大戦中期から末期の圧倒的な米軍制空下でも成果を出しながら激戦を潜り抜け、終戦まで満身創痍で戦い抜いた奇跡のハイブリッド駆逐艦「涼月」天号作戦時の工作です。

 

アオシマ製のキット「涼月」を使用して「涼月」を製作するという無謀なチャレンジ。

 

涼月4回目の制作記です。

涼月の考察に満を持して次の通りの最新考察を採り入れてみます。
 

ですが今帰途なので制作は無し。

 

本日は涼月の塗装とリノリウムの残っていた場所の考察からに留めます。

考察というよりカラー写真を基にした色の再現とリノリウムの残っている箇所はトレースするだけですが・・・。

特にリノリウムの場所に対する疑義は重々承知です。


もしかしたら、天一号作戦時に機銃弾を受けて傷ついた為に張り替えるつもりで剥がした可能性もあります。

但し、譲れないのは鎖錨甲板は上甲板波浪デッキ全域でリノリウムは無く、亜鉛メッキ無塗装であったこと。

対空戦闘中の写真が存在する以上、これは間違えありません。艦前方の『清月』の部分にリノリウムは間違えなく無いと判断しています。

であれば、後部のリノリウムも同じく、と考える訳です。
ただ全ては剥がされておらず、部分的に残っているのも写真が実在する以上事実です。

リノリウムの無い部分は滑り止めモールドが写真から確認できるので、最初からリノリウムが無かった可能性もあるのでしょうか?

ウォーターラインシリーズの末期駆逐艦のキットにリノリウムが剥がされた、と塗装指示がなされている理由は、天一号作戦時の涼月の写真が実在するからと聞いています。

ご承知の通り、『涼月』は天一号作戦から帰還した後、修理は1946年初めからと決まり、そのまま浮砲台になります。

ボイラーに火を入れない為、陸上に電柱を設置、そこから電線を引っ張って第3、第4高角砲塔を稼働させたり、艦内電気を点灯させたりしていました。

乗組員は魚農隊を組織し、近隣の山林を開拓して畑を耕し、カッターを沖に出して漁を営み、自給自足の生活をしながら来たる修理に備えました。

従って、修理が見送られたことにより、天一号作戦時のまま終戦を迎えたことになります。

 

甲板後部の考察です。

膨大な数のカラー写真と長時間のカラー動画を残した『九月ノ涼月』から、後部甲板におけるリノリウムの範囲を上記の通り特定しました。

補足すると、解体作業開始時に撮影された写真と、後部甲板のリノリウムが残っている箇所は相違なく同じでした。

絵がへたっぴなので、実際にリノリウムが無い箇所はもう少し広範になります。

アオシマさんのパッケージ裏の塗装指示を加工して色を着けてみました。

塗装のイメージはこんな感じです。
 

艦体はネイビーブルー。構造物は濃いグレーです。佐世保工廠色で良いかも知れません。

舞鶴工廠色の上に炭塗っただけかな、だから青味が残ったかな、と思いましたが、竣工以降は、塗装を呉工廠で繰り返している以上、色が舞鶴工廠色ということは万が一にもありません。

また、砲塔の色は無塗装でもなく、亜鉛メッキ部分と比べても少しだけ暗い色となるので、呉海軍工廠色程度でも良いかも知れません。

1945年4月の時点での無塗装部分との色の差異があきらかであることから、色を変えています(実際は無塗装で影の部分が色を少し濃くして見えている可能性もあります)が、それが正解なのか判りません。

このシミュレーション塗装で、褪色を考慮すれば、かなりカラー写真や動画の色に近くなります。

ピットロードの最新考証キットの『雪風』の塗装もこの『涼月』に近いものとなりますが、艦橋前のリノリウムはあったと思われます。しかしながら復員船艤装を撤去した後、艦橋周辺にリノリウムはありません。

『雪風』の考証も随時進めていきますが、ピットロード最新考証キット『雪風』の作例がそろそろ出て来ても良い頃だと思いますので楽しみです。

工作の方ですが本日はお休みです。



今後の工作課程
・底板の取り付け(涼月の箱の中か)
・艦尾甲板延長と三角支持架の自作
・後部リノリウム甲板におけるリノリウム範囲の確定
・爆雷投下軌条のエッチング取り付け
・揚貨機の自作
・蒸気捨て管と給気管の取り付け
・艦橋素体の仮着と前檣の仮着、調整
・艦橋素体の接着と前檣の接着
・手摺の取り付け
・プライマーサーフェイサー
・第1次塗装