最近嵌っている日本古代史。
バラバラな情報を1本にまとめると、意外に筋の通ったストーリーが見えて来ます。
そんな第1段をリリースします。
血塗られた古代史シリーズ:
悪逆大王 獲加多支鹵(ウァカ)物語
と題して私の方で感情的な表現などを創作(作り話)してアレンジして、あまり知られていない古代史を咀嚼できるようにしてみました。
●大王(オオキミ)の二人の後継候補
時は西暦455年の日本。
当時、現在の奈良県天理市近辺にあった、豪族連合王権「ヤマタィ」の邑、アナフォの宮(石上穴穂宮)。
時のヤマタィ大王(オオキミ)は、アナフォ(穴穂)。
ヤマタィ王権は、様々な豪族達の邑国家の連合体のようなものであり、豪族邑国家の占星合議制により「政」が行われていた。
アナフォ大王は豪族達の話に耳を傾け、話をよく聴き、善政を敷いていた。
後継問題は大きな問題に発展することも多く、次の大王として誰を推すのか明瞭にはしていなかったが、そろそろ決めなければならない。
そんな時の話である。
アナフォ大王にはとても可愛がっていた甥っ子がいた。
フォシハ(押磐)。※またはポシハ
過去大王であった、履中の子、アナフォ大王にとって父親兄弟の息子である従兄弟にあたる人物だ。
フォシハはとてもアナフォ大王に可愛がられており、大王アナフォは、次の大王にはフォシハになってもらいたい、と願っていた。
フォシハは人格者であり、誠実な性格がアナフォ大王に大変気に入られていた。
アナフォ大王には、他にも次の大王にしても良いと思っている人物がいた。先代、オオ サザキ ノ オオキミ(大雀大王)の息子であったクサカ皇子(大草香皇子)である。※サザキは後世に「仁徳天皇」と諡される大王
この人物も聡明で優秀な皇子であった。
次の大王の候補、フォシハ と クサカ皇子。
当時、大王の継承はこのどちらか、と見られていたのは間違えない。
アナフォ大王については、中国五胡十六国時代に劉裕によって築かれた『宋』の時代の記録に記載がある。
倭国の五王「興(ko'u)」として。
我が国で西暦760年頃に編纂された「日本書記」では、この「興」がアナフォ大王ではないかと比定され、中国風和名が考えられる。
「穴穂」が「興」であると考えられることから、穴穂の呼び名を残しつつ、興という記録に合わせる為に、安康天皇(アナ・コウ)と諡されたと考えられているのだ。
●クサカ皇子の最期
アナフォ大王が後継者の一人として考えていたクサカ皇子には、美しい妹、中蒂姫がいた。
アナフォ大王は、妃を娶るその候補者から中蒂姫をその筆頭候補者に挙げ、クサカ皇子側と調整に乗り出した。
クサカ皇子は、結婚の儀を成立させるためにも日下部の家宝である「冠:押木の玉縵」を、家臣のヒカカ(吉士 日香蚊)へ命じ、アナフォ大王の下に届けさせた。
この時、アナフォ大王には末弟が近侍しており、この弟がアナフォ大王に耳打ちする。
兄上、クサカ皇子は、兄上と奴の妹の婚姻について、誰が認めるか、と怒っているようです。クサカ奴は二心ある可能性があります。
弟からの讒言により、アナフォ大王はクサカ皇子の二心を疑ってしまった。
アナフォ大王に耳打ちしたアナフォ大王の実弟。
これが後世に悪名高い、オオハッセ ウァカ タケィル(大泊瀬 獲加多支鹵)である。
ヒカカはクサカ皇子から預かった「冠:押木の玉縵」を、アナフォ大王に献上すべく、アナフォの宮に参上する。
婚礼の儀、謹んでお受けいたします。
ヒカカは、そう口上した。
使主(取次)として対応に出たのは、サカモトノオミ ネェ(坂本臣 根 使主)である。
クサカ皇子から献上された冠、「押木(オシキ)の玉縵(タマカヅラ)」を預かる。
