私が大学生の頃、まだレポートや卒業論文を手書きで書く人は多かったんじゃないかと思います。私は「卒業脚本」という極めて特殊な卒業制作をしたのですが、手書きで書いたのをよく覚えています。
父は放送局に勤めていて著書も多くあったので、ちょうど私が大学に入った頃にワードプロセッサー(ワープロ)を使い始めていました。その当時、家にワープロがあった人は少なかったんじゃないでしょうか。
大学を卒業してテレビ関係の仕事をしていた頃にはまだ「テロップ屋さん」とか「和文タイピストさん」が会社に出入りしていました。その頃から急速にワープロが一般に普及したのですが、まだ私が大学院に入る頃まで日本は「ワープロ専用機」が主流でパソコンを使っている人は少なかったように記憶しています。
そして大学院に入った頃(今から30年ほど前)に急激にインターネットが普及しました。そして大学院を卒業して大学に勤務したての頃、GOOGLEやWIKIPEDIAが頻繁に使われるようになりました。
この頃、大学の語学のクラスでは、どこかのWeb-pageに載っている文章をそのままコピペして「自分の作文」として提出してくる学生がいたりもしました。「バレない」と思ってやっても文の一部を検索に入れて同じ文が出てくると前後を読んで「盗作」と判断したりしていました。
それから25年 今はもっぱら提出物をAIに頼ったかどうかを疑う時代になりました。日本の大学では一般企業が開発した「AIチェッカー」を有料で購入し、学生の提出物にAIが使われているかどうかを調べているそうです。そうやって「性悪説」に基づいて学生を疑うことにはどんな意味があるのでしょう。もし一生懸命書いて何度も直して提出したものを「AIを使った疑いがある」として無効にされたりしていたら本当に気の毒だと思います。
私はもう大学という教育機関を去り、もどることもないのですが、これから大学で学ぼうとしている娘が、AI台頭の過渡期で波に乗れず、ただただバカ正直にAIを使わせない大学の先生の言うことを聞いていたら、将来どうなってしまうのかと心配になります。
これからの大学では「学生は自分(教授)からしか知識を得られない」と思い込んでいる教員は淘汰され、学生が得た情報を正しく評価できる力を養ってあげられる人こそが教員になるべきだと思っています。そして大学での学びはクラスに出席してノートを取り記憶していくスタイルではなく、自らの問いの答えを多くの人と考えていくスタイルになっていくべきだと思っています。
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