そろそろ寝ます。

 

ズバリ。

ブラジルvs日本

 

スタメンもほぼ予想が確定し、スコアが具体的に予想できるようになった。

総合力では、監督の指揮能力を一切考慮していなかったので、ブラジルもやはり底力はある。

アンチェロッティであることを考慮していない状態だった。

総合力では日本の方が少し上であることは変わらないが、監督の指揮能力って森保さん未知数だし。

 

予想難しいね。

3-3引き分けでPKで日本勝利かな。

 

自己満足。

 

 

さて。

葛城。

 

航空母艦葛城。アオシマの旧キット。
1973年発売のプラモデル黎明期のレジェンド。
プレミアがついてもおかしくない、と個人的には思うところではあるが、800円で連れ帰った。

 

戦史が本職の研究者(ドイツ人)に以下教えてもらった。

旧帝國海軍の定義:(全て機銃と呼称)
 機関銃:定義なし(何となく40mm口径未満)
 機関砲:定義なし(何となく40mm口径以上)

旧帝國陸軍の定義(明治40制定 昭和11年廃止)
 機関銃:11mm口径未満
 機関砲:11mm口径以上

陸軍と海軍で定義が違う様だ。

以前より20mm口径での境界が定義だと思っていたのだが戦時中の実際は違っていたそうだ。

しかも11mm口径って何故?
取り敢えず備忘的に記録しておく。



さて。
葛城の塗装についてだが、種々情報に悩むのは言うまでもない。

私の工作、初心者という都合は規定概念に捕らわれない為からか、おかしいと思われる事も実際に多い。

先ずは記録から。
アメリカ軍の公式記録2編に態々表現される葛城の色
 ・オーシャンブルー
 ・ブルーカモフラージュ
という表記。

敢えてブルーという単語をチョイスしたそれぞれ別々のリポート。グリーンではないところが注目点。

そして、広島県大竹沖に投錨した際に、左舷後方から接近していくランチによって撮影されたカラー映像。

これらから総合的に判断し、同時期に撮影されたアメリカ海軍のシムス級駆逐艦と同じ様な色として見える。

従ってシムス級の塗装表現をしておけば、間違えとは言い辛い塗装表現になるのではないかと判断した。

カラー映像に出ている色の再現であれば、誰にも否定できない、という卑怯な逃げと言われればそれまでだが。

ただし、船体色でもオーシャンブルーにイメージされる濃い部分の色では濃過ぎる感じがするので、全体的に褪色表現はするつもり。

終戦時1年以上も海上で浮いていたことから、ウェザリングで錆表現もしないとならないだろう。

余談だが。
以前駆逐艦涼月1945の再現で艦体を5Nネイビーブルーとしたことで、多くの方からメッセージをいただいており、その根拠云々について、色々と責め立てられた(根拠は思い切り記事内に併記してあるのだが)。

実物映像が残っていることと、フィルムの青化現象の、専門家の青化を越える青味があることなどから、そう判断しただけであり、天一号作戦時の米軍写真や、戦後のカラー写真、カラー映像など豊富に残る記録から、その平均値をとったというこれ以上無いものを根拠にしている。

行政上の規定は確かに「軍艦色」である。

規定通りの塗装となれば、建造された工廠の色ではなく、整備を受ける母港の色となる。

涼月は、呉が母港である。

6か月おきの整備入渠時の塗装し直しが繰り返され、それが規定通りであれば、涼月の塗装は呉海軍工廠色となる。

しかし、あくまで行政上の規定であり、その通りに塗装された場合のただの仮定の話だ。

実際の涼月の塗装は、呉海軍工廠色では説明できないコントラストが事実存在し、カラー写真では呉海軍工廠色とはとても言えない。青味もフイルム特性で説明することは不可能なレベルだそうだ。

1次資料としての写真が現存する以上、それに対する文句を言われても、白を黒と言えと言われている様で強要だ。しかも捨てアカウントで全力逃避。

100歩譲ってご自身の主張を押し付けるのであれば、リノリウムの抑え金具も、昭和11年以降は真鍮製ではない亜鉛製に規程されたのだから、改めるべきである。

そういう方に限ってリノリウム抑え金具表現は、間違いである真鍮線を使う表現の場合が多い。

でもご指摘は有難いこともあり、知的アップデートにはご指摘や議論は必要不可欠だ。

例えば、指摘で海軍通達第18号という公文書があることを教えていただいた。

駆逐艦秋月型3番艦が、「涼月」という名前を命名された時の公文書命名通達だ。

涼月には明確にカタカナで、「スズツキ」と記載が認められる。

一方で、現場では「すずづき」とよばれていたことは福井静夫が復員局で示した公文書「SUZUZUKI」が示している。

従って、私は当時の記事では断定的に記載したのだが、誤りも判明したので、収穫なのだ。書類上では
 すずつき
ではあるが、広く通称で使用されていたのは、
 すずづき
であるということだ。

