ウェルニッケ脳症 | kyupinの日記 気が向けば更新

リエゾンで診るウェルニッケ脳症

1990年代に初めてウェルニッケ脳症の患者さんを診た。その患者さんは僕の担当患者さんではなかったが、非常に興味深いと思ったので保護室によく診に行っていた。

 

ウェルニッケ脳症は三主徴などと言われるが、臨床的には全て揃っていることはかなり少ないと思う。その患者さんは明らかに意識障害があり、そのために精神科病院に入院していたのである。

 

ウェルニッケ脳症の三主徴とは、眼症状(眼球運動障害など)、小脳性運動失調(歩行失調など)、 意識障害である。

 

当時、最初の患者さんを診ながら驚いたことは、連日、アリナミンFを大量に静注しているうちにほとんど正常な人に戻ってしまったことである。アリナミンF(フルスルチアミン)はビタミンB1の誘導体である。治療のポイントは、アリナミンFを絨毯爆撃のように投与することだった。

 

アリナミンFのアンプルは25、50、100㎎の3剤型があり、添付文書を見てもウェルニッケ脳症の適応の記載こそあるが、明確にいくら投与せよと言う記載がない。ウェルニッケ脳症の治療法を知らず、のんびり100㎎くらい毎日投与していると、重要な良くなる時期を逸し認知症(コルサコフ症候群)に至る。

 

これは治療者としては大失策で、裁判になればほぼ負ける事例である。

 

絨毯爆撃とはいかなる用量かと言えば、症状が重いウェルニッケ脳症では、500 mg 静注を1日3回、3~5日間投与するが、良くならないならもう少し長くても良い。なお、1500㎎は1日100㎎アンプルを15本である。これが絨毯爆撃でなくてなんであろう。

 

明確に良くなれば、1日250㎎くらいを数日投与する(5日間くらい)。その後、経口投与を長期に続ける。

 

なお、アリナミン投与は1日600㎎で良いと言う意見もある。いずれにせよ、ビタミンB1は多すぎたとしても尿に排出されるので、このような異常事態では大量投与する。同じ理由でウェルニッケ脳症の疑いでも投与した方が良い。

 

アリナミンFの100㎎アンプルは薬価的には1本100円くらいしかしないが、普通、院内薬局にたいした在庫がないことが多い。アリナミンFを常備するには、患者数としてはかなり少ないからである。そのためアリナミンFの100mgアンプルを購入しつつ治療を続ける。重篤なウェルニッケ脳症はいつも短期決戦である。

 

その後、ウェルニッケ脳症は自分の勤める単科精神科病院より、むしろリエゾンで診ることが多くなった。多いとは言え珍しい症例である。ただし、アルコール依存症専門の病院では事例はもう少し多いのでは?と思う。

 

リエゾンで診るウェルニッケ脳症は、たいてい無治療のアルコール依存症の患者さんであった。意識障害や幻覚があり、対応に困りリエゾンで紹介される。ちょっと驚いたのは、医師が上に挙げた投与すべきアリナミン用量を知らなかったことである。(1日1500㎎、1日600㎎いずれも正解)

 

そこで、身体科の担当医と薬剤師で話し合い、アリナミンFの投与量と購入計画を立てた。

 

普通、ウェルニッケ脳症はアリナミンFの大量投与が不発になり、速やかにコルサコフ症候群と呼ばれる重い認知症になったとしても、やむを得ないほどの重篤な器質性疾患である。

 

しかし、リエゾンで遭遇するウェルニッケ脳症は初回のアリナミンFの治療で、なぜか100%に近い確率で、見かけ上、普通の人に戻った。しかしながら、彼らは容易にアルコールを止めないので、永遠に入院しない限り予後不良である。

 

リエゾンでウェルニッケ脳症が初回治療で良くなる確率が高いように見えるのは、おそらく初めて精神科の治療を受けたからだと思う。

 

僕は本人と家族にいつも言う。「今回は幸運にも良くなりましたが、こういうことがまたあると、次は認知症になるリスクが高いです」

 

アルコール依存症があれほどの数いるのに、ウェルニッケ脳症になる人がかなり少ないのは、彼らに生物学的背景があると思わざるを得ない。

 

ビタミンB1は糖代謝に必須で、グルコース代謝が増えるほど大量に消費される。高需要になる状況とは、感染症、妊娠・授乳期、甲状腺機能亢進症、大量糖輸液などである。しかし、この程度の身体的背景で簡単にはウェルニッケ脳症にはならない。


主に大きな要因として、ビタミンB1の吸収低下(小腸でのトランスポーター異常)が挙げられる。ビタミンB1は小腸で主に SLC19A2 / SLC19A3 などを介して吸収される。

アルコール依存症のように栄養不足で連日飲酒していると、小腸粘膜が萎縮しトランスポーターがうまく働かなくなる。

 

 また、ビタミンB1をうまく利用できないというものがある。ビタミンB1を活性型(TDP:チアミン二リン酸)に変換するには酵素が必要である。Mg²⁺欠乏によるチアミンの活性化障害というものもある。マグネシウムはチアミンピロホスホキナーゼの補酵素である。

遺伝性チアミン利用障害(例えばSLC19A3変異)というものもある。 Leigh類似症候群・ビオチン/チアミン反応性脳症(BTBGD)

Mg欠乏はアルコール依存症や栄養不良に多く、チアミンを投与しても効きにくくなる。

 

アルコール依存症の人たちのうち、選ばれた人のみウェルニッケ脳症に至るのは、彼らにはこの辺りに脆弱性があるように思う。

 

なお、アルコール依存症の人で、アルコール性肝炎や肝硬変があると、予備のビタミンB1が不足しウェルニッケ脳症の促進要因となる。(これだけでは容易にならないが)

 

上でアリナミンFの大量投与により見かけ上、普通の人に戻ったと記載しているが、これは精神科の目から精神病症状、うつ状態、意識障害、あるいは認知症などが診られないことを言っている。

 

しかし、患者さんの妻や元妻などに聴くと、微妙だが昔のようではないと言う。精神症状でも家族にしかわからない僅かな変化、後遺症がきっとあるのだろうと思う。

 

また何度も意識障害を来たし、その都度、アリナミンF大量投与で見かけ上、普通の人に戻る人もいる。ウェルニッケ脳症になる人は特別だが、その中にもバリェーションがある。

 

リエゾンで診るウェルニッケ脳症に至るレベルのアルコール依存症は、治療後もなかなか精神科治療にのらず予後不良のことが多い。

 

たいてい5年以内に亡くなっている。

 

これはそれまで精神科にかかっていないような人、つまりウェルニッケ脳症に至るまで未治療の人は、その後も治療をしないのであろう。だから5年以内に亡くなるのである。

参考