ヴィパッサナー瞑想④「瞑想の内容」 | キエコノ気づき

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2014年11月〜
自分に戻る過程での「気付き」を記したブログ

※この投稿は私の備忘録です
ヴィパッサナー瞑想は、人それぞれの「経験/体験」。
行くつもりの方は読まないほうが良いかと思います。
人の体験が前提になり、結果、妨げになるかも。

 

 

 

 

ーーー瞑想の内容ーーー

 

10日間コースでは
3種類の瞑想をする。

 

・アーナパーナ【呼吸を観察する】
・ヴィパッサナー【体の感覚を観察する】
・メッター【愛の瞑想】

 

●1日目〜4日目
・アーナパーナ【呼吸を観察する】
 これは、集中力を高めるため


●5日目〜9日目
・ヴィパッサナー【体の感覚を観察する】
 これは、ありのままに客観視するため

 

 

●10日目(ヴィパッサナーの後に)

・メッター【愛の瞑想】
 これは、生きとし生けるものと愛を共有するため

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーアーナパーナ【呼吸を観察する】瞑想ーーー



鼻でしている
自然な呼吸を感じて
常に気づいている。

 

 



え?

まず、鼻の呼吸自体が
よくわからない。
鼻の穴に当たる感じ?

少し強てみて。

うーん
ようやくわかったような。

 

 

 



それを【観察】

いや、もちろん
しようとしましたよ。

でも15秒とすると

「あーこの瞑想の体験
 帰ったらどーやって
 説明すればいいかな?」



いつのまにか
意識は呼吸から離れ
他のことを考え始める。







ふと、我に返って

「いやいやいや
 今、一番大事なことはコトは
 呼吸を観察すること」





鼻をフンフンと
少し強めの呼吸をして
意識をそこに集中する。

しかし、またしばらくすると
別のことを考えてる自分に出会う。






まあ、驚くほどに
次から次へ
いろんなことを考えていて。

しかも、内容に脈絡がない。




心配事から
ごく日常のこと、ならまだしも
とんでもないコトが出てきて
自分でも受けた。

メモっておけないので
ほぼ忘れてしまったけど


知らない木が何本も生えてきて
なんだろうと、掘り起こしたら
生のアボカドが半身でくっついていて
ああ、アボカドの木って
こんななのか〜!(知らない)と
納得する、とか

メルカリの使い方を
人に、とても熱心に
説明している場面とか。
メルカリなんて
普段使いもしないのに(・_・;





あまりにも支離滅裂。
そして、絶え間ない。






別のことに行ってしまっている自分に
5分以内に気づけばまだ良い。

果てしない、思考の旅に
出かけてしまう。




───




こんな
おしゃべりな頭の中を
自分で体感したのは初めてだった。





思考が強い人間だとは
おもっていたけれど
こんな姿をしていたとは!



普段

どれだけ
浮かんでは消える思考を
認識せず
または、文字や映像、会話で
紛らわせていたのか。




それは
集中できないということでもあったけど
苦しい思考の時は
それで助かっていたんだ。

それは「ごまかし」だ、けれども。





───




連続して1分。
呼吸を見続けられるようになるのに
多分、2日くらいかかった。

 

 

途中から今度は
鼻腔下〜上唇の上の
小さな三角地帯(男の人なら口ひげ生えるあたり?)
意識するように言われる。

そこに息が当たるカンジ。
むず痒かったりするカンジ。

これもなかなか難しい。





体は
3日目くらいで
座ることにだいぶ慣れてきた。


そんな感じがしていたので
この頃までは
あまり辛くはなかった。









ーーーヴィパッサナー瞑想ーーー
【体の感覚を観察する】




4日目の後半から
いよいよ
ヴィパッサナー瞑想
がはじまる。

前知識として
「体を見ていく」ということは
知っていたけれど




だから何?