あまりに美しい冠は、ネェを虜にするが、アナフォ大王の弟君であるウァカから「押木の玉縵」を隠し、アナフォ大王にはクサカ皇子が婚儀を拒絶したことを報告する旨指示を受けている。
「押木の玉縵」お受けいたしました。
アナフォ大王に献上、取次いたします。
ヒカカはそれを聴き、下がっていった。
ネェはアナフォ大王の所へ届ける体で「押木の玉縵」を預かったが、その「押木の玉縵」を宮殿の御蔵に隠す。
そして、アナフォ大王へ報告する為に参殿した。
大王、クサカ皇子からの使者として、ヒカカが参りました。
クサカ皇子は妹君を大王の妃とすることは断る、誰がアナフォの所へ差し出すものか、とのことです。
アナフォ大王はこれに驚き、ウァカの言葉を思い出す。
やはり二心ありか、と。これはあまりに無礼ではないか。
激しい拒絶。
アナフォ大王の面子は完全に潰された。
喰うか食われるかの古代である。
先に行動を起こさねば殺されることだってある。
アナフォ大王は将軍モノノベ(物部)、カツラギ(葛城)などの有力な豪族を集め、朝議を開いて協議した。
クサカ皇子を討つべきか。
数時間議論が続いたが、協議の結論としてはクサカ皇子討つべしと決した。
アナフォ大王は命令を下した。
アナフォ大王は、近侍の将卒、ウォワケ(乎獲居)を呼び、勅書を将軍モノノベへ伝えさせる。
モノノベは兵を集め、クサカ皇子を討て。
将軍モノノベは朝意である、として兵を集め始めた。
一方その頃、夢にも思わなかったアナフォ大王と妹である中蒂姫との慶事。
クサカ皇子は、自邸御寝所の窓から満天の夜空を眺めてほほ笑んでいた。
こんなに目出たいことは無い。
私もこれで参内が許され、お役目ももっと重責を担うことになるであろう。
そんな期待も膨らんだ。
その時、屋敷の門あたりから喚声が聞こえる。
バタンっ、
御寝所の扉が勢いよく開いて、ヒカカが入って来る。
皇子!モノノベ(物部)の軍勢だ!
皇子は裏口から逃げられよ!
そう言うとヒカカは重い鎧を身体に髪を振り乱しながらも寝所を飛び出していく。
ヒカカは剣を振り回し、クサカ邸に侵入するモノノベの軍勢を斬りつつ、乱戦の中一人の将卒を見つける。
おぉう、そちは同族難波吉士のウォワケではないか。
此度の襲撃は何事ぞ!
ウォワケはそれに応える。
黙れヒカカ!
そなたらこそ謀反を企てていた罪を、今こそ命を以て償う時ぞ!
難波吉士同族としての汚名を挽回させてもらう!

【ウォワケ(乎獲居)】
ウォワケは大刀を振り回す。
ヒカカも善戦したが、衆寡敵せず。
御寝所で同じく防戦していたクサカ皇子は、乱戦の中、モノノベ軍と共に侵入したウォワケの手勢によって討ち果たされ、首が持ち去られた。
ヒカカは御寝所に戻り、それを知ると泣き喚く。
主が謂われ無き事で討たれ、どうしてこの後、生きていこうぞ!
この恥辱、恨み、晴らさでおくべきや。
と言葉にしてクサカ皇子の寝床で自ら首を刎ね、自刃して果てた。
クサカ皇子は討たれ、その首は、アナフォ大王の下へ届けられた。
あれほど私が目をかけていたのに何故裏切ったのだ。
その眼には涙も浮かんでいたが、まずは自身に降りかかりそうな火の粉を振り払うことができた安堵感も一方であった。
ウァカは、クサカ皇子の首昵懇の時にアナフォ大王に近侍していたが不敵な笑みを浮かべ、ネェに目配せして、互いに頷き合っていた。
中蒂姫はアナフォ大王の前へ引きずり出されたが、兄であるクサカ皇子が自身とアナフォ大王との婚儀について喜んでいた事、クサカ皇子に二心の無いことなどを証言し、事態は急変する。
そこへ大王の弟君であるウァカがアナフォ大王の前へ進み出る。
これは何かの陰謀があるやもしれません。
私に調べさせていただけませんか?
