先日、Xをなんとなく見ていた時に流れてきた投稿で
「不登校児のママ友はあまり必要ない。」
という内容があった。
(投稿内のニュアンスだけで記載しています。必ずしも同じ内容ではありません)
この投稿をみて…
私も同じ意見だなと思った。
私も子どもが不登校を選んだ当初は15年以上も前だったので、不登校のお子さんは学年に1〜2人程度だったので、我が家がその小さな枠に入っていて不登校児の親に出会うことすら稀だったように思います。
なので不登校の現状を知るために不登校の親の会などに参加したりしてましたが、私にはそこは合わなかったのでした。
不登校の本もそうですが、その中には私の子どもの内容が一致するものなど一つも無いと感じたからです。
ただ、親側の思いという点では共通するものはあるように感じましたが、それもやはり家庭環境や学校周囲環境の違いや子どもの性格の違いや地域性の違いもあり得るものは少なく、知る事に関してはさらに少なく感じました。
親というものは、子どもを知りたいと思いながら
子どもを見なくなってしまうものだな。と自分に恥じたこともあり、自分の子どもの声を聴くようにしました。
心の拠り所が必要な時や
情報共有のために
保護者の居場所は必要で
たまに自分の子どもを客観的に見てみる事に
集まれるような場所は必要かなとは思います。
なので全てを否定するつもりはありません。
ただ、私には合わなかったなって思った出来事だったなという事です。
あまり距離が近すぎてしまうと
うまくいかなかったり
比較してしまうこともあるので
トラブル回避術を備える必要はあるのかなと思いますが、付かず離れずの同士のような関係性の知り合いにはとても支えられました。
何かをしてもらったというよりは
ただただ見守ってもらいました。
先輩ママさんや
子どもが同じ歳の日本のどこかにいる同士のような頑張っているママさんにずっと見守ってもらっていました。
見守ってくださったママさんは私の仕事の関係で知り合ったり、このブログを通して知り合ったりしていて、子どもの話しがメインではない環境下で相談や話しを聞いてもらうような関係性でも無い状況でしたが、不登校児のママというワードで知り合っても私の友人として繋がっている方が私には必要だったんだなと思いました。
不登校児のママ友ではなく、
私の友人として
お互いの選択を尊重する存在。
人との繋がりは不思議ですよね。
親と子もそうで
なぜ?と考えても答えはわからないけど
大切にしたいと思える繋がりであってほしい。
不登校とは選択のひとつ。
子どもがその選択に潰されず
自分の心を育てられるように
サポートする存在が親なのかなと思います。
今の日本では通信制の義務教育はまだまだ先なのかもしれませんが、義務教育時代に心がポッキリ折れないよう、しなやかな強さを育めるようにいろいろ考えていける大人でありたいと思います。
