発達障害と二次障害について話していこうと思います。
発達障害は、生まれ持ったもので発達に凸凹があったり発達が年齢よりもゆっくりだったりという特徴があります。
そして優れている部分とゆっくりな部分の差が広くバランスがとりづらいこともあります。
我が子もそれぞれに凸凹があり
それがどんな凸凹なのかを知ることが寄り添いの一歩目だと思い、よく観察をしていました。
二次障害は、
環境下におけるものが大きいのかなと思います。
発達障害について周囲の理解がないもしくは理解を得られない
凸凹の理解がない
子どもを見ずに協調性を求める
子ども自身を否定する
子どもの環境を否定する
支援に繋げない
できないことだけをフォーカスする
できないことへの苛立ちをぶつける
などなど…
色々考えられますが…
子どものアイデンティティにも関わる部分や存在自体を受け入れられないことで子ども自身が生きることへの無力感を感じてしまう事が起きてしまう。
さらに、正解を教えられないまま答えを求められるような状態が続いてしまい「自分」というものを見失ってしまい苦しくなってしまうこともあるかもしれません。
大人は答えを教えているつもりでも
問い(求められている状況)と答え(反応)が線で結びついていなければ、答えがわからない正解が導き出せない状況になってしまうのかなと思います。
私たちの生きている時間軸はとても早いです。
そして今は速さを求められる時代でもあります。
受け応えひとつでも迅速に対応を…と身体の中に刷り込まれてしまっています。
その世界の中で問いと答えが結びついていないことが幾つもある状況はとても苦しいものだと考えられます。
発達に関することは、自分では気がつきにくいです。
【なんかみんなと同じようにできない…】
とは思っていても、自身で統計を取れるわけではないので「自分は普通」「自分が普通」と考えて【なんでみんなは分かるんだろう?】と周りはスゴイ人ばかりだと感じてしまうのかもしれません。
そんな場面ばかりに出会っていると心が後ろ向きになり「どうせ自分はできない」「自分はダメだ)と感じる事も多くなってしまい、人と関わることが前向きにできなくなってしまいます。
なんだか不器用だな。うまくいかない方が多いな。なんだか自分だけ叱られる。注意されるな。と感じても、自ら「発達がゆっくりなのかな」と言うことは子どものうちはあまりないと思います。
幼稚園や保育所、学校などで気づかれることも多くありますが、それまでにはたくさんの注意や指導がされてしまう可能性も高いです。
支援できるもしくは繋げられる大人に気がついてもらうまでに劣等感が膨らんでないと良いのですが…
たまに親切心で劣等感をえぐる大人にあってしまうと…二次障害を発症する確率はグッと上がるように感じます。
子どもがその子のままでいられない環境を長く過ごしてしまうと自分自身を支えるチカラが尽きてしまい、鬱など強制的に休養する時間を設けないと回復できない状況になってしまいます。
が、二次障害も自己防衛と考えると
その人(その子ども)に必要な時間なんだと周りが理解し一緒に歩むにはどうしたらいいかを考え支えていくことがとても大切になります。
支援と繋がることや
繋がらなくても周囲に理解しようとしてくれる人がいるということを実感できることがチカラに変わることがあります。
人はひとりでは生きていけないので
助けてくれる人
困ったを伝えられる人
一緒に笑える人
大切にしてくれる人を
見つけるチカラを育むと心強いですよね。
勉強ができなくても、生きてくチカラを育めたら未来が少し明るくなるような気がします。