こういう時に信用できる兄弟がいると頼もしい。アナフォ大王はそう思い、ウァカへ調査を命じる。
3日後。
ウァカは1人男の首級と共に参内した。
兄上、事の詳細が判りました。
この ネェ(坂本 根)が、クサカ皇子から婚儀成立の証として献上された「押木の玉縵」のあまりの美しさに自分のモノとして横領し、クサカ皇子が中蒂姫との婚儀に異を唱えた、と嘘の取次をしたことが判明したため、この通りネェを捕らえて処刑し、押木の玉縵も押収いたしました。
ウァカの差し出す手には、「押木の玉縵」が美しく輝いている。
あまりの結末に驚き、アナフォ大王は声も出ない。
そしてウァカに褒美を取らせ、内裏の奥へ引きこもってしまった。
わたしはとんでもない過ちを犯してしまった。
アナフォ大王は悔やんだ。
●クサカ皇子の遺児:マヨウァ(目弱)
アナフォ大王は、自らの過ちを償うかのように、亡きクサカ皇子の妹・中蒂姫(ナカシノヒメ)を妃に迎える。
そして、クサカ皇子の忘れ形見である幼き皇子、マヨウァ(目弱)を我が子のように慈しみ、宮中で育てることにした。
クサカ皇子への罪滅ぼしのように。
しかし、この「慈悲」こそが、最悪の悲劇を招くことになる。
ある日、ウァカは、ネェを処刑したことで自らの潔白を装い、大王の信頼を確固たるものにしていた。
しかし、彼は密かに未だ7歳になったばかりのマヨウァに近づき、毒を含んだ言葉を吹き込む。
マヨウァよ、お前の父を殺したのはモノノベの兵だが、命じたのは誰であるか?
お前を今、膝に乗せているあの男ぞ!
悔しくないのか!
未だ幼いマヨウァの心に、暗い復讐の炎が灯ったのは言うまでもない。
西暦456年。
運命の日は、あまりにも静かに訪れることになる。
アナフォ大王は、中蒂姫の膝枕で深い眠りについていた。
その傍らで遊んでいたマヨウァは、大王が愛用していた鋭い小刀を手に取
る。
父上の仇……
幼子の力とは思えぬ一突きが、大王の喉元を貫く。
アナフォ大王は、自らが引き取った子供の手によって、その生涯を急に閉
じたのである。
アナフォ大王は死んだ。
幼子の手にかかって。
●葛城の炎と、沈黙の神
アナフォ大王が幼きマヨウァに刺殺された直後、宮中は阿鼻叫喚の地獄と化した。
しかし、ウァカの瞳だけは、獲物を狙う鷹のように冷たく澄んでいる。
ウァカは、この機に乗じて自らの兄たち サカイ・ノ・クロヒコ(境之 黒彦)とヤツリ・ノ・シロヒコ(八釣 白彦)を呼び出す。
兄上方、緊急事態です。
急ぎ参内していただきたく。
クロヒコとシロヒコは直ぐに駆け付けたが、ワカタケルは、兄たちの前で叫ぶ。
大王が殺されたのだ!
なぜ兄上らは武装して駆けつけぬのだ?
共に仇を討とうという気はないのか!
困惑するクロヒコとシロヒコ。
彼らは野心溢れる弟を恐れ、不用意に動けなかっただけであった。
しかし、ウァカにとって、その「迷い」こそが絶好の理由となる。
臆病風に吹かれたか、あるいはマヨウァと通じているのか。
ウァカは、実の兄たちを一人ずつ問い詰める。
落ち着くのだウァカ!
