広島への旅行記(後半)
784投稿者:kyupin 投稿日:2001年10月07日(日) 19時31分27秒
お昼頃に広島駅に着き、尾道までの切符を買う。僕たちは尾道まで快速なら30分ぐらいで行けると思っていた。切符代が片道1400円以上と結構高く、「これが東京の私鉄なら300円ぐらいだろうな」とか話していた。
在来線で尾道まで1時間以上かかるのである。しかもとんでもない田舎を走っていく。薬剤師さん「こういう汽車の旅って、僕は好きです」なんて言っており、満足している。
僕は鉄道は嫌いである。自動車の方がよほどいい。飛行機の旅も危ないとかあまり気にならない。とにかく1時間と10分ぐらいで尾道に着いた。駅から出るとすぐそこは海が迫っている。防波堤などがなく街が海にもろに面していて、台風が来たらどうするんだろうと思った。観光案内のパンフをもらい、売店のオッサンに美味しい尾道ラーメン屋について尋ねた。商店街を抜けて20分ぐらい歩くと、朱華園という有名な店があるらしい。
785投稿者:kyupin 投稿日:2001年10月07日(日) 19時36分49秒
駅から商店街に入った時、なんだこれは?と思うようなレトロな気分になった。薬剤師さん、「今も、こういう商店街が成立してますね・・」
皆、軒が低い感じで建物も古く、例えば帽子屋さんが帽子だけ売っている。マジで「こんなんで、ホントあんたたち、やっていけるんか?」と聞いてみたくなった。通りでカップルに会ったので、ラーメン屋のことを聞いたが、旅行者なんでよく知らないという。そういえば、平日ながら旅行者らしき女性の2人組などチラホラ見受けられる。
結局、ラーメン屋はすぐに見つかり、「尾道ラーメン」を食べてみた。店に入ってすぐに気が付いたのだが、確か26歳の時、この店に来た記憶がある。味は「醤油ラーメン」ベースでややこってりしており辛めと思った。これなら博多のラーメンの方が口に合う。しかし、食べているうちに味が染みてくるというか馴染んでくるようなうまさはあると思う。また、一緒に頼んだ麒麟ラガーのビールも、とてもうまいと思った。地方によってビールの味を少し変えてあるんだろうな。ホップが強めに利いてうまい、と薬剤師さんと話す。
786投稿者:kyupin 投稿日:2001年10月07日(日) 19時39分00秒
ラーメン屋を出て、近くにある「おのみち映画資料館」に行ってみた。これはすぐにわかった。尾道で過去にかなりたくさんの映画が撮影されている。その作品の映画のポスターとその解説などが展示されていた。
ちょうど資料館の中に、インターネットに常接してあるソーテックのパソコンが3台置いてあった。もちろんこの資料館のサイトに繋いであったが、「あめざーねっと2」もこっそり見てみた。つながったので近況をカキコしようとしたが書き込めない。すぐに諦め、尾道について今更ながら検索。結局、古寺めぐりぐらいしかないことがわかる。
だいたい地理を予想して御袖天満宮に行こうとしたが、道を間違え見当違いの方に2キロぐらい歩いてしまった。この偶然が、この旅行を面白いものにした。
小学生が歩いていたので道を聞くと、だいぶん戻らないといけないという。戻って天満宮にいこうとした時、散歩をしていた近所のおじさんと出会う。一緒に散歩しましょうという。話し好きの人らしく尾道や古寺の歴史などを丁寧に解説してくれる。
787投稿者:kyupin 投稿日:2001年10月07日(日) 22時21分19秒
尾道は天然の良港であり、中世から物資の集散の拠点となり栄えた。海が迫って街が開けているのは、平地が少なく背後がすぐに山になって平地が少なく、また台風が来ても目の前はすぐ向島や因島で囲まれ、高潮が来ないためだ。
