W杯中の為、工作は断念。

記事は行き帰りの電車の中での構成。

 

おっさんの希望の星、ライオネルがハットトリック。これには流石に大興奮。

2点目は兎も角、1点目、3点目はあれは凄い。

 

フランスは安定度抜群。

手ゴマが多いのにこれですか。

 

 

航空母艦葛城。アオシマの旧キット。
1973年発売のプラモデル黎明期のレジェンド。
プレミアが着いてもおかしくない、と個人的には思うところではあるが、800円で連れ帰った。
 

 

昨晩触れた葛城専用の兵装である89式12.7㎝連装高角砲について、継続して考察を続けてみる。

◎葛城専用型(B1型“もどき”)特徴

・砲塔幅はB1型に近いが、完全なB1型よりやや狭い
・A1型に比べれば一目でわかる程、幅が大型化されている。
・側面形状がB1型ほど丸くない
・上部カーブはA型より深いが、B1型ほどではない
・後部張り出しはB1型より小さい
・砲盾の角度が独特
・砲身基部の防盾形状が簡略化されている
・量産されず、葛城にしか搭載されていない

つまり、A型でもない、B1型でもない、中間的な“葛城専用仕様”というのが現在の研究の結論のようだ。

見慣れている 89式12.7㎝連装高角砲 とは明らかに異なる形状。

これを1/700スクラッチは1基なら未だしも6基製作は技術的にも不可能だし、出来たとしても細かい大きさにバラつきが出るだろう。
 

治具なんて作りたくないし。

そこで、ピットロードのややオーバースケールであった89式12.7㎝連装高角砲A1型を拡幅奥行増改造し、砲身部分をタミヤ製に変えるというキマイラで良いのではないかという結論に至ったがどうだろう。

超絶葛城を作られていらっしゃる先人のモデラー製作記を見たことが無いのだが、どこまで再現していらっしゃるのか興味津々。



私の手元にある例の雲龍型空母の図面資料だが、残念ながら2020年頃の書籍である為に武装差異の記載が一切ない。

雲龍型は一律89式12.7㎝連装高角砲である、と済ませている。
 

確かにそれで間違えは無い。

GT-SとGT-Rの差異は、ネームとしてのスカイラインで内包されるのと同じだからね。

だから申し訳ないが、必ずしも現時点で書籍資料は信用出来るものではないという証左ということだ。



雪風の考証を進めた時に聞いた話では、リノリウム抑え金具の表現で真鍮線を使う表現は既に20年以上前から研究者によって誤りと指摘され続けて来ているそうだ。sidennkai様からも同じご指摘をいただいている。

だが現実はリノリウム抑え金具=真鍮表現が当たり前のように工作され続けている。だから私も涼月で間違えて真鍮線表現という罠に嵌った。

真鍮製リノリウム抑え金具は昭和11年竣工前の旧式駆逐艦製作にだけ適用されることが記録で明らかではあるが、旧式であっても1年経てば貼り替えの際抑え金具も変更されていておかしくない。太平洋戦争中のリノリウム抑え金具は、全艦艇真鍮線ではなく、せいぜいピアノ線での表現が適切なのだろう。

他にも、松型はいい切りが難しいらしいが、橘型以降は、リノリウム自体貼付されていないとのこと(橘型でもリノリウムあるっぽい写真見てますが)。これも20年以上前から研究者によって指摘され続けて来ている。TamTam創業者の安藤氏も息巻いてリノリウム貼付を否定されている(Youtube動画ありますね)。
詳細は広島アルパークTamTam展示の1/100駆逐艦「欅」をご覧いただけたらと思う。

