ジェラルド・カーティスとそのCIA疑惑が問われたFCCJ講演会(加筆済み)
http://amesei.exblog.jp/15782104/
陸山会事件は無事、小沢一郎無罪になりました。その日、午後から行われた、外国特派員協会(FCCJ)のジェラルド・カーティス講演会にフリーの立場で参加しました。題名は「「小沢判決とその衝撃」。この講演は外国人記者たちが、本国に送る記事に引用するための識者のコメントを拾うための機会だろう。実際、あとで海外報道を確認すると、この講演会でのカーティスのコメントを引用した記事がいくつもあった。会場には、NYT、FT、その他フリーの記者たちが詰めかけていた。私も前の方の特等席で聞くことができました。
講演の相手役は上智大学・国際教養学部の中野晃一教授。この人も含め、講演会は全て英語で行われました。
講演会はまず、カーティスの経歴や小沢一郎の政治キャリアについて中野教授から説明があった。
講演会が始まって15分位突然、その中野教授の方からカーティスに「あなたはCIAだという疑惑がネットでささやかれている」とカーティスに向けられた。カーティスはその時、小声で何かをつぶやいていたが、なんと言っているかは聞き取れなかった。
この中野教授は、必ずしも小沢を評価するわけではないようだが、小沢デモのことや検察審査会の問題点について、一定の理解はしている。
カーティスには、質疑応答タイムでは、別の記者(マイケル・ペン氏)からも「ウォルフレンが検察による小沢に対する謀略について書いているが」という趣旨の質問も投げかけられた。
カーティスは講演の後半で、「私がCIAという説は、陰謀論であり、クラップ(ゴミのような話)」とは吐き捨てた。彼としてはそう言うしか無いだろう。
イラク戦争の時に起きたヴァレリー・プレーム事件でもCIAエージェントの素性を一体誰が漏らしたのかということが全米のメディアで大騒ぎになったほどだ。
最近、中国で起きた薄煕来事件でも薄煕来の妻に殺害されたイギリス人実業家ヘイウッドは、イギリスの大手コンサルティング会社のメンバーでもあり、巷では「彼はMI6の情報要員ではないか」とも言われていた。
そのような民間人の立場で情報を収集する、「ノン・オフィシャル・カバード」という工作員はどこの国にも存在する。しかし、それを暴露されたからといって、表立ってそれを認めるわけにも行かない。認めてしまえばその人のキャリアは終わりになる。アセット(諜報機関の資産)としては終わりになる。
しかしながら、カーティス=CIAという話は、根拠のない陰謀論でも、別にどこかで降って湧いた話ではない。カーティスはCIAそのものではないかもしれないが、カーティスがCIAの情報提供者だという資料は存在する。
Crowley Files of 1996という資料である。
ここではCIAへの情報提供者として、カーティス教授と朝日新聞の前主筆の船橋洋一の二人の名前がある。(http://www.crow96.20m.com/ )
この真偽についてもっとハッキリと確認すれば面白いことになったかもしれない。
質疑応答ではイギリス人の記者が、「検察審査会」とそれを追及する市民の会の動きについて質問する一幕もあった。検察審査会の審査員の平均年齢が二回とも同じだったということを聞かされて、
この記者は軽く笑っていた。
それから、今日の講演会の舞台となった有楽町の外国人記者クラブだが、もともと田中角栄の金脈追及が行われたいわくつきの場所である。ここが実は極めて重要だった。
http://globe.asahi.com/feature/090406/side/02.html
長年の老練なジャパノロジストが、世界に向かって配信される動画中継の中で、CIAとの関わりについて問われる瞬間。皮肉なものである。彼は工作員だったとしても、もうその立場としては終わりだろう。カーティス先生、カーティス先生と周りでこれまで慕ってきた彼の教え子たちの行動を私はじっと観察していきたい。
小沢のことを古い政治家とカーティスは語るが、彼もまた、過去のジャパンハンドラーとして終わっていくのだろう。
小沢に関しては、無罪判決が出た以上、あとは彼の政治的手腕だけで純粋に判断されるべきだろう。それは小沢支持のデモに関わっていた人も私に同じ事を言っていた。このあと、小沢が消費税法案を審議する国会において、どのように政治家として動くのか。ここを私はじっとみていこうと思う。
小沢は指定弁護士が控訴しないことを見極めて会見を開くと言われている。小沢に対する無罪判決が出たこと、因縁の外国特派員協会でジャパン・ハンドラーのカーティスが「醜態」をさらしたこと。アメリカと日本の官僚連合体が、4半世紀以上前に「田中角栄に仕掛けた呪い」が解け始めている。
実はこのことが日本の政治にとって一番重要だったのである。
その意味で、一つの時代に区切りがついたとはいえるのではないだろうか。