古来、商売で財をなした人が多く、彼らが寄進することもあって自然に寺がたくさん建てられるようになった。細かいことは忘れてしまったが、足利尊氏などの話も出てきた。その案内をしてくれた○○さんという人は尾道出身で今は名古屋に住んでいるらしい。月に1度は尾道に帰っています、とか言っていた。
○○さんによれば、ポルノグラフィティは因島の出身らしい。歌詞に尾道まで楽譜を買いに行くなどの内容が出てくるという。言われてみれば、彼らは広島っぽい話し方ではある。
僕たちは、古寺の東半分を見て廻った。コースは、(タイル小路)>御袖天満宮>大山寺>持善院>西國寺>(三重の塔)>金剛院>浄泉寺>正念寺>(尾道東高等学校)>西郷寺>(私立図書館)>浄土寺
といった具合だ。尾道東高校は林芙美子の出身高校だ。(当時は尾道高等女学校)さすがに歩き疲れて、ちょっと休みたい気持ちになった。
788投稿者:kyupin 投稿日:2001年10月07日(日) 22時22分07秒
尾道の漁師は、遠くは長崎の五島まで行って漁をしたらしい。漁法を教えていた面もある。しかし一部は難破などで帰れなくなり五島に住むようになった。今でも五島のお墓を調べると、備後に向いて建てられているものがあるという。
当時から身分差別が厳しく、職業により住む場所が決まっていた。やがてお金持ちは丘に上がり斜面に家を建てて住むようになった。財をなした人が多かったので、立派な家があったんだろうと思う。古寺がけっこう土地を持っていて、地代を払って家をたてている人が多い。
○○さんの友人はある寺から月額1500円の地代を払って家に住んでいるが、その寺は200軒以上そんな風に土地を貸しているという。古い街並みは、賃借権の関係で複雑になっていて、これはすぐにはどうにもならない。
「あんたら、やっていけるんか?」と思ったレトロな商店街も、固定資産税さえ払えればといったような感じで、あまり儲けようとかはないなのだと思う。つまりこれまでの蓄積が大きいのだろう。
789投稿者:kyupin 投稿日:2001年10月07日(日) 22時23分41秒
ひと通り、東の方の古寺を見て廻り、それから海岸のほうに降りていった。港にはたくさんの漁船が停泊している。尾道は近代になってもお金持ちが多かったため、しばしば旦那衆が有名人を呼びもてなしていた。だからここに馴染みのある文学者や映画関係の人が多くなったという。
今の街並みも、いかにも映画に使えそうな風景が多い。そのままでも古い雰囲気が出せると思う。尾道は軍港ではなかったので戦災もほとんどなかったらしい。夕方5時頃、○○さんに食事と酒のお薦めの店を聞いてみた。尾道は高級料亭もあって芸能人がよく使用するらしい。
庶民的な店でお薦めの店をいくつか聞いた。串揚げの店で新鮮な海のネタを使用しており美味い店を紹介してくれた。「ひとくち」という店だった。早い時間に行ってみるとまだ開いてなくて、海岸に戻り一緒に住吉神社に行き時間をつぶした。
790投稿者:kyupin 投稿日:2001年10月07日(日) 22時26分19秒
この近所の通りに、「つたふじ」という尾道ラーメンがある。地元の人はここに行くと話していた。基本的に尾道ラーメンというのはなくて、有名なところは「尾道ラーメン」と出していないらしい。あれは実は「中華そば」と言う。後発のラーメン屋が人気を取るために尾道ラーメンと言っていると聞いた。しかし今回はもう行けないと思った。
時間が来て○○さんと別れる。連絡先も聞かず、今、考えるとお礼もできない。その後、「ひとくち」と言う店に行って、言われたとおり穴子やタコなどの串揚げを食べる。穴子なども一匹そのまま揚げてくれる。あっさりしてかなり味が良い。オヤジは尻尾から食べるようにとかいろいろ食べかたに注文をつける。
