心のことを勉強中‼️ココです😊


まともじゃない自分

まともじゃない考え方、

まともじゃない生き方、

まともじゃない過去、現在、未来を認める。


これをなかなか認められない。


認めようとするとすごく怖くなる。

見ないふりをして逃げたくなる。


なぜ、怖くて逃げたくなるのか。


考えてみた。



なぜ私はまともでいたのか。

普通でいようとするのか。


それは

自分は周りと同じまともな人間だと思うことで安心ができるから。



安心するのはなぜか。


それは人間が集団の生き物だから。


集団の生き物は、集団で協力しあうことで生きている。協調性をもって生きている。

その集団の中に協調性がない危険因子がいたら、追い出される。

その個体によって集団が危険にさらされるから。集団の生存戦略だ。


その集団から追い出されたくないから周りと合わせる。

集団の中で自分が周りと同じでいれば安心するし、違っているととても不安になる。


人は集団という

人間社会の中で生きているので

自分のいる環境の人をみて

相対的にみて

自分は周りと同じくらいのところ、

つまり普通(平均)のところ、

普通でいることで安心します。


相対的にみるというのは


例えば


学校の成績


超進学校だと自分の成績は下の方で

劣等感を感じてしまうが


普通の公立学校では成績は上の方で

劣等感は感じない


同じ自分なのに比較対象によって

自分の立ち位置がかわる。


これが相対的にみているということです。



人は自分のいる環境の中で

相対的にみて自分はどこにいるのか

比べて、それを安心材料にしている。


普通でいたいと思うのは当たり前な

気持ちなのです。


だけど、事実、現実、

自分が普通じゃなかったとき。


その普通じゃない自分を認めようとせず、

普通になろうとし続けるのがとても辛いのです。


安心していたいために普通でいようとして

自分無理矢理引き上げるデスロードを走り続けるか


怖いけど自分が普通ではないことを認めて

生きやすく生きるか



あなたはどっちを選ぶ?



普通じゃない自分を認めるのは

安心がなくなるからとても怖い。


でもそれってけっきょく偽りの安心。

普通だと思い込んでるだけ。


もしくは自分を削りながら

普通を保ってるだけ。



自分が普通じゃないんだって思い始めると

今までの自分がしてきたことはなんだったんだって悲しくなる。



普通になろうとしてやって数々の

頑張りはなんだったの?

我慢はなんだったの?

辛さはなんだったの?


って悲しくなる。


あの頑張りがあったから

あの我慢があったから

いつか報われると思ってた。

いつか普通になれると思った。


でもそのいつかはこない。


今までしてきたこと全部が無駄だったなんて。

ほんとうに辛い。



辛いけど

無駄だったと認めないと

生きづらい現実は変わらない。



悲しい。

辛い。

怖い。


普通からはみ出すのはやっぱり怖い。


怖いのは当たり前だ。


怖がりながらでもいい。


怖がりながらでもいいから

自分を認めようと思う。


勇気をだして自分を認めようと思う。