【シンプル】すぎて「受け取れない」の心理①
前回の続き
「サラとソロモン」という本を読んだ、つづき。

私はそもそも
ネガティブ/拗ねてる人間だった。
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ナリ心理学の拗ねるの原理が的確すぎたのでシェア
すねる星人からのメッセージ:
「私は怒っている!
なぜなら、お前は私のことを分かろうとしないからだ!
だから私は怒っている!お前は私を怒らせたのだ!
お前が悪い!お前は罪悪感を持て!お前は罪悪感を抱け!
そして、罪悪感を持ったあとに、私のことを分かろうとしろ!」
すねるの原理:
「相手に罪悪感を持たせることによって、
こっちを向かせて、わからせようとすること」
=拗ねるとは暴力である
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こ、心当たりがありすぎて
く、苦しい![]()
その節は、暴力して
すみませんでした![]()
だから
「引き寄せの法則」で
現実がどうであろうとも
心地良いバイブレーションで居続けること
光/ポジティブにフォーカスし続ける
……なんて言われても
そんなのは
現実逃避なんじゃないの?
単なる逃げなんじゃないの?
未来から飛び込んでくる
サイン/メッセージ
自分を信じる
……なんて言われても
勝手な思い込みなんじゃないの?
都合のいい解釈なんじゃないの?
「妄想」なんじゃないの?
と思っていた。
そんなんでいいの?
現実そんなに甘くない。
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「サラとソロモン」を読んで
まさに、これこそが
私の陥っていた状態
だと気がついた。
現実は、いつもフラットだ。
私は
良い気分、光にフォーカスすることは
現実逃避なんじゃないの?
と言いながら
嫌な気分、闇にフォーカス方面に
現実逃避をしていた。
ふわふわと安心してるより
用意周到に危機管理してるほうが
大切だって
子供の頃に教わったよね!!!
「ふわふわと安心」
そんなコトで
人生うまくいってたまるか!
……って、思ってたわけです。
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思い込みもそう
「自分を信じる」と「妄想」
の違いはなにか?
未来からのメッセージやサイン
インスピレーションを信じる。
自分を信じる。
そんなの
「妄想」なんじゃないの?
これ
私がずっと怖かったこと。
エビデンス(根拠)のないこと
常識ハズレのことをいうと
「おかしい」と思われる。
そこまでいかなくても
自分が
「勘違い」していると
恥ずかしい思いをする。
このブログを書き始めた
最初の頃
「(ちびまるこの)みぎわさんになりたくない」と
書いていたのがそれだ。
(今、痛すぎて読み返す気にならない)
「その顔でそれをいう?」
「その経歴でそれをいう?」
といわれるのか、本当に怖かった。
自分をポジティブ評価して
(そこまではまだ許容)
それを開示している人をみては。
自信過剰……私には無理……と思ってきた。
すごい自信だ……!
そのレベルで、そう言えちゃうの?
もっとすごい人なんていっぱいいるよ!
そんなこと私にはとても言えないよ。
誰に何て言われるかわからないよ!
外的基準。
まだ、何も言われてないのに。
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「サラとソロモン」で
サラが、現実に対して
心配したり、落ち込んだり
残念に思ったり、憤ったり。
もう、それは
当然としか思えない
ナチュラルな反応。
普通、こう反応するだろ〜!
くらいな?
これ以外に思いつかないんですけど!
くらいな。
今までの私が陥っていた
その反応。
悪気ない。
相手のため
組織/社会のため
と思っていたりさえもする。
全自動な
ネガティブな反応。
それを手放すのは怖い。
心配や不安が手放せない。
目が離せない。
何か「悪いことが」起こらないように。
やってる自覚さえなく
それが当たり前のように
やっていたコト。
どう手放していいのかわからなかった。
でも
たとえ現実がどんなモノでも
そのまったく同じ現実のままで
それを心地よく、ポジティブに
変換する方法を
ソロモンは教えてくれる。
すごくうまい。
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きっと、少し前の私だったら
出来事を無理やり
ポジティブに解釈するというのは
逃げだと思っていた。
ポジティブな面だけ見て
ネガティブな面を見ない
ということは
片手落ちだと思ってきた。
「ないことにしている」
だと思ってきた。
でも、これには
二つのパターンがある。
①ポジティブぶりっこ
=ネガティブを感じまくっているのに
ないことにしている(避けている)
②ポジディブ変換
=ネガティブを受け止め
意識的に解釈を変えて
気分いいものにフォーカスする
私は
ポジティブぶりっこ出身で
苦しくなり
ココロの勉強をして
ネガティブな自分に突っ込んで
それをむしろ
肯定してきた。
そして、気が付いたことがある。
③へつづく