ネタが新鮮なのと、揚げ方が良いんだと思う。僕はわりあい油ものが苦手で、しばらく食べるとウッと来てそれ以上食べられなくなる。ところがこの店ではそんなことがなかった。ビールや酒も飲んで、かなり串揚げも食べたが、お勘定を聞くと2人で1万程度だった。これは良心的。
791投稿者:kyupin 投稿日:2001年10月08日(月) 00時23分03秒
飲んで食べて満足したが、店を出た後、お薦めのカクテルの店「暁」に行った。先代のオーナーは洋酒の収集家でかなりの種類が店に置いてある。今は2代目が継いでいて、紹介されて来ましたと言うと喜んでいた。この店はミュージシャンも時々訪れるらしい。
(中略)
新尾道駅に着いた時、地面がグルグル廻っている状態だった。薬剤師さんは、新幹線に乗ってから吐いていた。彼は、実家はかつて造り酒屋だったらしい。かなり酒が強いが、今回はかなりやられていた。毎回思うが、カクテルは口当たりが良すぎていつもこうなる。ちっと考えて飲まないと・・
新幹線で15分ほどで広島に着いた。ホテルに帰りすぐに眠った。
796投稿者:kyupin 投稿日:2001年10月08日(月) 20時42分25秒
10月6日(最終日)
朝から悲惨。7時頃起きると、テレビがつけっぱなし。掛け布団も蹴って落としており、浴衣だけで寝ていた。頭がガンガンする。が、吐き気はほとんどない。「これは水分を取らないと」と思い、冷蔵庫からポカリスエットを出して飲む。これでまた一眠り。
9時半頃、起きると頭痛は消えていた。ただ、何か食べれる感じではない。薬剤師さんに連絡し、11時ぎりぎりにチェックアウトすることにした。今日は気が向けば宮島に行く予定だったが、薬剤師さんはもっと二日酔いがひどく中止。ちょっと残念なのは、結局、お好み焼が食べれなかったこと。美味しい店をネットで調べて行ってたんだが。
面白かった学会旅行、やっと終わる。
(少しだけ加筆)
参考
広島への旅行記(前半)
お昼頃に広島駅に着き、尾道までの切符を買う。僕たちは尾道まで快速なら30分ぐらいで行けると思っていた。切符代が片道1400円以上と結構高く、「これが東京の私鉄なら300円ぐらいだろうな」とか話していた。
在来線で尾道まで1時間以上かかるのである。しかもとんでもない田舎を走っていく。薬剤師さん「こういう汽車の旅って、僕は好きです」なんて言っており、満足している。
僕は鉄道は嫌いである。自動車の方がよほどいい。飛行機の旅も危ないとかあまり気にならない。とにかく1時間と10分ぐらいで尾道に着いた。駅から出るとすぐそこは海が迫っている。防波堤などがなく街が海にもろに面していて、台風が来たらどうするんだろうと思った。観光案内のパンフをもらい、売店のオッサンに美味しい尾道ラーメン屋について尋ねた。商店街を抜けて20分ぐらい歩くと、朱華園という有名な店があるらしい。
785投稿者:kyupin 投稿日:2001年10月07日(日) 19時36分49秒
駅から商店街に入った時、なんだこれは?と思うようなレトロな気分になった。薬剤師さん、「今も、こういう商店街が成立してますね・・」
皆、軒が低い感じで建物も古く、例えば帽子屋さんが帽子だけ売っている。マジで「こんなんで、ホントあんたたち、やっていけるんか?」と聞いてみたくなった。通りでカップルに会ったので、ラーメン屋のことを聞いたが、旅行者なんでよく知らないという。そういえば、平日ながら旅行者らしき女性の2人組などチラホラ見受けられる。
結局、ラーメン屋はすぐに見つかり、「尾道ラーメン」を食べてみた。店に入ってすぐに気が付いたのだが、確か26歳の時、この店に来た記憶がある。味は「醤油ラーメン」ベースでややこってりしており辛めと思った。これなら博多のラーメンの方が口に合う。しかし、食べているうちに味が染みてくるというか馴染んでくるようなうまさはあると思う。また、一緒に頼んだ麒麟ラガーのビールも、とてもうまいと思った。地方によってビールの味を少し変えてあるんだろうな。ホップが強めに利いてうまい、と薬剤師さんと話す。
