なかなか休みが獲れないということを愚痴ってますが、主たるお仕事の休みが無いということではなく、第2、第5フィールドの方が固まってしまった、ということも要因の一つです。

 

本日は秋葉原UDXで都内の学生さん、社長さん、お役所の役人を集めてのワークショップ。

学生の皆さんは本当に賢い。

 

日本の未来は君たちに任せる。

 

理不尽なオールドメディアに毒された人達の集団暴力に負ける事無く、自分たちの意思を貫いてまずは選挙へ行って欲しい。

 

とうことで久しぶりの秋葉原。

開始時間までの間、当然のように秋葉原の名勝を回ってみることにしました。

 

秋葉原と言ったら、マンセー。

 

そう、万世橋です。

関東大震災で被災し、後の帝都復興事業に指定されます。

東京地下鉄道の渡河工事に伴う水路変更の必要もあって、いったん東側下流の木製仮橋に移転した後、1930年(昭和5年)に長さ26m、幅36m、石及びコンクリート混成の現在のアーチ橋に架け替えられました。

 

南側より北側が広い橋詰広場や、欄干袂の機械室と船着場は、地下鉄建設時の経緯によります。

 

別銘めがね橋とも呼ばれ、大変美しい橋となります。

 

そして、この橋の南側詰には、国鉄時代の中央線の終着駅である、万世橋駅があります。

本日の姿を見てみましょう。

右側奥の方から来た中央線は、この行き止まりの万世橋が終着駅でした。

現在は旧万世駅橋:マーチエキュート神田万世橋として活用されています。

 

近寄ってみましょう。

大変貴重な明治の遺構です。右には万世橋の欄干も見えますね。

 

1枚目の写真に見える中央線終点留の向こう側に立つビルが駅前広場のあったところで、この駅前広場の当時の様子は過去交通博物館に再現されていました。

レンガ造りの駅舎は本当に美しく、駅前広場には、日露戦争の英雄である広瀬武夫と杉野孫七の銅像がありましたが、太平洋戦争時の金属供出で撤去され現存していません。

 

詳しくは、「杉野はいづこ」で調べていただければ。

駅前広場には今巨大なビルが建ってます。

 

そのビルの麓、

当時置かれていた銅像の様子が、駅前広場跡にパネル展示されています。

 

この銅像基部が多角形になっているのに注目です。

はい。

広瀬中佐の銅像の基部と同じ大きさの多角形を模した基部を持った植栽があります。

 

この植栽の高さも、ちょうど広瀬大佐の銅像と同じくらいの高さになるのでしょうか、等明治時代の風景を思い浮かべながら。

 

元々は江戸城の門があったところで、17世紀初頭にこの万世橋の基になる橋がこの門(筋違見附)の前に掛けられたのが走りだそうで。

 

そして須田街交差点を小川町方面に50mほど歩いていくと、

こちら、神田青果市場発祥の地、記念碑。

 

秋葉原にはこれだけではないのですが、遺構が大変多く、歴史的にも大変貴重なものが多いです。

 

そして秋葉原駅の方に戻り、いつもの吉牛でお昼を食べてから目的地へ。

 

懇親会、2次会まで行ってからお帰えり。

 

クルセイダーのコクピットに少し工作。

Head up display を取り付けました。

 

明日夜は第3フィールドのシンポジウム開催です。

午前中は直前打ち合わせ(TT)

 

こんな適当じゃいけないですね。