エトナが初めてエトナ山で年を越したのは、1988年の暮れのことです。
当時は観光客?としてカターニアに通っていて、あの年の瀬が三度目のカターニア訪問。
留学先の学校を探しに来た時でした。
エトナ火山の「五合目」に当たる1920mには、CAI(Club Alpine Italiane イタリア山岳クラブ)に所属する山小屋風のホテル、Rifugio Sapienza リフジオ・サピエンツァがあります。
度重なる最近の噴火(2001年と2002~3年)のために、エトナ山の観光施設は南・北の登山口ともに大きなダメージを受けました。
南エトナにあるニコロジ村のこのホテルは、危機一髪で二回の噴火の溶岩流から免れました。
でもロープウエイやスキーリフト、破壊されたレストランや駐車場などの観光施設が復興した現在でも、未だにホテルの営業は再開されていないんです。
さて、まだイタリア語もろくに話せなかった、当時のうら若きエトナちゃん。
やはりエトナ山愛好家で、カターニアの友達のおばあ様、ミケーラさんに連れられて、リフジオ・サピエンツァが企画した大晦日の大晩餐会に行きました!
ミケーラさんについてはまたいつか記事を書きますが、当時のお年は68歳。
何と二十歳の頃から84歳で亡くなった去年まで、イタリア山岳会会員でした!
リフジオ・サピエンツァは主に旅行者登山の拠り所ですが、大晦日の晩餐パーティーに限っては予約する人々のほとんどが地元の人たちでした。
おまけに大晦日の夜には、このホテルに宿泊することはできなかったんです。
エトナがミケーラさんに連れられて大晦日のパーティーに行ったときは、カウントダウンと共に会場のテーブルは一斉に隅に押しやられ、たちまち色とりどりのライトの明かりが飛び交う、なかなかのディスコに変身しました!
今から思うと、日本では一度もディスコに行ったことがなかった自分は、すっかりハイになって知らない人々と踊り回っていたけれど、音楽も大騒ぎも好きではないミケーラさんが、本当によくつき合ってくださったなぁって思います。
彼女は会場の外で、古き山の知り合いたちと話しをしたりしてましたっけ。
当時のリフジオ・サピエンツァの「にわかディスコ」で聞いたり、踊ったりした音楽の全てを今でも鮮明に覚えています。
そのうちのほとんどが、毎年のようにイタリアの新年になるとテレビで聞かれるものばかり。
日本よりもずっと長く、良い曲はお年寄りから若い者まで歌い継がれ、ディスコでも流れ続けるんです。
こうして踊り疲れた若者たちは、しばらくは車に入って休み、やがて外に出て冷たすぎる山の風に震え、足を踏み鳴らしながら初日の出を待ちます。
町で大晦日を過ごした人々も、夜通しあちこちを車でドライブしたあげく、「エトナ山に初日の出でも見に行こうか!」などと突然気が向いたような感じで山に押しかけてくるんです。
気短なシチリア人のことですから、ちょっと車がつかえただけでもすぐにクラクションをやかましく鳴らします。
静かなはずの山の道に車が溢れ返り、まるで町のメインストリートの渋滞のようになるのは何とも場はずれな気がしました。
エトナ山の二次火口(寄生火山の丘)にいて荘厳な日の出を前にしても、クラクションがかすかに鳴り響いて来る音が聞こえてきて苦笑しましたっけ。
初めて見たエトナ山の初日の出。一生忘れない思い出になりました。