786投稿者:kyupin 投稿日:2001年10月07日(日) 19時39分00秒
ラーメン屋を出て、近くにある「おのみち映画資料館」に行ってみた。これはすぐにわかった。尾道で過去にかなりたくさんの映画が撮影されている。その作品の映画のポスターとその解説などが展示されていた。
ちょうど資料館の中に、インターネットに常接してあるソーテックのパソコンが3台置いてあった。もちろんこの資料館のサイトに繋いであったが、「あめざーねっと2」もこっそり見てみた。つながったので近況をカキコしようとしたが書き込めない。すぐに諦め、尾道について今更ながら検索。結局、古寺めぐりぐらいしかないことがわかる。
だいたい地理を予想して御袖天満宮に行こうとしたが、道を間違え見当違いの方に2キロぐらい歩いてしまった。この偶然が、この旅行を面白いものにした。
小学生が歩いていたので道を聞くと、だいぶん戻らないといけないという。戻って天満宮にいこうとした時、散歩をしていた近所のおじさんと出会う。一緒に散歩しましょうという。話し好きの人らしく尾道や古寺の歴史などを丁寧に解説してくれる。
787投稿者:kyupin 投稿日:2001年10月07日(日) 22時21分19秒
尾道は天然の良港であり、中世から物資の集散の拠点となり栄えた。海が迫って街が開けているのは、平地が少なく背後がすぐに山になって平地が少なく、また台風が来ても目の前はすぐ向島や因島で囲まれ、高潮が来ないためだ。
古来、商売で財をなした人が多く、彼らが寄進することもあって自然に寺がたくさん建てられるようになった。細かいことは忘れてしまったが、足利尊氏などの話も出てきた。その案内をしてくれた○○さんという人は尾道出身で今は名古屋に住んでいるらしい。月に1度は尾道に帰っています、とか言っていた。
○○さんによれば、ポルノグラフィティは因島の出身らしい。歌詞に尾道まで楽譜を買いに行くなどの内容が出てくるという。言われてみれば、彼らは広島っぽい話し方ではある。
僕たちは、古寺の東半分を見て廻った。コースは、(タイル小路)>御袖天満宮>大山寺>持善院>西國寺>(三重の塔)>金剛院>浄泉寺>正念寺>(尾道東高等学校)>西郷寺>(私立図書館)>浄土寺
といった具合だ。尾道東高校は林芙美子の出身高校だ。(当時は尾道高等女学校)さすがに歩き疲れて、ちょっと休みたい気持ちになった。
788投稿者:kyupin 投稿日:2001年10月07日(日) 22時22分07秒
尾道の漁師は、遠くは長崎の五島まで行って漁をしたらしい。漁法を教えていた面もある。しかし一部は難破などで帰れなくなり五島に住むようになった。今でも五島のお墓を調べると、備後に向いて建てられているものがあるという。
当時から身分差別が厳しく、職業により住む場所が決まっていた。やがてお金持ちは丘に上がり斜面に家を建てて住むようになった。財をなした人が多かったので、立派な家があったんだろうと思う。古寺がけっこう土地を持っていて、地代を払って家をたてている人が多い。
○○さんの友人はある寺から月額1500円の地代を払って家に住んでいるが、その寺は200軒以上そんな風に土地を貸しているという。古い街並みは、賃借権の関係で複雑になっていて、これはすぐにはどうにもならない。
「あんたら、やっていけるんか?」と思ったレトロな商店街も、固定資産税さえ払えればといったような感じで、あまり儲けようとかはないなのだと思う。つまりこれまでの蓄積が大きいのだろう。