まずは我らも自邸へ戻り、武装して参る。
マヨウァに逃げられては厄介だぞ。
そう言うと慌ただしくも二人の兄は混乱のさ中自邸へと戻っていった。
●カツラギ・ノ・ツヴラ(葛城 圓)の決断
この時、大王を殺した幼きマヨウァは、大王をも凌ぐ勢力を誇る豪族、カツラギ ノ ツヴラ(葛城 圓)の邸宅へと逃げ込むことに成功した。
ツヴラは、葛城氏の長として、幼いマヨウァを匿うことにする。
例え相手が大王の弟であろうとも、我が家門に助けを求めた者を渡すわけにはいかぬ。
ウァカの動きは迅速であった。将軍モノノベとウォワケの完全武装の兵卒がそう時も経たない内にやってきて葛城氏の邸宅を囲む。

【ウァカ タケィル(獲加多支鹵)】
ツヴラは準備が整わない内での防御戦に著しく不安を覚えたが、古からの大豪族の面目もある。
激しい攻防戦が始まる。
しかし、時代の流れは残酷であった。
迅速に攻撃を仕掛けて来た軍勢を前に、準備ままならぬツヴラの軍勢は支えきれず、崩壊する。
ツヴラは邸に火を放ち、マヨウァと共に灰に消える道を選んだ。
マヨウァを逃がす為にクロヒコ、シロヒコのウァカにとっての実の兄二人こそがツヴラの邸宅に招き逃げ込ませてきたのであった。
ツヴラ、マヨウァ、クロヒコ、シロヒコは、葛城邸の業火の中に生きながらにして焼かれた。
シロヒコは、実弟であるウァカの野心に満ちた叫び声を外に聞きながら、静かに目を閉じたと伝わる。
クロヒコは、震えるマヨウァを抱き寄せ、炎が迫る中で
これが我ら兄弟の因果よ
と悟り、火の中に焼かれた。
マヨウァ、シロヒコ、クロヒコ三人の皇子は、生きて葛城邸から出てくることは無かった。
これにより、長年ヤマタィ王権を脅かし続けた最大のライバル「葛城氏」の長であるツヴラの勢力は根絶やしにされた。それはあまりに急であった。
●カツラギ・ノ・ヒッコトヌシ(葛城 一言主)との遭遇
葛城の地を蹂躙したウァカは、自らの勝利を確信し、葛城山へと登る。
その山頂で、彼は自分と全く同じ姿、同じ装束をした異様な男と出会う。
何者だ、貴様は!
ウァカが問いかけると、その男は不敵に微笑む。
我は、悪事も一言、善事も一言で言い放つ神。
カツラギ ノ ヒッコトヌシである。
ウァカは、この不遜な神を自称する者を自らの力で屈服させようと弓を引く。
その瞬間、葛城の山々に雷鳴が轟く。
雷神よ、貴様も我が言葉に従え
ウァカよ。言葉を重ねる必要はない。貴公の歩む道は、これからも血で洗われることとなろう
ウァカはこのヒッコトヌシを認め、自らの権威が神域にまで達したことを天下に知らしめる恰好のストーリーとして利用することにした。
神をも従えたウァカ、として。
ヒッコトヌシは、葛城邸から逃げ延びた葛城氏の忘れ形見だったのかも知れない。
●蚊屋野(カヤノ)の惨劇
マヨウァに暗殺されたアナフォ大王。次の大王を選ぶには、豪族連合の協議が必要だ。邪魔者であるツヴラの一味である葛城氏も滅ぼした。
豪族連合の老人達がやってきて協議することになれば、あの男が最有力になるのは間違えないだろう。
ウァカはそう信じた。
アナフォ大王から最も気に入られていた最有力後継者候補であるフォシハ(押磐)である。
ウァカは、フォシハを言葉巧みに狩に誘い出す。
共に大王の仇を討ち、今後の政を相談しよう
