大戦中期から末期の圧倒的な米軍制空下でも成果を出しながら激戦を潜り抜け、終戦まで満身創痍で戦い抜いた奇跡のハイブリッド駆逐艦「涼月」天号作戦時の工作です。
アオシマ製のキット「涼月」を使用して何と!「涼月」を製作するという無謀なチャレンジ。
涼月12回目の制作記です。
まず大前提ですが、帝國海軍の公的記録にフリガナやアルファベット表記が残されていますが、「すずつき」ではありません。「すずづき」が制式名称です。福井静夫自らの手書きメモもそうなっています。
ところで。
東京西部(八王子・相模原・日野・立川)では2~3日前から、空全体に響き渡るドドーンと比喩できるような地鳴りというか爆発というか、ものすごい音が響き渡っていて、それも不定期で続いており、巨大地震の前触れなのではないかなどなど危惧するところです。
私の模部屋から西部ドーム屋根見えますから、あき先生のご自宅なんかで聞えませんでしょうか?約10kmしか離れていないと思いますので。
上空全体に響き渡っているのです。
ドドドーンって。
軍関係者曰く空母発着艦訓練(スーパーホーネット)やっていないそうです。たまに厚木でソニックブームやりやがってゴーンとか聞こえますが、あれとはまた違う音なんです。
ただ・・・今陸自が富士で大々的に120mm撃ちまくっているそうです。流石にここまでは聞えない筈なのですが。
何なんでしょう。
怖い。
最近の話題をもう一つ。
先日徒歩でお散歩していたら、通り沿いの駐車場に、真っ黒な大型トレーラーに何やら白黒のロボットが横たわっていることを報告しました。
これが1/1のパとレーバーのロボットだったということは既に報告済みですが・・。

本日所用で、都内にあるとある大学のキャンパスにお邪魔しました。
そうしたらば!
何とVF-25のガウォーク・バルキリー1/1が作り込まれているではありませんか!
これ、一大プロジェクトでやってるガンダムシリーズなんか比較にならない程リアリティマシマシ。
お台場の恥ずかしいピカピカ発酵する巨大な玩具みたいなヤツとは大違い。
先日青森三沢で本物のF-16をいじくりまわしましたのですが、なんかそれよりデカイ感じします。

触りまくったF-16。
ビックリしました。
ぜんぜん知りませんでした。
無論写真撮ってもらいました。
流石にこれ目的で行っている訳では無いので、撮りまくる訳にもいかず、これ1枚。あずなぶるが前にいた写真ではじゃまだどけ、と言われてもそれはできないので、公開写真を貼り付けておきます。

1/1のヴァルキリーVF-25 早乙女アルト機 なのだと思います。
凄いですね。
これは一見の価値ありますよ。
では『涼月』を本日も少し進めたかったのですが考証編で終わります。
昨日したものの再掲。
以降は1945年9月にアメリカ軍の調査団が視察した時に撮影されたカラー写真やカラー映像のキャプションです。映像にはSasebo Suzuzuki と明記されていること、大破口と形状から涼月で間違えありません。
船体は呉海軍工廠末期迷彩色(5Nネイビーブルー)、構造物は更に異なる色など、大変多くの情報を得ることが出来ます。
船体の色が呉海軍工廠末期迷彩色(ネイビーブルー)であることを示す煙突右舷側機銃ブルワーク。
床面が亜鉛メッキ無塗装であることがよくわかる。
着色(カラライズ)ではなく、純粋なカラー映像のキャプション。
インターネットに出回っている着色再現カラー写真とは全く異なることが大変よくわかる。
高射装置にネイビーブルーの色が良く残っている。艦橋窓周辺が黒いのは天一号昨戦時の火災の跡かもしれない。わからない。
船首楼部分にリノリウムが無いことも大変良く判る俯瞰映像キャプション。
船体と上部構造物の色が異なることを示す貴重な艦後部の映像キャプション。
日焼けの影響の少ないブルワークの内側には船体色である呉海軍工廠末期迷彩色(5Nネイビーブルー)が大変良く残っている。
これら1945年9月に米軍によって撮影されたカラー映像等は、最近になって発見された為、近い将来、このネイビーブルーでの塗装が標準指示される日が来るだろう。
最後に。
アジア歴史資料センターで、遂に公文書を見つけました。
第2水雷戦隊(二水戦)の天一号昨戦までの動向が判ります。
