仕方の無いことかもしれないが。
とある関東の由緒正しき喜連川の近く、とだけは申しておこう。
我が国初の本格的な金山があった。
そこの利権を確保し、守護する為に近江源氏六角氏の分家である京極氏は、重要な地として当該地域を治めた。
脈々と続くその子孫。
流石に記録が豊富なだけあって我が家と異なって面白いほど過去にさかのぼることが可能だ。
今では仮冒と言われているが、伝承だけを前提とすれば宇多天皇に行き当たる。
姓と名字と苗字の違いについて、ご存じの方は多いと思うのだが、姓は京極氏で、名字は名乗ったのは土地の名前でなく、由来の詳細は判っていない。
しかし昭和の大合併の際に、有難くもその名字を町の名前として使ってもらえた。
一方現在では、名字は捨て、姓も京極氏ではなく、鎌倉期の大元の姓を選択して名乗って苗字とし、現在に至っている。しかし跡を継ぐZ世代。全く興味なし。
収入に見合った墓の管理など到底できない。
由緒は一応あるほうの家柄なのに。
いずれにしても生前墓を頼む、と遺言されたこともあり、久しぶりに状況確認を兼ねて環境整備に行ってみた。
墓所はコンクリートで要塞化され、近隣の草木に贖えるように整備はされたが。
行って驚く苗字に倣った強敵、笹。
コンクリートを突き破って出てくるやつ。
墓所が出来た当時のこの場所は、当該一族の街道を抑える要衝を守護する為の山城であったところ。
流石に全ての土地は現在では管理していないが広い墓所だけはポツンと残った。
他人の手に渡った土地の草刈りを勝手にするわけにはいかない。
墓所の周りの強敵だけを刈り取るが、この強敵、恐らく数か月、いや数週間もすれば元に戻るだろう。
これは大変だ。
よりによって。
遠く離れたこの地に気軽に来る訳にはいかない。
墓誌には明治期からの故人の名が刻まれているが、それ以前の江戸期の戒名が記された板状の石の文字は、残念ながら一部を除いて判別不能。
【8基ほど写真は撮りましたが】
風化もかなり進んでおり、今の内に拓本などで写し取っておいた方が良いのだろうが。
他家なのに、江戸に入る際に帰農し、戦国期までは家老格で仕えていただいていた家の方が墓守をしてくださっている。頼まれたわけでも無いのに頭が下がる。
本日初めて知ったのだが、年3回ほど、草刈り機を使って周りを整備してくださっているのだそうだ。
我が家の墓も他家に面倒を見てもらっているが、あまりにも墓の持ち主としては不甲斐ない。
でもこういう世の中になってしまった以上、
仕方の無いことかもしれないが。
地域全体で高齢化が進行し、山間部における歴史は、あらためて元の形に戻ろうとしている。
それに贖うべきヒトは皆都市部へ去って行った。
それでも・・・
土地には若い方が入られ、クラフトビール、クラフトコーラ、クラフトワイン、ウヰスキーなどを新たな産業として興そうと努力されている。
醸造工場を見学させてもらった。
カレーうどんも美味しかった。
しかし、人口の減少という止められない流れに逆らうことが出来るのだろうか。
帰りは寄り道にしては遠いところへ寄ってみた。
本日は土曜日。
気温は13度と寒いくらいだった。
午後3時。
本来であれば多くの人が左の所に見えるエレベーター待ちで列を成していなければならない。
しかしご覧の通り、全く人が居ない。
一応エレベーターで下に降りて見上げてみたが。
このホースで庭に水を撒いているレベルの水量の細い糸の様な滝。
迫力も無ければ態々見に来る意味も無いだろう。
記憶に間違え無ければ小学校の時に遠足か何かでバスでここまでやってきた。
坂を「い・ろ・は・・」と数えていくのだが、それ以上に白髪で頼りなさそうなおじいちゃんドライバーの方が恐ろしかった記憶が鮮明(笑)
そしてその時に見た壮大な華厳は、爆音を轟かせ、周囲に激しく水しぶきを飛ばしていた筈だ。
世の中は確実に変わって来た。
地球温暖化ももはや止める術は無いそうだ。
環境も、社会も、そしてヒトも変わっていく。





