昨日の怒り記事の正体はこれだった 。~いざ、人生劇場な私。 | 頭で悩むより、神経系から整える。人と心がもっと愛おしくなる話

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人が前に進めないとき、身体と神経系では何が起きているのか?東京藝大卒・元ソニーミュージックディレクターの皆川公美子が、独自の「BMS(心身相関)」視点で人の心と感性の世界をマニアックに紐解く探求ブログです。

リンカラ 皆川公美子です。


昨日の怒り記事

自分の魂と向かい合う、それがアートということだと思う~教育現場への願い


から一晩あけました。


ブログでもFBでも
反応コメントくださったみなさま、
ありがとうございます


ギャンギャン怒っているときに、

スルーされるほどピエロなことはないからね(爆)

「まあ、どうどう~落ち着けや」   も 「そうだよね!」  と言ってくださるのも

両方ありがたかったです。みなさん、ありがとう





書いているとき、自分ではもう沈静化しているように頭では考えていたけど、

実は心と身体はまだフガフガでした。ブタ


(だから一晩寝かせるって大事よ、、、、)



一晩寝て、今朝はまた全く違う感じがあるので、ここに記してみようと思います。

それは

①あたし、結構人生を楽しんでるじゃん!

と

②娘たちの反抗期が相当つらいね、
でも結構がんばってるね

のふたつです。(笑)




毎日心を動かして(揺さぶられて)生きている、

そのこと自体を悪いことだと思わない。

喜びや嬉しいことも多いけど、

嫌なことが起こって、即座に身体が反応することもある。

自分の怒り、起こったことをいやだという感じ、

もしかしたら正義をブンブン振り回しているかもしれない、

それに人も巻き込んでいるかもしれない、

けれど、今言いたい、

言いたいことは言ってしまおう、



という中で、思ったの。

これは

人生劇場だね! (←自分で言う)


そうやってああでもないこうでもないと

自分の中で、

そして自分以外の人と

ワイワイやっている感じ、

これは「ドイツ人の議論好き」とか

「アメリカ人のパーリー好き」と

同じことなんじゃないかい?



それも程度問題ですけどね、

ものすごい勢いの罵倒とか

人生の絶望の淵へ相手を落とすようなトゲのある言葉にまで

上り詰めちゃうともちろんそれはダメだけど、

そしてもちろん物理的な暴力は言語道断ですけれど、

日常の気づき、

自分のなかの進化、

どこから来てどこへ行くのか的思索の大きなうねりのなかで、


自分の人生にたくさんのコンテンツ?があることを

自分で選んでいるのだなあ、と。

そしてそれを楽しんでいるんだなあ、と。


だからどうでもいいんでは、ないんです。

そのひとつひとつを味わっていくこと、

拒絶しないできちんと味わっていくこと、

それをしていこうとあらためて思った。






さっきも言いましたけど、これには

「程度問題」というバランスの問題が大きく関係しています。



例えばね、

私、facebookなんかでも

人がしているネガティブ投稿を

読めるときと読めないときがあるなって (←心の問題として)

自分で自分を見ながら思っていました。


どういうときにできてどういうときにできないか、

それは、

相手の持っている「毒素成分」と同じ毒素成分を

自分の中にどのくらい持っているのか、

自分がどれだけ健全性のなかに身を置けているか、

そういうことに関係があるなと思い至りました。

つまり、

自分がなにがしか傷ついているときは、
相手の傷をきちんと見守って癒してあげることはできないし、

自分がなにがし嫉妬心や競争心を持っているときは、
相手のギラギラしたものを見て
目をそらしてしまう傾向にある。


もっと言うと、相手の持っているものは、

それに出会った時点で自分も持っている。

そういう毒素成分をある意味、自分で引き寄せている。

でもそのこと自体に耐えうる自分と

今日はごめん、勘弁ね、って自分がいる

ってことかもしれないな、と。



そして怒りを持っていた自分をもう一度引き返してみてみたら、
簡単に気づく(笑)


私、娘の反抗期に結構傷ついているんだ、

そして

巣立っていこうとしている娘たちを見て、心の底で寂しく思っているんだな
、と。


それを認めようと思いました。



昨日の怒り記事を100メートル引いて見てみたら

「あ~~あの頃はかわいかったなあ」 的要素、満載ですね!

そうなんですよ、


かわいかったの!(笑)



それがね、最近では

「帰ってきたらお弁当箱出して」  の一言をきっかけとしてとらえて

壮大な戦争がはじまる


これが正直、、、思ったよりつらい。


「いったい私のどこが間違ってる?一点の曇りもない正しさじゃんか」

と思っている正義の剣振り回しの私と、

「きっかけは何でもいいただ親に反抗したい」という野生の娘の

全く噛み合わないケンカが今日も勃発。

頭では分かっているのです、

「反抗すること自体が目的で、何の意味もないんだ」と。

けれど、

結構繊細さんのワタシ(←自分で言う、、)は 一回一回参ったりもするのです。





部活の手伝いで週末にほかのお母さんに会ったりすると、

おばちゃん「ほんとうちで不機嫌でさ~、
何にも言わないくせに要求だけはイッチョマエ、
まあ、いいよ、はいはいって聞いとくの」。

と華麗に受け流しているお母さんたちに

尊敬のまなざし、いや

憧れのビームを送っている私です。



みんな お母さんとしての才能がすごい!!!

こういうものを私も身につけたい!


などどさんざん感化されてもどってくるのに、

また些細なことでケンカ。。。。

それも長女とダブル効果の波動砲戦車



子どもたちとの間に流れている信頼マークを

時々信じられなくなっている自分の悲しさが

昨日の怒り記事の正体です。はい。



でもね、一晩あけて、

娘と朝食をとっていると、

私が何でもすぐ忘れると笑い話になったり、

最近ワタシがちょこちょこ旅に出るのを見て、

三女C「お母さん、なかなかに人生を楽しんでる風だね」

なんて言ってみたり、

最後には一緒に飲みに行こういづれ、となって、

バカな母親は

小さなシアワセに舞い上がるのです。



さあ、今日もレッツ人生劇場