8年前。
ムスコを理解しようとする学校の先生はいなかった。

受診もして、診断書ももらっていたけど…
IQ的に遅れのない子どもにサポートを!と考えるベースもなく、それを何かに繋げることや通級指導教室に繋げる事もなく、ただただ「サボリ」「怠け」という言葉で片付けられてしまい…

人間不信となってしまったムスコ。

学校側からすると一人のために動けと保護者がクレームを言ってくる!自分の子どもを学校に連れてくる事もできないのに何がサポートだ!迷惑かけるな!
と…当時の学年主任は考えていた。

なので、協力してもらえることなどなくただただ時間が過ぎてしまった。


時間が経ち、
時代も流れ、
インクルーシブル教育などの考えが進み
不登校の人数も莫大に増え
先生方の考えも変化していき
できる事を最大限サポートし「子どもの未来をみんなで考える」チーム教育のような体制が整えられていった。

8年後。
緘黙っ子のことを学校へお願いする時、一瞬クレーム?と考える思考は今でも変わりません。

学校内だけで検討されてしまうと完全クレーム対応としての回答が来てしまい、協力体制にはなりずらいです。


ただ、「協力してほしい」と通級の先生や教育委員会などを通してクレームではないと理解してもらえると体制は整ってくるように感じます。


さらに、学校側の困っている事、できる事、できない事をこちらにも共有してもらえる事で協議の時間も短くなったように感じました。


子ども自身、嫌な事・不安な事があっても、それが全てではない。という経験を少しずつ積み重ねていける事がその先の経験に繋がっていくように感じています。

自分の周りの協力してくれる人、心配してくれる人を見つけて少しでも頑張れる環境を作り、その一歩を頑張っていると認められる経験を重ねていく事でほんの少しの一歩が少しずつ大きくなっていく事に子どもが気がついた時、さらに大きな一歩を踏み出す勇気に変わっていけると思うのです。


今まさにその経験を緘黙っ子は頑張っていて、不安な自分に打ち勝つ、その先の楽しさや優しさに触れる経験を積んでいるように感じます。



男女差。

あってほしくはないのですが、少し前は男らしく女らしくと当たり前にまとめられていましたが、多分ムスコの時代はその男らしさを求められた結果、支援には繋がりにくかったのかもしれません。


当時の担任及び学年主任は体育会系の方で、ナヨナヨすんなとか、そんなんだから学校来れないんだ!とか、嫌な言葉をムスコに投げかけていました。


現在は、時代の変化もあり、無理強いする事もなく、男女差も関係なくサポートしてもらえています。

それが当たり前じゃ無かった時代を知っているだけに男女差なのかなとも思ってしまいますが、ここは時代背景なのだと思います。



子どもが学校へ行かないのは何故なのか。

家庭で把握できる事、学校での姿、からまでの環境、いろいろなものを通して考えた時に学校でお願いできる範囲のことなのか、別の場所に通う事を検討してみる事が良いのか、休む事が必要なのか、いろいろと頭に浮かんできますが、


どんなサポートが必要で、子どもは学校へ通いたいと思っているのか、人を信じる気持ちが残っているかなど、把握して必要なサポートや支援、医療などに繋がれるといいですよね。


子どもがその年齢を子どもらしく過ごす事ができて、自分で一歩を踏み出す勇気を自分の中に貯める事ができる環境を整えられたら最高ですよね。



これからもどんどん変化していく教育現場。

親たちも少しずつ変化に合わせた情報を得ていきましょうね。