お亡くなりになった模型男子さんの想いを、大ちゃんとめぐみさんが引き継いだ企画。

模型男子さん主催という形での実施。

 

 

 

これは、兵どもが夢の跡である。

1986年のとある夏の夜。
これまた、とある銀座8丁目のバーで、完全に酔っぱらった漢3人が、勢いで交わした約束があった。

湿り気を帯びた夜風。酒の香りと煙草の煙が入り混じる高級バーのカウンターで、日本の自動車史を揺るがす「大人の火遊び」が始まる。

漢3人の名前は次の通り。

林 みのる(40)
塚本 能交(38)
高岡 祥郎(51)

どんな話をしていたのか、少し耳を欹てて聴いてみよう。

高岡「おい、お前ら富士重工が「F1」参戦の為にエンジン作ったから、これで車を作りやがれ。」

塚本「まじっすか。やりましょう、やりましょう。うちの会社金出しますよ。」

林「アハハハ・・・。」


酔いが冷めた塚本は、正気に戻る。
当時塚本は株式会社ワコールの代表取締役社長。

いくら社長の鶴の一声であろうとも、社長の一存で莫大な資金を投じた車開発ができよう訳が無い。

でもやりたい。

塚本はたかが酔った席で交わした約束であろうとも、本気で実現に向けて動き始めた。

そのコンセプト。

我が社「ワコール」は、女性用下着メーカーとして歩んできた。
女性用の下着は、皮膚から数えて2つ目の皮膚と言える。そして我々ワコールの考える第3の皮膚は車だ。車は単なる道楽ではなく、「人を快適に包む技術の究極系」である。

この主張で社内や株主を納得させたこと自体が事件レベル。
見事なまでの大義名分になったそうなのだが。

近くで肩肘を突いて寝ころびながら、ポテトチップをバリボリ食べつつノブロックTVを見て爆笑しているお局様に、インタビューしてみよう!

私「如何でしょうか。第3の皮膚。我が家も素晴らしい車の買い替えの時期です。」

局「?馬鹿なこと言ってないで早く洗濯物仕舞え。」

私「はっ!失礼いたしました。」

なるほど。
これは説得力が抜群なコンセプトだ!
株主も納得せざるを得なかっただろう。
素晴らしい。

1988年7月。
このプロジェクトは会社設立に至る。
「ジオット社」の創立である。

画してジオットは、名機「キャスピタ」を生み出す。

富士重工がF1参戦で惨敗を喫し、木っ端みじんに砕け散った後、ジオットの心臓は、スバル/モトーリ・モデルニV12から、ジャッドV10へと変更された。

1993年7月。
イングランドで車両登録を行ったキャスピタ2号車は、ついに車検を通過して車両登録された。

1994年5月1日。
イモラの超高速コーナータンブレロにおいて、音速の貴公子は命を落とした。

キャスピタは以降市販されることは遂に無かったが、F1のエンジンをそのまま積み、アイドリングだけで数千回転という爆音は、唯一無二である。

京都の嵐山、西京極などの公道で目撃されたキャスピタは、伝説になった。
 

 

 

 

無事に手元にキットが届きましたので、これより製作を並行して始めます。

 

 

 

御開封。

デカール死んでますね。

これはスバルのエンジンを積んだ1号車の方ですね。ヘッドライトが4つ目です。

インストの解説では、位置づけとして、スーパーカーの上位であるハイパースーパーカーである、と自称しておられます。

 

それだけの自負があったればこそ。

 

製作、頑張ります。

 

 

 

追伸:

キャスピタの記事を挙げるのは2度目になる訳ですが、前回以降私のアメブロに出てくる広告が、女性用下着が多くなってきた。これはyahoo!などのウェッブも同じ。職場でそれを指摘され、何故下着の広告が出てくるんだ?興味あるのか?と。

 

ボットの学習もいい加減だこと。