自分にフォーカスした
(自意識過剰な)コトだけを書く。
【その1】
私の名前「きえこ」
きえこって。
祖父がつけてくれた。
私の名前。
それから、今日まで
ずっとこの名前を呼ばれて生きてきた。
名前は良くも悪くも
「私」を表す。
「私」をラベリングする。
数秘も
生年月日と名前から
その人のバイブレーションを読み解く。
きっと、この人生のために
名前も選んで生まれてきた。
ーーーーー
「きえこ」
漢字はともかく。
その「音」からの
名前の意味。
消え子
帰依子
消える?
vanish……?
帰依する?
=すぐれた者 (特に人格者) に対して、
全身全霊をもって依存すること。
依存?
なんだか
存在感ないような
主体性ないような
名前……。
……とずっと思ってきたけれども
解釈を変えると
消える=自我の手放し
帰依=委ね
と、とることもできる。
意味付けなんて、自分次第。
そして
これらの意味が
コインの裏表のように
表裏一体ならば
消えるの反対は、と調べて見る。
「対照的」
「真逆」
「正反対」
というのは、関係が深い。
現れる/熾る/残る/灯る/燃える/点く
目に止まったのは「ともる」
ーーーー
ここから連想ゲーム。
ならば
きえこ←→ともこ
「きえこ」とついになるのは「ともこ」
は!
ずっと気になっていた
智子ちゃん。
彼女は小学校の同級生。
彼女は、私が悩んでいた時に
絵を買ってくれたり
教師をしている彼女は
教材のイラストの仕事をくれた。
その仕事が、キッカケになって
その後、英語の教材や中学生の教科書の
イラストの依頼がたくさんきた。
その後、私が
個展をすることになって
久しぶりに連絡をとったら
彼女の旦那さんから返信があり
彼女は、脳出血で
意識もはっきりしない
車椅子生活になったと聞いた。
でも、私は、会いにいけなかった。
そんな姿の彼女を見るのが
怖かったからだ。
旦那さんに恩知らずって
思われてるかもな。
そんなことを思いつつも
いけないまま4年が過ぎた。
今なら、会いに行けるかな。
どうしてるだろう。
─────
自分の名前のことを
書いていたはずなのに
芋づる式に
こんなことを思い出して書いてる。
まあ良い。
こんな風に
自分のことを掘り返すのも許可しつつ。
───
「きえこ」
響きは
そんなに好きでもなかった。
古臭い感じがしたし
子供の頃
母親に「きえこー!!!」と
大きな声で叱られた
記憶が大きいからか
名前を呼ばれると
いまだにビクッとすることがある。
ーーーーー
私は
自分の名前の
珍しさが好きだ。
「基恵子」
名字を合わせて検索すると
私しか出てこない。
唯一無二の名前。
そう、私は私として
「唯一無二」でありたいと
そこに
喜びを感じるのだ
と、今
名前のことを書いていて
気づいた。
ーーーーー
すでに。
誰一人として
同じ人などいなくて
ただ、いるだけで
「唯一無二」なのにね!
私は私で
ありたいだけなのだ。