呉海軍工廠と折衝し、大部分の工事を3月25日迄、一部を3月末迄に完成のこと、との指令を第41駆逐隊月型駆逐艦に出しています。どのような工事だったかも詳細に記録されています。
主要戦備工事:
月型駆逐艦機銃増備 41駆
月型駆逐艦4式射撃盤装備 41駆
月型駆逐艦電探増備 41駆
伝輪水平儀 冬月・涼月・霞 その他一隻
22号電探回頭修正装置装備 全艦
3式投射機装備 各駆逐艦→結局濱風のみ
3式側的盤装備 全艦
中波方位測定機装備 矢矧・朝霜
3型探知機(粍波送探)装備 各艦
1式短波受話機装備 涼月・雪風・響・朝霜
機関各部漏洩防止、解放検査 各艦
初霜甲板張替、推進器換装 初霜
工事の合間を見て急速練度の向上の指示。そして駆逐艦濱風のみ大津島で対潜訓練を実施するよう指示。修理終わり次第柱島へ移動し、大和と合同すべし、との指示。
3月19日、敵艦上機広島湾呉方面に来襲。各隊艦所在においてこれを迎撃撃退。
在呉艦船総合 撃墜14機
在広島湾艦船総合 撃墜9機
被害二水戦各艦 無し
軽巡洋艦矢矧の修理完了は、4月5日になれり。
3月23日冬月と朝霜、初霜がドックへ入渠。
ちょうどその時南西諸島に敵機動部隊来襲。慶良間列島に上陸開始。
天一号昨戦発令。
暫く軽巡洋艦矢矧の武装増備、電子戦装置の増強、22号不良レーダーの交換、防弾板の設置などがこの時続けられています。
そして興味深いのが、
艦内工作力を最大動員し、最小限度死角除去、並びに騒音影響減少を図るべく呉工廠と直接折衝、工事実施のことに決定せるところ、3月28日朝出撃の内示有り、遂に之を取りやむるのやむなきに至れり。
と記載があり、矢矧は艦橋右に設置された22号レーダーが不調で駆逐隊の2/3ほどの感度しかなかったことと雑音が酷かった、との記載があります。
冬月・涼月にはこの時に甲板上の機銃増備、初霜は甲板と主機の交換工事を行っていることが判ります。
濱風には対潜対策として3式投射機が設置された可能性が非常に高いことが判ります。
記録に書かれているので。
出撃前日の4月5日迄こんな直前までドックに出入りしているとは全く思いませんでした。
このあと数ページにわたり、響の触雷、朝霜曳航の詳細な記載がなされ、出撃前夜の日没後、矢矧に水偵到着と記載があります。黎明に一度空襲があり、水偵は一時退避した様です。
凄まじいドタバタ劇です。
手書きの素晴らしいガントチャートも書かれていますので、涼月を追ってみましょう。
3月01日 呉海軍工廠機銃増設工事
~
3月17日 呉海軍工廠工事終了
3月18日 回航
3月19日 対空戦闘実施
3月20日 広島湾へ移動
3月21日 転錨
3月22日 柱島へ移動
3月26日 回航
3月27日 呉海軍工廠
3月28日 回航
3月29日 広島湾 ~回航
3月30日 周防灘
~
4月06日 戦闘航海対空戦闘
4月08日 戦闘航海対空戦闘大破
14時50分 佐世保港沖に涼月着係留時浸水増大曳航入渠に決す
18時30分 佐世保海軍工廠第7船渠入渠
~
4月20日 佐世保海軍工廠第7船渠
:
冬月だとドック入りが直前まであったりと、涼月と共に行動をしていた訳ではなさそうです。
これも興味深いのですが、冬月、雪風、初霜が、4月10日から4月16日まで佐世保海軍工廠の第4ドックに一緒に入って応急措置を受けています。
ページ数でも数百ページに渡る膨大な資料です。読み解くだけでも大変。
矢矧の改装や、濱風の対潜装備の詳細説明、そして冬月の直前までの呉入渠。
そこで何をしていたかの記録もあるので、分析が楽しみです。
戦闘詳報も同じく数百ページ。
これも読み解くの滅茶苦茶大変です。
3月27日の欄をご覧ください。
ここに各駆逐艦燃料満載、大和3,000トン、矢矧1,000トンの重油が搭載された記載があります。これは沖縄との間を5~6往復できる燃料となります。
吉田満という生き残りが嘘を並べた架空戦記、戦艦大和の最期がいかにいい加減な内容であるかの証左となります。吉田の著作が左翼に利用され、辛辣な海軍批判の根拠となり、それが誤って世間で通説とされたものです。
面白い記録もあります。
涼月と冬月への魚雷補充を2本ずつとあります。何本積んだのか、装填したのかは判りませんが、こういったものを見落とさない様にまとめていくと、実際にどのような装備で出撃したのかが明らかになりそうです。
