかな、

逆に」

 

「だろ?

どっちかと言えば、

誇りが持てないのは

大人が醜いからだよ。

 

政治家がテレビの前で

平気で噓をついたり、

証人喚問で、

禅問答のような答弁をしたり、

 

そういうのを見ているから、

舐めてるに決まってるんだ。

 

どこにどう誇りを持てって

言うんだよな」

 

 

そうですね・・・

 

侵略戦争だったかどうかの

議論は別にして、

 

たしかに、

若者が国に誇りを持てないのは

自虐史観のせいというよりも、

今の「大人」が醜いからだと思います。

 

大人と言えば、

政治家はもちろんですが、

私自身も含むわけであって、

 

日頃の言動、

若者から見て、

誇りが持てるような

振る舞いをしているかどうか。

 

・・・う~ん、

自信がありません(^^;

 

日々、せかせかして、

何だか余裕のない感じだし・・・

 

立派な人にはなれなくとも、

なるべく、

自分の頭で考えて、

少しでも自己一致した人生を

歩んでいきたいと

願ってはおりますが・・・

(それがなかなか難しい(^^;)

 

 

「兄貴はいつも

言ってたんだ。

 

人間ってのは、

特に頭が良い奴ほど、

平和とか健康とかを

ダサいと思うって。

 

そういう風に

仕組まれているんだってさ」

 

「出た、陰謀説」

 

「まあ、実際、

誰が仕組んでるって

わけじゃないんだろうけど、

ただ、声高に、

 

『戦争反対』とか

『平和な世の中に』

って正しそうなことを

叫ばれるとさ、

 

こっちも、うるせえな、

って思うじゃんか。

 

偉そうに言うんじゃねえよ、

とかさ」

 

「潤也君は思うわけだ」

 

「思っちゃうなあ。

 

昔、俺が高校の時とか、

みんなで煙草を

吸ったりするだろ。

 

そうすると、

同級生に一人さ、

 

煙草は健康に良くない、

とか、

ポイ捨てはやめろ、

とかいちいち言ってくる奴が

いたんだよ」

 

「正しい」

 

「けど、

俺たちは馬鹿にしていた。

 

健康なんか気にして

いられるかよ、ってさ。

 

そういうものなんだよな。

 

健康に悪いから、

煙草をやめなさい、

って言われて、

 

ありがとうございます

私たちが誤っていました、

 

なんて禁煙をはじめる

人間はいないよ。

 

それと同じで、

どんなことも、

平和や健康とは逆方向に

進んでいくことに

なってるんだよ。

 

ずるずると、

磁石に引っ張られるみたいに、

物騒な方向に向かっていくんだ。

 

兄貴がそう言ってた。

 

 

・・・これは

人の心理を突いていますね。

 

高校生の時に同じことをしていた

当事者として、

(うう、いってもうた~

もう時効ですね(^^;)

 

これ、すごくよく分かります。

 

いわば虚勢を張るために、

悪いのは分かっててやっているときに、

 

正義感ぶって

上から目線で正論を言われたら、

反発したくなるのが人情というものです。

 

では、こういう場合、

正論を言いたくなった時には、

どうすればいいのか。

 

う~ん・・・

 

自分の中にも、

(煙草を吸うかどうかは別にして)

虚勢を張りたい気持ち自体はあることを

自覚したうえで、

 

でも、自分はその仲間には加わらない。

朱に交わっても赤く染まらない。

 

ということくらいしか

できないのではないでしょうか。

(つまり人は正論では変えられない)

 

もっとも、

個人の健康問題と、

世の中の「戦争」「平和」を

同列で考えるものではありません。

 

一度戦争が始まってしまったら、

なかなか終えることはできなくなりますし、

 

自分だけでなく、

特に立場の低い人が犠牲になる確率が

高まるわけですし。

 

もちろん、

『戦争反対』『平和な世の中に』

といった正論は忘れてはならないのですが、

 

やはり、まずは、

少なくとも自分自身が、

周りの空気に流されないことが

肝要なのだと思います。

 

 

「この国の人間はさ、

怒り続けたり、

反対し続けるのが

苦手なんだ」

と呟いた。

 

「怒り続けるのが、

ってどういうこと」

 

「初回は大騒ぎでも、

二度目以降は興味なし、

ってことだよ。

 

消費税導入の時も、

自衛隊のPKO派遣の時も、

住基ネット開始も、

海外での人質事件も、

 

どんなものだって、

最初はみんな、注目して、

マスコミも騒ぐ。

 

ただ、それが一度、

通過すると

二度目以降は途端に、

トーンが落ちる。

 

飽きたとも、

白けたとも違う。

 

『もういいじゃないか、

そのお祭りはすでに

やったじゃないか』

 

っていう、

疲労まじりの軽蔑が

漂うんだ」

 

 

この小説、

初版が2005年なので、

時事ネタがちょっと古いですが(^^;

 

でも、

この傾向は、今でも変わらないですよね。

 

もちろんこれは、

悪い事だけではなく、

 

日本人は昔から、

この忘れっぽさがあるがゆえに、

変化に対応しながら、

柔軟にやってこれたわけであって、

 

水に流す、

それが日本人の強みでもありますが、

 

一方で、

時流に流されて、

同じような過ちを繰り返してしまうことに

なりかねない部分もある。

 

考えさせられますね・・・

 

自戒を込めて。

 

(次回に続きます(^^;)

 

 

 

**********************************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回に続きます(^^;

 

 

**********************************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

もう一か月前になりますが・・・

昨年に続き2回目の富士登山🗻

 

富士山表口五合目 標高2400M

 

富士宮口、

5合目から登山スタート!

 

 

富士山からの眺め、山道と広がる街並み

 

おお、昨日登った黒岳や越前岳を

完全に見下ろしています!

 

 

富士登山 富士宮ルート 登山道

 

晴れてきた(^^)

 

 

富士登山、岩場を登る登山客

 

キツイ登り・・

 

 

富士山鳥居と登山客

 

もう少し・・・

 

 

富士山頂浅間大社奥宮の鳥居と石灯籠

 

ヘロヘロになりながらも・・・

 

何とか着きました(^O^)

 

 

富士山頂郵便局とポスト

 

頂上郵便局から、

記念はがき投函しました!

 

 

富士山頂上、登山小屋と鳥居

 

富士宮口の山頂周辺。

 

 

富士山頂上火口の荒涼とした景色

 

噴火口見ながら

いつものランチパック。

 

 

富士山登山道、山頂付近の眺め

 

ここがホントの頂上、

剣ヶ峰!

 

坂道キツ・・・

 

 

富士山剣ヶ峰、登山者と記念碑

 

頂上で記念写真!

 

 

富士登山、鳥居と登山者、登山道

 

下山開始・・・

 

 

富士登山 富士宮ルート 登山者

 

ガスってきました(^^;

 

 

富士山五合目駐車場付近の二頭の鹿

 

五合目手前で、

鹿がいましたよ(^^)

 

 

富士宮ルートは、

距離は短いですが、

けっこう岩場が急でハード!

 

ヘロヘロになりましたが、

いい思い出になりました😊