11月になって、LDっ子がボソボソっと学校の話をしはじめた。


この頃は少し気持ちが不安定だったことと体調不良もあり、学校へ行きたくないといい始めた頃。


「あのね、先生の『4年生はもう何でもできるのスゴイよね』って言うのがプレッシャーなの。同じクラス(4年生と2年生の合同クラス)の2年生の前で言われるから、こっちは頑張ってやってるのに

『4年生はスゴイ』って、

何がスゴイの?、

『何でもできる』

って何?何でもできるわけないじゃん。

全然こっちのこと見てないからそんな事言うのが嫌だ。先生がそうやって言ってきたら4年生は目を合わせて困った顔してるのに…」


といい、まだ続く…


「今日2年生漢字の下のドリルが終わったんだけど、【やることBOX】の中にまた2年生の上のドリルが入ってて、先生は何も言わないからやらなくちゃいけないのかなって思ったからやってるけど、これって私は出来てないって思われてるからそれが入ってるって事だよね。出来てないって思ってるのにみんなの前では何でもできるって言うのって何なんだろうね。あの先生は2年生の先生だから4年生は担任がいないんだよ。誰に相談したらいいのか分からない。だから行きたくない。」


と話して泣いてた。


運動会も色々な行事も過ぎ、クラスが一体となる時期に9歳の子どもが客観的に担当の大人の行動を見て、自分たちには寄り添ってくれない人なんだなと判断できる要素をすでにいくつか集め、自分に対する言葉や態度でこの人は担任ではないと判断したようだった。


翌日、学校を休んだ事もあり担任の先生から電話がきたので、子どもの気持ちをそのまま伝えた。

もちろん先生はそんなつもりは無かったようだが、それが更に誤解をうむこととなっていたようで必死に私に理解するよう求めていたが、話を止めて


先生すみません。この事は子どもが今までの先生をみて感じてきた事です。4月の面談の時から少し心が弱っているので話す時間を少し設けていただけないでしょうかとお願いをしてましたが、話せて無かったという事ですよね。でしたら今私に伝えようとしてくれている言葉を子どもに伝えてくれませんか?親がいくら理解したからと言って学校へ行くのは子どもなのでお願いします。話しをしてもらえませんか?と伝えた。


LDっ子がなぜ「2年生の先生」と言うようになったのかと言うと、

個別支援級の中でもその先生が2年生をまとめる担当となっていて、2年生のすべての行事への引率および課外授業などほとんどの授業をその先生が受け持っていた。4年生は教科ごとに教室も担当の先生も違っているという仕組みだったようだ。なので4年生の事は担任とはいえほとんど見ておらず、個別課題で自分のクラスで行うときだけしか見てもらえなかった様子。

なので、子どもの思いと先生の思いがすれ違っていたのだけれどそれすら気がづく事もなく11月となり、子どもが今まで受け持ってくださった先生との対応の差についていけず吐露した事がキッカケで気がついたと言うわけです。



そして話は戻り、ドリルの話しなのですが詳しく聞くと『昨年までのよりドリルの内容分かりやすかったのでLDっ子に良いと思って』との事。


ここで個別支援級での良いところでもありちょっと残念な事は、完璧にできるまで無限ループだということ。


その理由は、出来ない事があるのに先には進めないらしい。(←この発言は別の先生が言った言葉です)


なので学習はずっと同じ事をできるまでずっとずっと続く。個別課題は個別学習なので分からなかったら教えてもらうシステムですが、上記にも記載したように下の学年の子もいて、先生も下の学年の担当をしているので基本下の学年の子どもをみることが無意識的に行われていて、分からないと言わなければ別にやってもやらなくても何も言われないでその時間は終わる。3年間同じドリルをやらされているのでドリルの漢字は読めるし書き写せるので何も困らず淡々と進めていたようで、文字を思い出すアドバイスがあるわけでもなく、ただただ写経の時間を過ごしていた訳で…ドリルももう買っているので今更いらないとも言えずやらせてもらってます。


が、

昨年までは学習範囲を見込んで何冊かドリルを用意していただき、それを子どもに「やりたいと思うもの」をやり始めるようにしてもらっていたのでようやく2年生のドリルが終わったと思っても3年生のドリルにはいつ届くのか…


もしかしたら卒業まで2年生のドリルが続くかもです…。


書く事も大事ですが読めることを大切にしたいと伝えても、個別支援級ではやはりできるまで先に進めないのでとても世界が小さくなってしまいます。


これは我が家のLDっ子の話であって他の学校、他のお子さん、他の先生で対応が違う事は分かっております。




ただ、いろいろな事があって、個別支援級と普通級と、LDっ子にとってどちらが良かったのか…考えさせられる一年でした。


最終的にはLDっ子にとって、その時に大切なものを経験させてもらえる環境はどっちなのかなって事なのですが…



学校へ行き始めると、子どもの事なのに子どもが置いてけぼりにされているような気持ちになる時があります。それは制度や仕組みの中で型にハマらないからかもしれませんが…


許容範囲は広く設けてあっても、少しのズレで悩んだり困ったりしてしまう。そこに子どもへの理解ある先生がいてくださった時にはどんな状況でも子どもは前向きになる時があると思いますが、無理解や目の前の子どもではなく先生の中の過去の子どもを投影された接し方をされると子どもは心を開かないか一気に引いていく事があると思います。


これは家庭環境がどうとかと言うよりは、本当に学校の中で今目の前で接してくれている大人に対してだと思うけれど…

なので、心開かせるチャンスでもあるけれど

今の学校は先生が忙しそうです。


LDっ子が良い子ではなく、LDっ子として話してもらえるようになったら嬉しいなと思います。


人生は始まったばかりだからね。