★★★★自己紹介は★★★★
★★★★こちらから★★★★
その母親は、なぜか転んだ子どもを起き上がらせず、ただただその様子を眺めていた。
そんなシーンを目にしたのは、ある日の公園で。
3歳くらいになる、その子供は、母親とかけっこをして遊んでいた。
しばらくすると、
その子どもは石ころにけつまずき、豪快に転んでしまった。
夢中になってママを追いかけるあまり、
足もとに対する注意力が散漫になったのだろう。
案の定、子どもは大泣き。
「ママ〜!痛いよ〜!」
と泣き叫んでいる。
ところがその母親は、
なぜか子どもを起き上がらせようとはしない。
そんな様子を
「なんだか、冷たい母親だなあ」
なんて眺めていた僕。
いつまで経っても、
母親は子どもに手を貸そうともしない。
子どもは、助けてくれない母親の姿に観念したのだろう。
泣きながらも自分の力で
なんとか立ち上がった。
ここで驚きの光景が。
母親は見事、自力で立ち上がった子どもをギュッと抱きしめ、頭をぽんぽんとなでたのだ。
いや、ギュッてもんじゃなかった。
ギューーーーーーーーーーーーーーーッと、だ。
僕は、そんな親子の姿を端から見ながら、
「本当の愛情」について考えた。
母親が起き上がらせなかったのは「あえて」だと分かったからだ。
転んだ子どもをすぐに起き上がらせてあげることも愛情のひとつかもしれない。
だけど、そんなことを
いつまでも続けるわけにはいかないことも事実。
なぜなら、転んだ時に毎回そばにいられるとは限らないし、
ましてやその子どももやがて大人になるからだ。
それならば、子どもに対して
「起き上がらせ方」を教えるのも、
親としての愛情なのではないだろうか。
つまり、「失敗しないように生きること」を教えるのではなく、
「失敗したときにどうすべきか?」を教えることこそ、本当の愛情だと、僕は考えるのだ。
言い方を変えれば、
「守る愛」より、
「見守る愛」を
大切にするということ。
ところで、こんな面白い脳科学の研究がある。
「虫を嫌いな子どもの親は、
大体、虫が嫌い」らしい。
つまり、「親の背中を見て育つ」は、
科学的にも証明されている。
そんな中、子どもが失敗した時に、
「何、失敗してんのよ!」と、
怒ってばかりいると、どんな状況が生まれるだろうか?
きっと、失敗が嫌いな子どもになるだろう。
先ほどの研究結果に沿うならば、
「失敗を嫌いな子どもの親は、
大体、失敗が嫌い」となるからだ。
もちろん、この構造は「親子」に限ったことではない。
上司(先輩)と部下(後輩)の関係性においても、
部下が困った時に、すぐに「解決する方法」を教えることが愛情だろうか?
部下に対し、ヒントになる考え方や解決のきっかけを与え、
あとは自分の力で解決してくれるのを待つ。
そのほうが上司としてはよっぽど大変だけど、
「部下の未来」を育てるように思う。
また、入試テストを受ける生徒に対し、
「答え」をこっそり教えるのが愛のある行動だろうか?
そんなことをして受験に合格したとしても、
入学した先で生徒が本当の意味で困るのは目に見えている。
親愛なる西田普さんが、つい先日、同じテーマで記事を書かれていて、
深―く、深―く、深ーーーーーーーーーーーーーーーくうなづいた。
だから、内容をまるまるパクって影響を受けて、
僕なりの解釈で今日の記事をお届けしている。笑
西田さんのこの記事にコメントしたら、
すぐに「コメントありがとうございます」と
連絡を送ってくださって…、
本当にお優しく、温もりのあるお方です。
ただ、冒頭で紹介した親子のエピソードを目にしたのは、
5歳と2歳になる娘たちが生まれる前のこと。
実際に我が家でも、子どもを「見守る」ことを大事にしてきた。
転んでも、起き上がらせたりはしない。
痛がる娘たちを見て、心は痛むが、
グッと堪えて、自分の力で起き上がってくるのを、待つ。
子どもの力を
信じて、待つ。
子どもが転んだ時、起き上がらせないのは、
「転んだって
いいんだぜ。
何度でも
起き上がればいいさ」
という名の僕からのメッセージ。
娘たちに、そんな愛情が届いていると嬉しいな。
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