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(前回からの続き)
その時ちょうどLINEが来た。
友人のレストランに予約していたけれど
葬儀でキャンセルしなければ
ならなくなったので
連絡を入れておいたのだ。
そのレストランの雨樋を
父が施工したことがあり
その友人は父を知っていた。
「やだやだやだ!どうして?」
私よりもダダっこのように
書いてくれたことによって
私はこの時、初めて泣くことができた。
さらに
数年まえに父を亡くした
友人からのLINE。
葬儀の時
堪えて頑張ってた自分が
堪えきれなくなって泣き
同時に母と堰を切ったように抱き合って
泣いた時
自分の気持ちを大切にできた
と聞かせてくれた。
そこからさらに大泣き😭
私は父に思いを馳せ
お風呂で思いっきり声を上げて泣いた。
「お父さん、お父さん」
と泣きまくった。
こんなに泣いたのは
一体いつぶりだろう。
「寂しい」
「悲しい」
この独特の体感覚。
昔は馴染みのあった体感覚。
これが嫌すぎて
でも馴染みもありすぎて。
最近はこんなに
大きな波を感じることがなかったので
今の私をこんなに
泣かせることができるのは
父(と母)しかいないなと思った😭
泣いて泣いて
本当にスッキリした✨
泣けずにいた時に
身体に溜まっていた重いものが
スっと抜けた感じだった。
気が上がりすぎて
一睡もできていなかったけれど
泣き終えてから
2時間爆睡した。
本当に身体が
めっちゃスッキリしたのだ✨
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(前の前の投稿にも書いたが)
この時
同じ「泣く」という行為でも
大きな違いがあることに気づいた。
私はとても繊細で
「泣き虫」な子供だったので
「泣くな!」と言われて育ったけど
それができない
自分に本当に困っていた。
やがて
気が小さくてビクビクしている
自分を誤魔化し
感覚をなるべく麻痺させて
揺らされないようにする技を覚えた。
悲しいことも無くなったけど
楽しいことも無くなった。
「なんか良いことないかなあ」
それが口癖になった。
思考で納得して
感じないようにする自己防衛。
でもその後ろには
感じるのが怖いビクビクした繊細な神経。
いざという時には
やすやすと決壊し
取り乱すの繰り返しだった。
怖すぎて
感じたくない
避けたい
ありえない‼️
そのときは
いくら泣いても
スッキリすることはなかった。
今の感覚を受け入れるのではなく
なんとかして避けたい
過去への後悔と
未来への不安。
全部「思考」
イマココの「感覚」は無視。
ーーー
●「嫌だ嫌だ!ありえない」と
今を否定して泣くのと
●「ああ、今私はこうなんだね」と
今を許容して泣くのと。
それでは全く違う。
感じることに抵抗しなければ
悲しくても寂しくても
苦しみにはならない。
感覚は感じることを許せば
その場で消えていく。
身体に溜まらない。
だから本当にスッキリした。
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感じるというのは
「イマココ」でしかできない
人にどう思われるか
相手の事情
過去のこと(義理人情)や
未来にどう影響するか
……なんて考えてるとできない。
私は
一人暮らしだし
コツコツ感じることを
やってきたから
思いっきり出せたけど
ほとんどの人は
こういう時でも
感じていることそのままを
身体の反応として出すのは難しいだろう。
無意識に抑えるだろう。
そう。
葬儀を取り仕切って
進行しなければならない
男性陣にこれはしたくてもできないこと。
「男尊女卑」とかいっていたけど
男はなかなか辛い立場だ。
がんばれ!弟✨
(つづく)