でも何故誤った通説がこうも変わらないのだろう。

艦船模型業界でも帝國海軍艦船の通説は、不思議と誤りを正せない傾向が複数あると聞いた。私には理解できない。

リノリウム抑え金具のことや、記憶薄れたが重巡洋艦利根の鉄鋼版甲板のことなど色々ある様だ。

艦船模型七不思議だと思う。



それでも朝霜、霞の天一号作戦時キットは艦尾兵装が最新キットでは最新考証に変更されて大幅に変わった(ハセガワ製のみ)。

朝霜が変わったので、次の甲型3姉妹(アオシマ製)のキットも間違えなく3式に変更された兵装になってリニューアルされる筈だ。

ピットロードはリニューアルのタイミングが悪すぎたので、当面は変更できないだろう。フジミは独自路線で考証も古いしよく解らない。

歴史は、研究の結果新たに判ることが多いと言われているが、製作する側が追い付いていないという現状だと理解するのが適切なのか。

そうすると考証派にとっての諸悪の根源は、誤った情報を流し続けている雑誌の情報と帰結する訳だ。

だから考証派である私は全て鵜呑みにしない、という言い訳。
 

もっと楽に作りたいよ、が本音なんだけどね。





そしてお楽しみである画像分析。

1945年10月8日、米軍調査隊先遣隊撮影の航空母艦葛城だそうだ。
 

どうやら艦尾左舷後方から撮影したもののようだ。
ということは日時から三つ子島停泊時の撮影だろうか。

艦の色は、青系とも緑系とも言い難い微妙な線(笑)

青系の可能性を以前の記事で示唆したが、トップ画像は同じ日に撮影されたカラー写真の葛城艦橋なのに、どうも緑系に見えなくもない。艦橋部分もそう見えるしね。



驚いたのは塗装のことではない。
見て欲しいのは舷側迷彩コントラストの異なる部分だ。

これは濃い部分がハルレッドの部分まで届いていないというところが一目瞭然だ。

これには流石に驚いた。

殆ど認識されていないのではないだろうか?

 

そもそも対潜迷彩であれば何故こんな塗装をしたのか、ということ。

参考になるか判らないが一般の方の考察を見つけている。

・ドックでの作業時間が限られていた
・迷彩は“上部構造物の視認性低下”が目的
・船底色(ハルレッド)まで塗る必要がない
・海面反射を考えると、下部迷彩は効果が薄い

ということで、濃い部分がハルレッドの位置、つまり喫水近くまで塗装することはどうでも良かった、という事らしい。

結構的を得ている様に思う。

それから。
左舷後方の高角砲スポンソンと件の葛城専用高角砲が現存しているが、破損していることが見て取れ、残念ながらその形状を正確に判断できない。

また、三連装機銃スポンソンと、高角砲スポンソンの間にある飛行甲板作業員待避所へ下から上がるラッタルを見て欲しい。

何と!海側に向かって上がっていくようになっている。これは全く自分にとって新しい発見であり、最新キットもどうなっているのか興味深い所だ。

面白い。

そして最大の発見はスポンソン支柱が角型であること。

高角砲スポンソンは、6角形?
機銃座スポンソンなどは4角形に見えるが、工事記録を見ると3角形のようだ。これは「〇」型より強度がありそうだ。

これは知らなかった!

パイプベンダーで管を曲げるより、鋼板を貼り合わせて溶接した方が強度も出そうだし、工期短縮もできそうだ。

写真から見てもこれだけのことが判る。

最新キットを調べた所、フジミ製新キットは葛城専用パーツとしてスポンソン支柱を角形にしているそうだ。

この写真見たのかな??


そしてそして最後に機銃スポンソン下部に注目だ。

以前プラ爺さんが先日大和ミュージアムを案内してもらっておられたが、案内をしていたのが戸高名誉館長。

この戸高館長も詳しく解説をされていたのだが、大和の艦尾機銃座と全く同じく、葛城にも空薬莢回収ボックスが取り付けられているのがはっきり判る。

 

戸高館長の説明に合致する為、恐らく大和のスポンソンも同じ形状なのだろう。

これは大きな収穫だ。
大和の模型もここまで再現しているものは無いが、スケール的に無視できない大きさなのだ。


最後に舷側鋼板。
汚水捨て管の状況もはっきり判るけど、鋼板継ぎ目の縦部分に鋼板が貼り付けられている。何だこりゃ?継ぎ目から侵入する海水の浸食を少しでも減らす為?船体鋼板なのだからそんな目的じゃない気がするが。

舷側キャットウォークもスポンソン支柱を周り込んで囲っておらず、支えが穴あき三角板ではなく、細い支柱(笑)
歩くの怖いだろうな。

とてもではないけど走れない。キャットウォークごと落下しそうで怖いよ。


ということで本日はここまで。

アテブレーヴィ~!
テーニャ ボンソーニョス~!