って感じだった。

 

 

 



今まで
呼吸と上唇から鼻腔までの
三角地帯を観察していたのだけど

今度は
全身の体の表面を観察していく。

目を閉じたまま
意識だけで。






例えば
雨粒が太腿に落ちたら
見なくても、そこがわかるように
意識だけを向けていく。

頭頂から足先まで。




まあ、この意識移動が
なかなかできないわけですよ。

私の場合
目を閉じているのにもかかわらず

意識を向ける度に
その位置に向けて視線を向けて
眼球を動かしていたみたいで
やりつづけると
こめかみが痛くなってくる。


それに気づき
前に眼球を向けたまま
意識を動かす。

すると、大分スムーズになってきた。





で。

で。

で?

ですよ。





これに、何の意味があるの?

ただ
体の感覚に

意識を向けることに
何の意味があるのだろうか?











ーーー瞑想の意味ーーー





今だと体感的にもわかるのだけど
その時、知識的に説明されて(音声講話で)
納得したカンジとしては



「瞑想」は「潜在意識」とつながる方法。

 

 

まず

 

【呼吸】は

「顕在意識」と「潜在意識」の中間にある。



呼吸は
しようしよう!していなくても
絶え間なく行われている(潜在意識)

それでいて
 

強めたり弱めたり

早くしたり遅くしたり

コンロトールもできるのだ(顕在意識)

 

 

 

だから【呼吸】は
顕在意識から潜在意識の橋渡しになる。

 

 

 



思考=顕在意識

 

というのはよくわかる。

 

 

そして
 

潜在意識は肉体感覚のレベルで
初めて捉えることができる

体の感覚に気づかない限り

潜在意識にアクセスすることは
できない
……らしい!



 

つまり

肉体感覚=潜在意識

 





 

感覚(気持ち良さ/痛み/苦しみ)
選ぶことはできない



しかし

その【反応】は選ぶことができる





観察/客観視する時に。

一呼吸置く時に。



 

 

人は【感情】を感じているようで

実は

肉体感覚を感じている






 

その肉体感覚に対する
反応が【感情】だ。

 






嫌なら【嫌悪する】

快なら【渇望する】

気持ち悪くても

気持ちよくても

 

苦悩になる。






だからその感覚を
ただ、客観的に観察する。






例えば。


不快を不快と認識しながら
「嫌悪」しないで

「ただある」と見る。


その不快を
自分と同一化してしまわないで
自分とは別のものとして認識する。



「ただある」(脱同一化/客観視)

「どっちでもいい」(ジャッジしない)
 

 

感覚としては

「一呼吸おく」カンジ。






 

 

今まで


無意識に(潜在意識で)
不快→嫌悪
「嫌だ!!」


反応していたところを



不快→客観視
「ただある」と


観察する。




そうすることで

一呼吸おいて
それに対しての
反応を変えることができる。




顕在意識ではなく
潜在意識のレベルにおいて。




「ただある」と客観視することで



「不快」なことを
避けようと「嫌悪」しなければ

「気持ち良さ」を
得たいと「渇望」しなければ

 

 



苦悩は生まれない。







「感覚」を客観視することで
苦悩を生まない。

その「客観視」の【技】が
ヴィパッサナー瞑想なのだ。







と、理屈で理解するだけでは
まったく何の役にも立たない。

顕在意識でしか認識していないからだ。


体で体験して初めて
潜在意識で認識できるのだ。













ーーー瞑想でやることーーー



瞑想で、やることは二つ。





●「感覚」を感じ取る力を培う

通常、人は自分の感覚を感じ取る能力を持っていない
だから、瞑想で意識を研ぎ澄まし
自分の体の感覚を感じる力を培う





●「感覚」に対して「心を平静に」保つこと



どんなに快い感覚で
いつまでの続かないモノ
=無常
であることを体感する。


どんなに不快な感覚でも
いつかは消え去るモノ
=無常
であることを体感する。





そしてこれは
誰もが至ることができる境地。



……だということ。






 

 

始めた時には
まったくわからなかったけど。


(つづく)