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このブログでは何度か
「死」をテーマにした記事を
書かせていただいている。
それは「死」を恐れることなく、
しっかりと向き合いたい。
そう考えているからだ。
だって、人は生まれた瞬間から
「死ぬこと」が決まっている。
つまり、今のところ
人間の死亡率は100%。
「死」を恐れて、「死」から目を背けることは、
「何年後かに100%、あなたの家は崩れます」と言われているのに、何も対処しないのと同じではないだろうか。
それに、「生まれること」と、
「死ぬこと」は対となり、
どちらか一方だけ存在することは不可能である。
「生」があるから「死」があるし、
「死」があるから「生」があるのだ。
だからこそ、
「死を否定すること」は
「生を否定すること」である、
というのが僕の考え。
さて、誰かが天国へ旅立った時。
そのことを人は「不幸」と表現する。
「身内に不幸があって」と。
もちろん、大切な人が
空に旅立ってしまうことは、悲しい。
本当に悲しい。
不幸であることは間違いない。
一方で、 この言葉を聞くたびに
やっぱりそうだよな、と思うこともある。
まずはこの真意に触れる前に
簡単な構造の話をしたい。
「不幸」の反対は「幸せ」。
この構造に異議のある人はいないだろう。
そして冒頭で述べた通り、
「死」の反対は「生」
であることも疑いようがない。
ここまでの流れをまとめてみるとすごいことが分かる。
「死」を「不幸」と呼ぶことを証拠に、
「生」は「幸せ」なのではないだろうか。
そう。「生」は
「幸せ」そのもの。
「空への旅立ち」のお知らせをもらうたびに
月並みでありきたりな言葉、
「人は生きているだけで幸せ」
が心の髄まで浸透する。
「死」があるからこそ、
「生」が浮き彫りになる。
空に旅立った人の分まで、
「生」を堪能しようと思う瞬間である。
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