 

 




では。
お休みなさい😴💤



Operations research
艦橋部品の整形:
・基部の部品前張り出し甲板の整形✔
・電探室階のキャットウォークの再現✔
・後部主檣旗流甲板の謎の張り出しを切除✔
・羅針盤階の構造物より基部の幅を詰める✔
・羅針盤艦橋の後部露天部分における分厚いブルワークを切除✔
・醜い窓モールドを切除してエッチングパーツに取り換え✔
・羅針盤階の構造物を、下階構造物よりも前方へ張り出す様加工✔
・部品をカットして張り出し甲板に突き出る構造物を再現✔
・2k信号灯基部と2k信号灯の取り付け✔
・手すりはエッチングパーツ✔
・30㎝赤外線探照灯基部の取り付け✔
・アイランド基部の増補✔
・葛城にしか見られない特殊形状な基部と対空13号レーダーの自作✔
・22号水上レーダーの基部と本体の取り付け✔
・メインマストのトラス構造の自作✔
・メインマストへ対空13号レーダー取り付け✔
・踏み台の自作取り付け✔

・黒板の自作取り付け✔

・25mm単装機銃の取り付け

射撃指揮装置スポンソンと水面見張り所の作成:
・甲板からの張り出し部分を拡張した上に載せる✔
・スポンソンで支えるようになっているので自作✔
・舷側キャットウォークの自作✔
・ボートデッキの自作✔
・一部のスポンソン支柱基部、支柱の自作✔
・電子戦用赤外線通信機、二式哨信儀全受器の自作と取り付け
・セットな二式哨信儀の発哨器はどこについていたのか確証が無い
・80㎝探照灯の取り付け✔
・25mm単装機銃の取り付け

羅針盤艦橋階、及び露天艦橋階のブルワークの作成:
・高さは均一化する為に、プラストライプを使用✔
・問題は遮風板 >必殺プラ板切り出し合わせ技工作✔

羅針盤艦橋構造物前面の水密扉、側面における水密扉:
・エッチングパーツ使用

船首形状の修正:
・艦首機銃台座支柱の自作✔
・射撃式装置台自作と射撃式装置の取り付け✔
・菊花紋章取り付け版の自作✔
・フェアリーダ大の自作✔
・エッチング手摺の取り付け✔

艦尾スターンデッキの形状修正:
・フラット維持の支柱調整✔
・艦尾上甲板と格納甲板延長部、飛行甲板の支柱自作✔
・フェアリーダ大の自作
・エッチング手摺の取り付け
 ・内火艇の設置


飛行甲板の修正:
・艦尾着艦識別モールドの切除✔

・飛行指示白線モールドの切除✔

・木甲板モールドの切除✔

・エレベータの差し込み✔

・クラッシュバリケード部分の甲板拡張✔

・墳進砲スポンソン前側の射撃式装置スポンソンの自作追加✔



 

 

 

◎葛城で帰還した漢達の慟哭物語
 

旧帝國陸軍第5師団は旧廣嶋で徴兵された兵士を中心に構成された部隊が数多く含まれる。

特に、独立混成第38旅団は、昭和19年廣嶋市内(宇品)で編成され、南太平洋のブーゲンビル島や、ファウロ島などへ派遣され、この地域で終戦を迎えている。

独混38旅団の陸軍兵たちは、帝國海軍第82、87警備隊などの生き残りと共に、第1陣として、航空母艦「葛城」で帰還することになる。(※厚生労働省、アジ歴公開資料より)