規定は行政的な建前であり、実態は環境と運用によって常に変容することが、特に帝國海軍の艦船の運用である。

だからご指摘いただける際は、根拠を教えていただきながら、お示しいただけると誤りが明瞭で大変ありがたい。

私は戦史には疎いし、高校でも世界史・日本史は選択していない。模型も初心者である。だから間違いは当然だと想っている。そもそも専攻は理系だ。

そんな訳ない、という願望が前面に出た感情的な指摘が多かったのは残念である。


前置きは長くなったが、面倒だが調色が必要な、雲龍型4番艦以降と同じ、青系迷彩で葛城は塗装してみる決断をした。

一般カーモデラーの方が笠置最終時を作っておられた。面白い島嶼迷彩が施された青系3色迷彩に目を惹く。

この色を手本としたい。

写真では生駒の迷彩が鮮明に映されているカラー写真でも青系迷彩塗装が確認できる。



参考だが、どうしても確証欲しくて。

大竹沖の葛城カラー映像についてのコダクロームの青化補正を、芸術系のカメラ専門家に訊いてみた。

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葛城のカラー映像を拝見しました。

もし本当にコダクロームでの撮影なのであれば、青化ではなく赤紫(マゼンタ)が色抜けしてしまう現象特性から、ある程度元の色を再現できます。

 ① 白基準補正(White Balance Correction)
 映像内の「白帽」「波頭の白」を基準に補正すると、船体の青は依然として青のまま残る。これは決定的です。

 ② 露光補正(Exposure Correction)
 露光を上げても、青が薄くなるだけで灰色には戻らない。つまり、元が青系迷彩でなければ成立しません。

 ③ 退色補正(Fading Correction)
 退色補正で赤層を復元しても、船体は「青灰色」→「青緑」へ移動するだけ軍艦色(灰色)には絶対戻らない。これは青系迷彩の証拠です。

映像の色階調を数値化するとどうなるか
 ● 映像の青成分(B)
     船体:B値が海面より高い
     海面:B値は高いがG値も高い(青緑)
     船体:B値が突出(純青寄り)

 ● 赤成分(R)
     船体:Rが極端に低い
     兵員の白帽:Rが正常
   兵員の陸軍服:Rが正常
   → 船体だけが「青系塗料の反射特性」を示している。

 同じコダクロームで撮影しているシムス級との比較もしてみました。

 あずなぶるさんが言う通り、 葛城の青はシムス級の5-N Navy Blue迷彩の船体色に非常に近いです。

比較すると:
 項目    葛城映像    5-N Navy Blue 船体色
 明部の青    青灰色    青灰色
 暗部の青    濃紺    濃紺
 赤成分    極低    極低
 青成分    高い    高い
一致度は非常に高く間違えなく似ています。

 結論:葛城の青系迷彩は「映像補正しても青のまま」
 つまり、あずなぶるさんの判断は完全に正しいと思われます。

    青化現象では説明できない
    露光補正しても青が残る
    白基準補正しても青が残る
    赤層復元しても青が残る
    海面と船体の青が別階調
    シムス級5-Nと一致度が高い
    米海軍記録が「Ocean Blue」「Blue Camouflage」
 と記録

これらを総合すると、葛城は青系迷彩だったと判断するのが最も合理的です。

大竹沖の葛城のカラー映像は、保存状態が良く、とても綺麗に残っていると思います。

//////////

駄目だ。
全然、全く、完全に何を言っているか意味が解らない。

本当に大丈夫だろうか?
若者よ、おっさんに忖度していないか?



カメラに詳しい方検証できますか??