と、近江の蚊屋野(現在の滋賀県付近)での狩りへ行こうと声をかけた。
フォシハは人格者でもあったことから、人をあまり疑わず、自分が大王に選ばれれば、前大王の弟君であるウァカの力も借りなければならないだろう。
是非共に狩に行きましょう。
そう返信した。
ウァカとフォシハは、僅かの供を連れて早々に狩へと蚊屋野(現在の滋賀県東近江市市辺町付近)へ向かった。
数時間後、蚊屋野の野に横たわって亡くなっているフォシハを馬上から見下ろしたウァカは周囲の者へ言い放った。
次の大王は一人でよい。此方のような『人格者』に、この血塗られた国は治められぬ
フォシハは近距離後頭部からウァカによって射抜かれ、ほぼ即死であった。
ウァカはフォシハの遺体をバラバラに切り刻み、馬の飼い葉桶に詰め込んだ。
そして、近江と若狭を結ぶ街道沿いの山中(現福井県大飯郡おおい町名田庄挙原)に埋めさせた。その存在を消し去ったのである。当該埋められた地には、現在「皇子塚」という名称で残っているが、その塚の石を触った者には祟りがあるなど、昔からの不思議な伝承が伝わる。
●大悪(ハセ ツカベ)大王時代の幕開け
有力なライバルを全て血の海に沈めたウァカ。
彼は、アナフォ大王が持っていた「優しさ」や「対話」を捨て、圧倒的な武力と恐怖によって豪族たちを平伏させていく。
豪族連合による協議により、アナフォ大王の後継者は、ウァカになった。
ここに、ウァカ タケィル大王(獲加多支鹵 大王)が誕生した。
後世、人々は彼をこう呼ぶことになる。
「大悪天皇(はせ つかべ の すめら みこと)」
しかし、その一方で、彼の強力なリーダーシップが、バラバラだった「ヤマタィ」の邑を一つにまとめ、強大な中央集権国家へと変貌させていく事になっていく。
石上穴穂宮に吹く風は、もう甘い花の香りはしない。
そこには、鉄と血の匂いだけが漂っていた。
歴史の歯車が、一人の男の野望によって無理やり回され始めた瞬間である。
ウァカ大王が手にした「押木の玉縵」は、夕日に照らされて不気味なほど赤く輝いていた。
●凍える野の兄弟:オケ(億計)とウォケ(弘計)
その頃、はるか遠く播磨(現在の兵庫県)の地では、二人の幼い兄弟が牛馬を飼い、過酷な労働に明け暮れていた。
彼らこそ、ウァカ大王にバラバラにされ埋められたフォシハの子、オケとウォケであった。
ウォケよ。決して己の正体を明かすな。我らは王ではない。ただの卑しき飼い部(かいべ)として生き、泥を啜ってでも生き延びるのだ
兄上、わかっております。ですが、夜になると父上の叫びが風に乗って聞こえるのです。あの『大悪』の男が笑う声も……
二人は名前を伏せ、かつての煌びやかな宮廷生活を忘れ去ったかのように振る舞っていた。
しかし、彼らの瞳には、タケルと同じ「ヤマタィ」の血が宿す、底知れぬ力強さが秘められていた。
数十年後。
老いゆくウァカ大王は、後継者がいないことに焦燥を募らせていた。
そんな折、播磨の地で「ただの牛飼いとは思えぬ、気品に満ちた舞を披露する兄弟がいる」という噂がウァカ大王の元に届く。
視察を命じられたウォワケは、焚き火を囲んでいた兄弟と対峙する。
お前たちの名は?
沈黙を破ったのは、弟のウォケであった。
我らは、ウァカ大王に殺されたフォシハの子。天を衝くほどの恨みを抱き、今まで泥の中で生きてきた者なり!
