今や約34万人の子どもが不登校と言われる状況にある。


急激に増えた学校へ行かないを選んだ子どもを理解しようとたくさんの方が考え理解しようとしている。


だけど、その解決策は一つしかない。

それは、【 学校への再登校 】


どうすれば学校へ行けるようになるのかを考える人が増えた。


中でも、学校側が

譲れるルールや環境を考え、理解する大人を増やそうと努力をしている。だが、学校へ戻るための努力を親はもちろん、行かないと決めた子どもにもするように求める事が前提にある。


学校側は推測する、

子どもの心が弱いのか、勉強についていけないのか、家庭環境が元々悪かったんじゃないか、やる気がないだけなのか…等、子どもを取り巻く環境の中から原因を探る。


結果、学校側の原因ではない!といい


「支援」は外部の社会資源に求めていただき、やはり子ども側に原因があった場合には歩み寄る姿勢はありますよ。というくらいで学校側が用意する支援という名のものはほぼない状況である。


学校側は、

いつでも門をオープンにしている、生徒が来れる時に敷地内へ入ることを許可する、場所は保健室でも、会議室でも、特別用意された部屋でも、どこかに来ることを目標とする。

それに向けての「準備」を【学校内の支援】とよぶ。


はて…

この支援の中の「子どもの気持ち」はどこにあるのだろうか?


例えば、

あの頃に戻りたい…

行きたくない…

居場所だった場所がない…

外に出たくない…

勉強したくない…

勉強が分からない…

学校の…が嫌い…

あの人に会いたくない…

自分を理解してもらえない…

頑張っているけどもっと頑張れって言われる…

めんどくさい…

朝起きられない…

朝が怖い…

…など


いろいろ思っていても、それを言葉にする事は難しい。

大人が端的な言葉の本質をみてくれるのか…

そもそも親も信用していないのに、先生に話したところでやっぱり努力しろと言われてしまったら心が持たない…

それに行きたくないって言ってるのになんでそれを聞いてくれないの?意思表示してるじゃん!むかつく!!

と考えているかもしれない。



今中学校へ行くとムスコの時代とは受け入れの体制が全く違っている。まだまだ整っていないと言われている不登校の扱いが、あの頃よりは良くなっている。


あの頃の状況を保護者の方と共有する機会があり、いただいた言葉は

「ムスコくんの様に学校で辛い思いをした子どもたちがいたから、今の学校が少しずつ変わってきているんだと思う。ムスコくんは辛かったと思うけど、今の子どもたちが守られているのはムスコくんがいてくれてたからだと思う。頑張ってるね。」だった。


長く子育てをしていると、常識の変わる瞬間にときどき出逢う。


変わってくれてよかった!と思う事がある。


そして、あの頃に今の環境があればムスコは傷つかずにすんだのに…とも思ってしまう。



だからといって、

不登校でもいい!という社会にはなってなくて

学校は行かなくても自宅での勉強が反映される社会になっているわけでもなくて、

学校への再登校がまだまだ目標とされていて、

まだまだ、学校へ行かないのは子どものせいだ!と唱える大人がとても多く存在している。


人は変わるとこを求めながらも

変わらないことへの安心感をもつ


だからこそ

何十年前と同じことを子どもたちが同じように行う事に違和感を持たない人たちがいる。

すぐに変えられない物もあるけれど変わらない事に安心する大人が子どもの意外と近くに存在する。



日本は識字率の高さは高くても

読んで考える事ができない人が増えてしまっているように感じる。


「学校に行かない」を選んだ子どもたちは

違和感を感じて行動にうつした人である。


自宅での学習をカリキュラムとは別だとしてでも認められる社会ができていったら、学校へ行かない事が問題ではなくなると思う。もしそのシステムができても学校へ行く人は行くし、今とそんなに変わらない社会なのではないかと思う。


子どもが子どもでいられる選択肢を一つでも多く選べる社会になってほしいと願い続けていく。