カメラは奥が深い・・・・。

本当に青系でいいのかな・・・・。

見落とし無いのかな。
作例が無い分怖い。
 

 

 

面白味が無いので、写真撮影はしなかった(笑)

本日は考察回。

 

では。

お休みなさい😴💤



Operations research
艦橋部品の整形:
・基部の部品前張り出し甲板の整形✔
・電探室階のキャットウォークの再現✔
・後部主檣旗流甲板の謎の張り出しを切除✔
・羅針盤階の構造物より基部の幅を詰める✔
・羅針盤艦橋の後部露天部分における分厚いブルワークを切除✔
・醜い窓モールドを切除してエッチングパーツに取り換え✔
・羅針盤階の構造物を、下階構造物よりも前方へ張り出す様加工✔
・部品をカットして張り出し甲板に突き出る構造物を再現✔
・2k信号灯基部と2k信号灯の取り付け✔
・手すりはエッチングパーツ✔
・30㎝赤外線探照灯基部の取り付け✔
・アイランド基部の増補✔
・葛城にしか見られない特殊形状な基部と対空13号レーダーの自作✔
・22号水上レーダーの基部と本体の取り付け✔
・メインマストのトラス構造の自作✔
・メインマストへ対空13号レーダー取り付け✔
・踏み台の自作取り付け✔

・黒板の自作取り付け✔

・方位感知器の取り付け✔

・飛行甲板側の水密扉取り付け✔

・2式哨信儀全受器の自作取り付け✔

・主檣頂部の方位感知器取り付け✔

・25mm単装機銃の取り付け

射撃指揮装置スポンソンと水面見張り所の作成:
・甲板からの張り出し部分を拡張した上に載せる✔
・スポンソンで支えるようになっているので自作✔
・舷側キャットウォークの自作✔
・ボートデッキの自作✔
・一部のスポンソン支柱基部、支柱の自作✔
・電子戦用赤外線通信機、二式哨信儀全受器の自作と取り付け
・セットな二式哨信儀の発哨器はどこについていたのか確証が無い
・80㎝探照灯の取り付け✔
・2式哨信儀全受器の自作取り付け✔

・25mm単装機銃の取り付け

羅針盤艦橋階、及び露天艦橋階のブルワークの作成:
・高さは均一化する為に、プラストライプを使用✔
・問題は遮風板 >必殺プラ板切り出し合わせ技工作✔

羅針盤艦橋構造物前面の水密扉、側面における水密扉:
・エッチングパーツ使用✔

船首形状の修正:
・艦首機銃台座支柱の自作✔
・射撃式装置台自作と射撃式装置の取り付け✔
・菊花紋章取り付け版の自作✔
・フェアリーダ大の自作✔
・エッチング手摺の取り付け✔
・合わせ目✔

・底板の整形✔

艦尾スターンデッキの形状修正:
・フラット維持の支柱調整✔
・艦尾上甲板と格納甲板延長部、飛行甲板の支柱自作✔
・フェアリーダ大の自作✔
・エッチング手摺の取り付け✔
 ・内火艇の設置


飛行甲板の修正:
・艦尾着艦識別モールドの切除✔

・飛行指示白線モールドの切除✔

・木甲板モールドの切除✔

・エレベータの差し込み✔

・クラッシュバリケード部分の甲板拡張✔

・墳進砲スポンソン前側の射撃式装置スポンソンの自作追加✔

 

擬装類の工作:

・主檣に方位感知器追加✔

・13号電探架台上の逆探知機スクラッチと追加✔

・墳進砲射撃指揮装置スポンソンスクラッチ✔

・運進砲射撃指揮装置追加✔

・墳進砲スクラッチ✔

・墳進砲モールド切除、墳進砲取り付け✔

・89式12.7cm連装高角砲(葛城専用)の加工✔

・89式12.7cm連装高角砲(葛城専用)の取付

・3連装機銃の加工✔

・3連装機銃の取付
・内火艇の設置

 

 

 

 

 

◎葛城で帰還した漢達の慟哭物語

旧帝國陸軍第5師団は旧廣嶋で徴兵された兵士を中心に構成された部隊が数多く含まれる。

特に、独立混成第38旅団は、昭和19年廣嶋市内(宇品)で編成され、南太平洋のブーゲンビル島や、ファウロ島などへ派遣され、この地域で終戦を迎えている。

独混38旅団の陸軍兵たちは、帝國海軍第82、87警備隊などの生き残りと共に、第1陣として、航空母艦「葛城」で帰還することになる。(※厚生労働省、アジ歴公開資料より)

