★★★★自己紹介は★★★★

★★★★こちらから★★★★

 

 

 

 

 

 

 

子どもには

自分の好きなように

生きてほしい。

 

 

 

 

そう、思っていた。

あの日、あの公園へ遊びに行くまでは。

 

 

 

 

今から2年前。ある晴れた日の朝のこと。

 

 

 

 

僕は、当時3歳だった娘と

近所の大きな公園へと向かっていた。

 

 

 

ここには、大きな芝生の広場があって、

ファミリー層にも大人気の公園。

 

 

 

 

親となって決意したことのひとつに、

「子どもを子ども扱いしない」がある。

 

 

 

 

もちろん、生活費を稼ぐとか、1人で遠くまで行くとか、能力上の問題は別として。

 

 

 

それは、子どもを子ども扱いすれば、

その子どもは本当に「子ども」になってしまうと思ったからだ。

 

 

 

そう考えたのは、この記事でお伝えした、脳科学の研究から。

 

 

 

 

だからこそ、対等に。

 

 


子どもである前に、子どもは僕と同じ人間。

 

 

同じ1人の人間として向き合おう。

そう決めたのだ。

 

 

 

 

 

それはこの日の、この公園でも。

 

 

 

 

到着すると、

「さあ、君の好きに遊んでおいで!」

と、号令をかけた。

 

 

それはもう、ほら貝を吹く戦国武将のおももちで。

 

 

イメージでは、その瞬間、

娘は公園中を走り回り、楽しそうに遊ぶはずだった。

 

 

 

ところが現実は。

 

 

娘が、僕の足元で困った顔をしている。

垂れた目を、さらに垂れさせ、助けを求めている。

 

 

事情を聞くと娘。

 

「何をして遊んだらいいか、

よく分かんない」

 

だそう。

 

 

 

娘曰く、「自由に遊べと言われましても、逆に困ります」とのことだった。

 

 

 

この現象がずーっと、不思議でならなかった。


 

 

 

 

ところが、ひょんなことから謎が解けたので、

今日はそのことについて書きたいと思う。

 

 

 

 

このブログでも何度か登場してくれている、神さまとお話ができる少女・すみれちゃん。

 

 

 

彼女のお母さんであるゆきさんとも、とても仲良くさせていただいている。

 

 

 

 

すみれちゃんの活動をいつも影で支えている、たくましく素敵なお母さん。

 

 

 

 

どんな時も笑顔で、すぐに嫌なことが態度に出てしまう僕とは真逆の人間性。

 

 

 

しかも小学5年生にして、人前で「生き方」を語ろうとする娘を、

親として賛同し、サポートし続けている。

 

 

このサポートについては、どれだけ難しい判断だっただろうか。

 

 

 

ましてや、今は、昔と比べて批判がとても届きやすい時代。

生半可な覚悟ではなかったはずだ。

 

 

 

だからこそ、そんなゆきさんに一度、

「子育てで心掛けていることはありますか?」

と聞いたことがある。

 

 

 

すると、ゆきさん。

こんなことを教えてくれた。

 

 

 

「うちはなるべく子どもが

自分で自分のことを

決めて欲しいから、

『放牧育児』を心がけてますね」

と。

 

 

 

実は、この「放牧育児」がなんぞやを説明することが、

そのまま僕の娘が公園で遊び出さなかった答えになる。

 

 

 

まず、「放牧」の定義とは一体なんだろうか?

 

 

 

ご存知の通り、基本的には「放し飼い」のことである。

 

 

 

ところがただ草原に放すだけでなく、放牧には「柵」や「囲い」が存在する。

 

 

 

 

それは飼い主からの

「囲いの中なら安全だから、

自由にしてていいよ」

のメッセージ。

 

 

 

 

一方、この柵がないと、危険度は一気に増す。

 

 

 

 

いきなり狼が襲ってくるかもしれないし、

走り回った先に崖が現れ、滑落する可能性だってあるからだ。

 

 

だからこそ囲いのない環境では、

飼い主は、とてもじゃないが牛や羊を草原に放すことはできない。

 

 

そして、牛や羊からしても、

どこまでが安全なの? と不安になることだろう。

 

 



囲いがあるからこそ、逆に、安心して自由に動き回れるのだ。

 




さて、放牧について伝えて終えたところで話を元に戻そう。

 

 



すみれちゃんからの「人前で話したい」旨の相談を受け、

ゆきさんは、決めたのだ。

 

 


すみれちゃんの活動を

母として、パートナーとして応援しようと。

 

ただその代わり、活動する上で、

2人の間でしっかりと「囲い」という名のルールを設けようとも。

 



 

このルールは、


「その範囲であれば、

あなたの自由にやりなさい」


というメッセージを込めた、ゆきさんからすみれちゃんへの愛の贈り物。

 

 

 


ルールは、縛るために存在するのではない。

ルールは、自由を与えるものなのだ。

 

 

 

今なら分かる。

 

 


僕の娘が、遊び出さなかったのは、

遊ぶのが嫌だったわけじゃない。

 



走り回るのが嫌だったわけでもない。

 

 



 

僕からの「メッセージ」が足りなかったのだ。

 

 


 

例えば、

「公園の中のここから、

ここまでなら、安全だよ。

その範囲で自由に遊んでおいで!」

と背中を押せたなら。

 

 

 

例えば、

「これだけは

やっちゃいけないことだけど、

つまりそれ以外は

やってもいいってことだからね!」

と明確なルールを伝えられたなら。

 

 

 

「全てを任せる」というのは、

ある意味で「無責任」とも言えるんだな、

と気付かされる出来事だった。

 

 

 

今日の話、実はサッカーの本質を捉えると非常に分かりやすいと思う。




サッカーって要はこういうことだ。 

 

 


手が使えるサッカーなんて、

「サッカー」と言えるだろうか?

「手が使えない」。

このルールがあるからこそ、

サッカーは楽しくなるし、

創造性が生まれるのだ。

 

 

 

 

 

↓応援よろしくお願いします↓


自己啓発書ランキング

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村