2025年

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。


お正月も過ぎ、冬休みが終わりました。


子どもの頃は、この時期の登校の楽しみは

霜柱を見つけることでした。


今はなかなか見つけられませんが

もう少し続く冬に期待をしたいと思います。



冬休み明け、我が家の子どもたちも動き始めました。


ゆっくりゆっくりですが

行ける時に備えて準備をしています。


周囲の流れより本当にゆっくりですが

自分のペースを守りながら

楽しめるようにと…


場面緘黙の真ん中っこは

一生懸命自分を奮い立たせ不安と闘ってます。


LDの末っ子は

書き初めの「音」という字を頑張って練習していました。


それぞれ大変なこと、頑張ることが違います。

周りの理解や支援も全く違います。


それぞれに理解を求めて話し合い、年齢に合った目安と能力に合った道筋を考え擦り合わせ、この道が子どもたちが歩みやすく頑張れるかを考える。


それがとても難しい。


自分が歩むならどんなにいいか…

子どもたちがそれぞれに個として頑張り続けなくてはならないし、学校側の考える支援という名の指導を受け取れるかにもよる。


道筋を考えたところで長期的目標のために背中を押したことが明日の子どものチカラを奪うこともある。

それを一つづつ様子を見て学校へ伝えながら、子どもたちにも伝えて、子どもたちがそれをどう感じてどう思ったかを教えてもらい修正する。


ある人からすれば過保護と見てるかもしれない、

ある人からすれば親のエゴに見えるかもしれない、

ある人からすれば当たり前のことなのかもしれない、


いろんな外部の言葉を噛み締めながら

親として子どもの今と未来をどう考えるかを常に問う。


そして、私が今やる事できる事を考える。


毎日外で頑張る子どもの背中をさすりながら…

その気持ちを共感し、どうして欲しかったのかを聞く。その時どうしてして欲しかったことがしてもらえなかったのかを一緒に考える。

周りの環境を言葉に変えて伝えて、狭くなってしまった視野を少し広げて、どうしたらいいかをさらに一緒に考える。


場面緘黙は、動かない話せないだけで

感じてないわけでもないし、考えられないわけでもない、自分で自分の動けないことが悔しいと思うことだってある。でも周りから見えている子どもは『泣いて動かないわがままな人』になっちゃうから…


LDの子だって書くことに集中すると他のことが受け取れないし、何書いてるかわからない文字を一生懸命書き写すけど上手くできない事をどうしてもわかってもらえない…


いろんな思いを持ち帰る。


それを一週間やると心がすり減るのよね…

冬はとくに日が短いから、凸凹の子どもにとってはちょっと動くことにチカラがいる時期でもあるのかなって思います。


それぞれのペースで来年度に繋げられるようにこの時期を大切に歩んでいきたいと思います。