坂道を転がり落ち「韓国化」する日本・新自由主義グローバリズムの否定こそが事態を打開する
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[「韓国化」する日本・40歳定年制の狂気]
当ブログでは、アジア通貨危機の際に、
IMFやヘッジファンドを敵に回し敢然と戦って、国を守ったマハティール首相(当時)率いるマレーシアと、
IMFの言うがままに市場を極端に開いた結果、
経済を乗っ取られ、
政治まで乗っ取られ、
公共領域の解体が進められ、
仕上げの米韓FTAによって、
国民国家としてはもはや終了したとも言える韓国とを比較検証してきた。
そして残念ながら日本はマレーシアの採った道を選ばずに、小泉・竹中構造改革・市場原理主義路線を採用し、外資にわざわざ門戸を開放した結果、韓国に非常に近い状態になってしまったということも指摘した。
日韓両国は経済面でも乗っ取りが進み、また軍事的にも独立していない点でも酷似している。
外資がある国の経済を自由の名の下に乗っ取りを進め、さらに政治家もその配下において国家そのものをいわば食い物にすることを「ネオ植民地化」と呼び、それが具現化したものが韓国であるということを指摘してきた。
つまり「ネオ植民地化」は「韓国化」と呼べばわかりやすいと思う。
詳しくは当ブログ記事
「日本の「韓国化」を阻止せよ!:TPPによって日本の「韓国化」「ネオ植民地化」完成を目論むBKDを討て!」
をご参照いただきたい。
日本は現在の新自由主義路線を採り続ける限り、「IMFの優等生」である韓国は、財界からは見習うべき手本であるとして賞賛されると同時に、一方で、日本よりも自殺大国となってしまうなどの、様々な社会問題を内包するもはや社会とは呼べないような社会は、日本が迎えるであろう近未来を提示し続けることになるのだ。
韓国は45歳定年制で雇用率が59%まで低下したという衝撃的ニュースが朝鮮日報で報じられたのは先月6月27日のことであるが、その直後の7月6日に野田佳彦首相を議長とする国家戦略会議のフロンティア分科会がなんと「40歳定年制」を打ち出しているのだ。
ちなみにこの分科会のメンバーは財界人ばかりで、野田内閣の「資本直轄内閣」という性格を浮き彫りにしている。
ちなみに韓国の若年失業率は政府発表では7.6%となっているのだが、実質は16.7%である。
政府統計は就職準備中や就職を諦めた人を統計から除外するという小細工をしているのである。
また45歳定年制ということだから、45歳より上の失業者をカウントしていない可能性もある。
この提言では「皆が75歳まで働くため」などと銘打っているのだが、実際に導入すればどうなるかは韓国の事例が示している。
皆が75歳まで働くなどということはありえないのであり、それは目標なのではない。
実際の目標は「40歳定年制」の実現であり、「75歳まで働けるようにする」というのはその目標を達成するための言い訳(ネオリベ流ニュー・スピーク)に過ぎない。
この事例を見ても、日本の経済界がいかに韓国の後追いをしているのかがわかる。
私はこの「韓国化」という視点は非常に重要であると考えている。
マクロ政治や比較国家論においてある国家を分析する尺度としても有効であると考えている。
日本の学界の現状がどうなのか知る由もないのだが、政治学者で同様の視点で事態の進行を分析している人はいるのだろうか。
もしいないのだとすればそれは非常に憂慮すべき事態である。
高い学費を払って大学で学ぶ意味があるのであろうか。
[坂道を転がり落ちる日本]
「知識人の転向は、新聞記者、ジャーナリストの転向からはじまる」と丸山真男は述べているが、今の日本はまさにその状態にある。
しかも過去の「転向」に見られたような良心の呵責や深いレベルでの苦悩というものが見出しがたいという点で、「近代」の理解・受容も中途のままポストモダン・テレビ衆愚時代を経てしまった、哲学も倫理もなき日本の深刻な病理を示していると言える。
マスコミはジャーナリズム機関であることをやめ、資本のプロパガンダ機関となり、知識人なるものは声を潜め、ニセモノの知識人がテレビの画面で減らず口を叩いている。
民衆のためになる政策は「バラマキだ」「大衆迎合だ」などと非難する一方で、
少数支配層にのみ都合の良い政策をその国民への不利益も説明せず民意を無視して決めることを「決定する政治」などという「ニュースピーク」を編み出して賞賛しているのである。
議会制民主主義も形骸化し、風前の灯となっている。
こうした危機的状況に対して正面から異を唱える政治学者が皆無に等しいということに私は正直愕然としている。
多方面での社会制度の劣化が決定的となってきている。
大手マスコミのジャーナリズムは既に窒息死したと言える状態であるが、アカデミズムなるものにも同様の診断がなされるべきなのだと思う。
旧来のアカデミズムは無視して、新たなアカデミズム、ある意味アカデミズムの再興とでも呼ぶべきものを我々は目指すべきであると思っている。
アカデミズムのみならず、労働界・財界やその他のまだ生き残っている中間団体など多くの分野で同様のことが言える。
日本は長らく坂道を降り続けている。
下り坂が長く、しかも当初は傾きの緩いものであったのだが、上りに向かうように見せかけるだけで、実際には傾きは徐々に下方へと向かっており、日本という国の転落のスピードは加速してきている。
なかなか中にいる人は気づかないのであるが、それを操縦している連中の目的地は最初から定められており、それに向かって進んでいる。
TPP問題が出てきたおかげでやっとこのことに気づく人もでてきたと言える。
新自由主義グローバリズムを今ここで踏ん張って阻止し、この流れを止めることができるか否かで日本の将来は決まる。
民衆側が国民国家を取り戻すことができるのか、それができずに「ネオ植民地」となるのか、
2012年という年は後から振り返って見れば、歴史上の大きな分岐点となると思う。