戦争の道に引きづりこむ軍事凶暴路線 1 | きなこのブログ

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日本を明るい未来へ…

[1161] 総選挙の結果(自民党の大勝、民主党の大敗)を受けて。私たちはこのあともしぶとく持久戦(じきゅうせん)です。
http://www.snsi.jp/bbs/page/1/
 
日本全国で自民党の勝利だった。
 
294議席ということは、前回の 2009年8月末の 民主党躍進、大勝利の時民主党が307議席も取っているから、それが完全に逆転したことを示している。
 
野田佳彦は、敗北を受けて、ただちに代表を辞任した。
 
というよりも、自分がアメリカの指図と命令で、急に解散・総選挙に踏み切ったことで、自分が、アメリカの操(あやつ)られ人間であることを自認している。
 
予定通りとはいえ、こんな惨(みじ)めな役回りまでさせられることを、野田佳彦は、やれやれ終わったよ、という顔で全身で表していた。
 
民主党は57議席にまで転落した。
 
あとは、小沢一郎が育てたけれども、小沢一郎から離れた、岡田克也と細野剛志たちが、大幅に減ってしまった民主党として生き残りの仕事をして行かなければ済まない。 
 
ここには、前原誠司や長島昭久(ながしまあきひさ)という、アメリカの軍事凶暴派のネオコンに育てられた者たちが残っているので、党内で、この50代の若手たちが、議論と抗争を繰り返すだろう。 
 
全くもって古臭い顔をした 安倍晋三の政権が出来る。
 
2007年9月に、官僚「オール霞が関」に苛(いじ)められて、首相命令に彼らがサボタージュで叛(そむ)いたので、大腸カタル(下痢)で政権を放り投げた安倍晋三が、また、やるのだという。
 
大きな力が外国から掛かっているから、こういうことになるのだ。
 
それと、韓国発祥のおかしな宗教団体(統一教会)の力が、自民党の中にまでジワジワと再浸透していて、その流れの軍事凶暴路線に乗っている。
 
これは日本を危険な、戦争の道に引きづりこむ動きだ。
 
日本の政治は、全く変わることなく、「昔ながらの自民党政治」に戻ってしまった。
 
これでは、公明党という宗教政党が31議席取って、合わせて324議席で、480議席の総数の3分の2を越すから、どんな法律でも(参議院の反対があっても)通すことが出来る、となったとしても、公明党自身が、党是である「憲法改正反対」の立場を維持する限り、連立政権はごたつく。
 
その分を、54議席取った維新の会が、入れ替わって、補完することになる。
 
ここでのゴタゴタが次の日本の政治の中心だ。
 
維新の会は、「統治機構(とうちきこう)の改革」というオブラートに包んでいるが、これは憲法改正のために自分たちは存在する、ということの表明だ。
 
私たちが、初めは支持した(鳩山由紀夫政権の8か月だけ)民主党政権の、その後の、党内での、アメリカと官僚たち「オール霞ヶ関」の言うことを聞くか、聞かないで、政治体制の改革(官僚主導政治の廃止)をするかで、揉め続けて、それでこの 3年3か月が過ぎた。
 
日本全国の 経営者、資産家、生活者、職業人たちは、この民主党のゴタゴタの分裂劇に、嫌気(いやけ)して、それで、自民党294議席という、旧態依然の政治に戻してしまった。 
 
これも、国民(有権者)の投票総数の30%で、60%の自民党議員が当選する、という仕組みで出来ている数字だ。
 
私たちの学問道場は、知識人、読者人の集団であって、国民政治に責任を持つ集団ではない。
 
だから、私たちは、自分たちの主張を貫いて、今後もこの国の先を先を読んで、 「日本国民よ、気を付けなさい。用心しなさい。私たちは危険な方向に連れて行かれようとしているのだ」 と、書き続ける。
 
小沢一郎という優れた国民政治家が、亀井静香と共に、当選して何とか生き残った。
 
小沢一郎を、4年前から、刑事犯罪者に仕立てようとして、警察・検察・法務省・最高裁判所の「法の番人」たち、公務員たちが自ら犯罪者集団となって、小沢一郎に卑劣な攻撃を仕掛けた。
 
これは明らかにアメリカの指図、命令に基づくものだった。
 
それで、私たち国民が待望した2009年からの“小沢革命”は、手ひどい打撃を、毎回、毎回、何度も、何度も、謀略裁判という形で受けた。
 
あれほどの激しい政治弾圧を受けると、さすがの国民政治家・小沢一郎でも、身動きが取れなくなった。
 
先生の田中角栄(たなかかくえい)が味わったのと、まったく同じ十字砲火の、非道な圧力だった。 
 
それでも小沢一郎は、我慢に我慢を続けて、三権分立(さんけんぶんりゅう)の憲法体制に反する発言をしなかった。
 
私は、終始一貫した小沢一郎の国民指導者としての生き方の、すばらしさを称賛してきた。
 
今もこの考えに変わりはない。
 
若い人を育てる、若い人に次の時代を託す、という生き方こそは、ある程度の年齢になった人間が、優れた人物ならしなければいけないことだ。
 
小沢一郎は、多くの若い政治家を育てた。
 
彼らの多くは、やがて小沢一郎を裏切って、「小沢と一緒に動くと、ロクなことはないぞ。こっちに来い、こっちに来い」と誘われて、そして離れて行った。
 
小沢一郎は、彼らひとりひとりの行動と決断を許している。