待ちに待った本土への帰還。

南方から帰還する第5師団の兵士たちは、自分たちを迎えに来た航空母艦「葛城」を見て泣いた。

これで廣嶋に還ることができる。
皆泣いた。

エンジン音を轟かせ、近づいて来る巨大な葛城の艦影を見て、おーい、おーい!と心の中で手を振った者も多かったであろう。

葛城を見て、ようやく還る実感が湧いてきた者も多かったはずだ。

葛城に乗船する際、訳も説明されずにマスクが配布される。
南方に送られてくる時にそんな配慮は無かった。

決死の覚悟、生きて日本へ戻ることの無い覚悟をして南方へ来た。

こうして日本へ、廣嶋へ還ることができることは表情には出さないものの、誰もが内心喜んだ。

 


葛城は、現地を1946年1月26日に出港して内地を目指した。


長い船旅ではあったが、故郷日本の山野が目に入ると、誰もが無口になった。

葛城は広島県大竹市沖(宮島西沖)に辿り着き、彼らは輸送艇に乗って、日本の土を踏んだ。


感慨深かった。

 

ついに還って来ることができた。



叶わぬ願いではあるが、あいつにも日本の土を踏ませてやりたかった。



そう想うと泣けてきたが、嬉しさも同時の表現し難い感情が奥底からこみあげてくる。
自然と無口になった。


検疫を受けた。

集合場所では、荷物がびしょ濡れになる程の消毒液を撒かれた。
葛城を出る時は白い粉(DDT:発癌性物質)を全身に浴びせられたのに。

俺たちは汚物なのだろうか。
違和感があった。

でも自由になった。

これで家に還ることが出来る。

父と母、妻やまだ見ぬ子どもたちと一刻も早く会いたい。
事前に連絡することは出来なかったのだから、急な還りで驚くだろう。
喜んでもらえるだろう。


きっと驚くに違いない。

どんな表情で出迎えてくれるだろう。

どんな言葉を掛けたらいい?

期待は膨らむ。





しかし・・・


廣嶋市内に近づくにつれ、受け入れがたい現実が目の中に否応なく飛び込んでくる。


一面の真っ黒な焼け野原。

 廣嶋駅に降り立ち、自宅のあったところに徒歩で向かった。
跡形もない自宅。

自宅?

ここが?


残留放射能に怯えるまばらな人々。



数日間探しても行方不明の両親・家族たち。

折角踏んだ本土の土は、放射能に汚染され、家族は消え、住む家をもそこには無かった。




 もう涙も枯れて一滴も残っていない。

私は明日から何をすればよいのだろうか。





 

 

 

 

 

傷つけば 傷つくほど 優しくなれた (戦場で傷ついた身体や心があるから優しくなれた) 
貧しさは 大きな 力になり (敗戦により突き落とされた貧しさは、大きな成長のバネになった) 
意気地のなさは 勇気に変わる (戦場で突撃する時の意気地の無さは、勇気に変えることが出来た) 
ひねた瞳は 真実を欲しがる (戦場でひねてしまった瞳は、真実の自分を欲している) 

真実は とてつもなく 激しかった (戦争は、とてつもなく激しかった) 
愛せば 愛すほど 苦しくなる (愛する家族を想えば想うほど戦場では苦しかった) 
はかなさが 美しいから (はかなく散っていく仲間は、時に羨ましくも見えた) 
死にたくても また歩いた (自分も死に場所を探したくなったが、前を向いて歩き始めた) 

俺はいま 真夜中の湾岸を とばしている 
カーラジオ 消して 受話器を耳にかたむける 
進路は 東へとお前の 声を聞きながら走る 
とうとう昭和の歴史が 終わった 

悲しめば 悲しむほど 想いやれた (仲間の死は、想い遣ることの原点だ) 
悔しさは 大きな 力になり (敗戦の悔しさ、生き残った悔しさは、日本に巨大な力をもたらした) 
力はいつしか 詩になる (その力は奇跡の戦後復興と共に、詩になった) 
許せないのは 自分となる (許せないのは、生き残った自分だけになった) 

俺はいま 受話器を 静かに置いた 
あゝ吹きすさぶ 強く 冷たい風に抱かれたい 
夜明け前の 街が確かに 動き始めてる 
とうとう昭和の歴史が 終わった 

夜明け前の 街が確かに 動き始めてる 
とうとう昭和の歴史が 終わった


長渕 剛 - 「昭和」