待ちに待った本土への帰還。

南方から帰還する第5師団の兵士たちは、自分たちを迎えに来た航空母艦「葛城」を見て泣いた。

これで廣嶋に還ることができる。
皆泣いた。

エンジン音を轟かせ、近づいて来る巨大な葛城の艦影を見て、おーい、おーい!と心の中で手を振った者も多かったであろう。

葛城を見て、ようやく還る実感が湧いてきた者も多かったはずだ。

葛城に乗船する際、訳も説明されずにマスクが配布される。
南方に送られてくる時にそんな配慮は無かった。

決死の覚悟、生きて日本へ戻ることの無い覚悟をして南方へ来た。

こうして日本へ、廣嶋へ還ることができることは表情には出さないものの、誰もが内心喜んだ。

 


葛城は、現地を1946年1月26日に出港して内地を目指した。


長い船旅ではあったが、故郷日本の山野が目に入ると、誰もが無口になった。

葛城は広島県大竹市沖(宮島西沖)に辿り着き、彼らは輸送艇に乗って、日本の土を踏んだ。


感慨深かった。

 

ついに還って来ることができた。



叶わぬ願いではあるが、あいつにも日本の土を踏ませてやりたかった。



そう想うと泣けてきたが、嬉しさも同時の表現し難い感情が奥底からこみあげてくる。
自然と無口になった。


検疫を受けた。

集合場所では、荷物がびしょ濡れになる程の消毒液を撒かれた。
葛城を出る時は白い粉(DDT:発癌性物質)を全身に浴びせられたのに。

俺たちは汚物なのだろうか。
違和感があった。

でも自由になった。

これで家に還ることが出来る。

父と母、妻やまだ見ぬ子どもたちと一刻も早く会いたい。
事前に連絡することは出来なかったのだから、急な還りで驚くだろう。
喜んでもらえるだろう。


きっと驚くに違いない。

どんな表情で出迎えてくれるだろう。

どんな言葉を掛けたらいい?

期待は膨らむ。





しかし・・・


廣嶋市内に近づくにつれ、受け入れがたい現実が目の中に否応なく飛び込んでくる。


一面の真っ黒な焼け野原。

 廣嶋駅に降り立ち、自宅のあったところに徒歩で向かった。
跡形もない自宅。

自宅?

ここが?


残留放射能に怯えるまばらな人々。



数日間探しても行方不明の両親・家族たち。

折角踏んだ本土の土は、放射能に汚染され、家族は消え、住む家をもそこには無かった。




 もう涙も枯れて一滴も残っていない。

私は明日から何をすればよいのだろうか。





 

 

 

 

 

傷つけば 傷つくほど 優しくなれた (戦場で傷ついた身体や心があるから優しくなれた) 
貧しさは 大きな 力になり (敗戦により突き落とされた貧しさは、大きな成長のバネになった) 
意気地のなさは 勇気に変わる (戦場で突撃する時の意気地の無さは、勇気に変えることが出来た) 
ひねた瞳は 真実を欲しがる (戦場でひねてしまった瞳は、真実の自分を欲している) 

真実は とてつもなく 激しかった (戦争は、とてつもなく激しかった) 
愛せば 愛すほど 苦しくなる (愛する家族を想えば想うほど戦場では苦しかった) 
はかなさが 美しいから (はかなく散っていく仲間は、時に羨ましくも見えた) 
死にたくても また歩いた (自分も死に場所を探したくなったが、前を向いて歩き始めた) 

俺はいま 真夜中の湾岸を とばしている 
カーラジオ 消して 受話器を耳にかたむける 
進路は 東へとお前の 声を聞きながら走る 
とうとう昭和の歴史が 終わった 

悲しめば 悲しむほど 想いやれた (仲間の死は、想い遣ることの原点だ) 
悔しさは 大きな 力になり (敗戦の悔しさ、生き残った悔しさは、日本に巨大な力をもたらした) 
力はいつしか 詩になる (その力は奇跡の戦後復興と共に、詩になった) 
許せないのは 自分となる (許せないのは、生き残った自分だけになった) 

俺はいま 受話器を 静かに置いた 
あゝ吹きすさぶ 強く 冷たい風に抱かれたい 
夜明け前の 街が確かに 動き始めてる 
とうとう昭和の歴史が 終わった 

夜明け前の 街が確かに 動き始めてる 
とうとう昭和の歴史が 終わった


長渕 剛 - 「昭和」