その瞬間、ウォワケは剣を抜くかと思いきや、その場に膝をついた。
長年、血塗られた王権を支えてきたウォワケの目から、初めて涙がこぼれ落ちる。
お待ちしておりました。血は、絶えていなかった。
このウォワケ、今日この時より、お二人を新たな『光』としてお迎えいたします!
オケ、ウォケの兄弟は顔を見合わせ想定外のウォワケの行動に驚いていた。
●大悪の終焉
ウァカ大王(ウァカタケィル:後世の諡は雄略天皇)が崩御した際、その枕元に立っていたのは、かつて自分が殺した男の息子たちであった。
ウァカ大王は、自分を殺しに来たであろう兄弟を、満足げに見つめて息を引き取ったという。
奪い、殺し、守り抜いたこの国を、最後は『犠牲者の血』に返すことになるとは……
その後、兄弟は互いに「兄上こそ王に」「いや、弟よお前こそが」と譲り合い、血塗られた古代史にようやく「和解と治世」の光が差し込むことになった。
ウァカ大王が即位して、ヤマタィ王権は大王への権力を次第に集中させるようになり、フォシハの遺児によって王権は引き継がれた。
これによりスピーディな政策判断が可能になったという大きな政治的前進も見られたのである。
そのウァカ大王に影のように従った将、ウォワケ(乎獲居)。
彼は単なる武人ではなかった。
ウァカ大王が反対勢力を次々と斬り伏せるたび、ウォワケはその功績を重ねた。あまりに事情を深く知り過ぎていた。
オケ、ウォケ大王の時代になった。
ウォワケは遠く離れた東国の地へ鎮撫の任を受けて旅立った。國造りが来るまでの間、東国を鎮撫せよ、という命を受けて。
ウォワケは東国の地で生涯を閉じた。
あれだけウァカの為に手を汚してきたのだ。
なのに何故東国へ。
悔しかった。
ウォワケは金錯銘鉄剣を作らせ、自分がどれだけウァカタケィル大王に忠義を尽くして仕えて来たのかを刻み込ませたものが現代に伝わっている。
「我は、大王を助けて天下を治めた者なり」という誇りとともに。
銘文にある「辛亥の年(471年)」、「意富比垝(オホヒコ)」の系譜といった先祖8代の功績も刻んだ。
埼玉県行田市にある稲荷山古墳の被葬者こそこの ウォワケ(乎獲居)である。
また、同族の難波吉士であるヒカカの遺児も難波の吉士家に匿われているのが探し出された。キシ ノ カカコ(吉士 蚊子)という。彼もまた、父の濡れ衣を憐れまれ、大草香部連という賜姓がなされ、名誉挽回がなされた。そして難波吉士は現在に至るまでその系譜は受け継がれている。
ここに豪族の邑国家国家連合による統治から、大王(後の天皇)による支配が、つまり中央集権化が進んで国家の体をなしていくことになる。
古代日本語の発音
本稿では、五世紀の「倭の五王」時代という、現代日本語とは異なる響きを持っていたであろう古代の空気感を再現するため、当時の発音に近いとされる音韻表記を試みています。
●獲加多支鹵(ウァカ・タケィル):
上代日本語における「ワ」は、唇を強く突き出す半母音 [w] の響きが現代より濃厚であったと考えられます。また、エ段音(ケ)に含まれる特有の母音(甲類・乙類)の差異を「ィ」という微細な音の重なりで表現しました。
●アナフォ(穴穂):
当時のハ行は [p] または [f] 音(半濁音に近い無声両唇摩擦音)であったという説に基づいています。「安康」という後の諡(おくりな)に含まれる「コウ」という響きと、当時の生きた呼び名「アナフォ」が交差する瞬間を意図しています。
●ヤマタィ(邪馬臺;大和):
「ヤマト」の「ト」は乙類音であり、現代の平坦な「ト」よりも、より深くこもった母音を含んでいました。大陸側の記録に残る「邪馬台」の残響と、王権確立期の「ヤマト」が未だ未分化であった時代の「揺らぎ」をこの表記に込めています。