789投稿者:kyupin 投稿日:2001年10月07日(日) 22時23分41秒
ひと通り、東の方の古寺を見て廻り、それから海岸のほうに降りていった。港にはたくさんの漁船が停泊している。尾道は近代になってもお金持ちが多かったため、しばしば旦那衆が有名人を呼びもてなしていた。だからここに馴染みのある文学者や映画関係の人が多くなったという。
今の街並みも、いかにも映画に使えそうな風景が多い。そのままでも古い雰囲気が出せると思う。尾道は軍港ではなかったので戦災もほとんどなかったらしい。夕方5時頃、○○さんに食事と酒のお薦めの店を聞いてみた。尾道は高級料亭もあって芸能人がよく使用するらしい。
庶民的な店でお薦めの店をいくつか聞いた。串揚げの店で新鮮な海のネタを使用しており美味い店を紹介してくれた。「ひとくち」という店だった。早い時間に行ってみるとまだ開いてなくて、海岸に戻り一緒に住吉神社に行き時間をつぶした。
790投稿者:kyupin 投稿日:2001年10月07日(日) 22時26分19秒
この近所の通りに、「つたふじ」という尾道ラーメンがある。地元の人はここに行くと話していた。基本的に尾道ラーメンというのはなくて、有名なところは「尾道ラーメン」と出していないらしい。あれは実は「中華そば」と言う。後発のラーメン屋が人気を取るために尾道ラーメンと言っていると聞いた。しかし今回はもう行けないと思った。
時間が来て○○さんと別れる。連絡先も聞かず、今、考えるとお礼もできない。その後、「ひとくち」と言う店に行って、言われたとおり穴子やタコなどの串揚げを食べる。穴子なども一匹そのまま揚げてくれる。あっさりしてかなり味が良い。オヤジは尻尾から食べるようにとかいろいろ食べかたに注文をつける。
ネタが新鮮なのと、揚げ方が良いんだと思う。僕はわりあい油ものが苦手で、しばらく食べるとウッと来てそれ以上食べられなくなる。ところがこの店ではそんなことがなかった。ビールや酒も飲んで、かなり串揚げも食べたが、お勘定を聞くと2人で1万程度だった。これは良心的。
791投稿者:kyupin 投稿日:2001年10月08日(月) 00時23分03秒
飲んで食べて満足したが、店を出た後、お薦めのカクテルの店「暁」に行った。先代のオーナーは洋酒の収集家でかなりの種類が店に置いてある。今は2代目が継いでいて、紹介されて来ましたと言うと喜んでいた。この店はミュージシャンも時々訪れるらしい。
(中略)
新尾道駅に着いた時、地面がグルグル廻っている状態だった。薬剤師さんは、新幹線に乗ってから吐いていた。彼は、実家はかつて造り酒屋だったらしい。かなり酒が強いが、今回はかなりやられていた。毎回思うが、カクテルは口当たりが良すぎていつもこうなる。ちっと考えて飲まないと・・
新幹線で15分ほどで広島に着いた。ホテルに帰りすぐに眠った。
796投稿者:kyupin 投稿日:2001年10月08日(月) 20時42分25秒
10月6日(最終日)
朝から悲惨。7時頃起きると、テレビがつけっぱなし。掛け布団も蹴って落としており、浴衣だけで寝ていた。頭がガンガンする。が、吐き気はほとんどない。「これは水分を取らないと」と思い、冷蔵庫からポカリスエットを出して飲む。これでまた一眠り。
9時半頃、起きると頭痛は消えていた。ただ、何か食べれる感じではない。薬剤師さんに連絡し、11時ぎりぎりにチェックアウトすることにした。今日は気が向けば宮島に行く予定だったが、薬剤師さんはもっと二日酔いがひどく中止。ちょっと残念なのは、結局、お好み焼が食べれなかったこと。美味しい店をネットで調べて行ってたんだが。
面白かった学会旅行、やっと終わる。
(少しだけ加筆)
参考
広島への旅行記(前半)