航跡もかなり詳しく正確に記録されています。
これは、第2艦隊と涼月が落伍して分岐するところの詳細です。
注意しなければならないのが、日本の戦闘詳報は大本営発表と真逆で、かなり過小評価の傾向があり、アメリカ軍の戦闘詳報と大きな開きがあります。
例えば大和に対して、約300発の対艦ミサイルをぶっ放したけど、60発くらいしか当たらなかった、とありますが、確かに300発は消費したとしても、60発は当たっているとは思えません。
日本の戦闘詳報は7発の爆弾被弾で壊滅とあります。
流石にそれでは少なすぎなので、アメリカ軍の38発爆弾命中と中間をとってせいぜい20発程度が良いところでしょう。
涼月の壮絶な戦闘詳報が数十ページに渡ってますので、こちらも楽しみ。
それとこんな記述も見つけました。
4月6日
午後7時01分
電波哨戒対空緊急対潜警戒配備トナセ
午後7時35分
日向灘敵潜ヲ避クル為艦隊予定進路ヲ変更140度ニ改メ発令ス
:
午後8時00分
之字運動開始(i法時隔5分)
磯風を中心に左翼に朝霜と霞、右翼に濱風と雪風
後方6kmに大和
大和を中心に左前方に矢矧、右前方に冬月
左舷に初霜、右舷に涼月
と記録されております。
吉田の架空戦記が有名すぎるので、本物の艦隊編成は斬新で見たことありません。
いずれにしてもこれらの指示を赤外線通信で実施しています。
所謂二式哨信儀発哨器を使用したことになります。
赤外線ビームを発信し、全受器で受信して赤外線通信を行うもので、電信では無いので傍受されません。
これで確実に全艦へ赤外線通信機器が設置されていることが確実となる訳で、推測が当に記録に見つけられて正確であったことが判明しました。
大変興味深い記録です。
それから雪風で作成された第17駆逐隊の戦闘詳報も別冊子であります。
眠いので本日はお仕舞い。
工作できませんでした。
では。
お休みなさい😴💤
今後の工作課程
・底板の取り付け
・艦尾甲板延長と三角支持架の自作
・後部リノリウム甲板におけるリノリウム範囲の確定
・爆雷投下軌条のエッチング取り付け
・揚貨機の自作
・蒸気捨て管と給気管の取り付け
・艦橋素体の仮着と前檣の仮着、調整
・艦橋素体の接着と前檣の接着
・スキットビームと後檣の取り付け
・後部甲板室周りの再現、ブルワークも
・哨信儀(発哨器、全受器)、双眼望遠鏡、射撃指揮装置、20cm赤外線探照灯の取り付け
・手摺の取り付け(対空戦闘用意時)
・防弾板の取り付け
・プライマーサーフェイサー
・第1次塗装
・甲板室水密扉、手摺、梯子、ジャッキステー取り付け
昇降口 艦尾×2
・艦橋頂部の空中線支柱作成と取り付け
・爆雷投下軌条の取り付け
・爆雷装填台の取り付け ×2
・爆雷投射器の取り付け ×2
・絡車の取り付け
涼月の考証続けてます。
判った事(些末なことまでは諦めます)
皆さまのお陰で主要なところは判明しつつあります。特にshidenkai様には、様々ご教示ご指摘いただいており、あらためて厚く感謝申し上げます。
●損傷修理により前後は最終形清月型で真ん中のみオリジナルの涼月
●艦首は冬月型と同じ清月型だが艦首フェアリーダの形状が清月型
●3番砲塔前方三連装機銃ブルワークは秋月型
●後部甲板室上の単装機銃ブルワーク内側設置は25mm単装機銃
●13mm単装機銃は合計4基は全て1944年12月に撤去
●後檣の13号電探基部が左前方側に斜め(死角無くすため)
●艦首部分近くのハルに新型大型調音機の収納の為護衛艦のように膨らんでいる
(艦首清月型の為:これを表現しているキットは無い)
●各種ブルワークは、高さはあっても1m:煙突脇の機銃ブルワークは40~50cm
●艦尾清月型フェアリーダが取り付けられている
●スタン後部煙幕発煙噴出管は撤去
●清月型はスタン形状の下部張り出しは無く、垂直に簡易化
●パラベーン有り
●船首楼甲板にリノリウム無し
●艦尾第4砲塔から後ろはリノリウム無い場所多し
●船首楼、ブルワーク内は、ほぼ全域亜鉛メッキ無塗装
●喫水線下球状艦首『清月』型に改修されて新型ソナーを装備
●塗装は末期迷彩(ニアリィ・ネイビーブルー)で全体塗装
とこんな感じで「涼月」の考証をゆるりと進めています。













