☆ くすり資料館
(附 飛鳥時代からの高取と薬)
奈良県高市郡高取町大字上土佐20-2
(P有)
「薬の町」として最も知られるのは越中富山でしょうか。また卸売問屋街として知られるのは東京日本橋本町や、大阪の道修町(どしょうまち)が有名なところでしょうか。
あまり全国的な知名度は高くないものの、大和の高市郡「高取町」もその一つ。
「日本書紀」にその起源が当地に遡ることが記され、名だたる製薬会社の発祥が、高取町及び周辺地域であったりもします。
佐藤薬品、大同薬品、大峰堂、三光丸…等々。宇陀の方はロート製薬、津村順天堂、藤沢薬品(アステラス製薬)、笹岡薬品…等々とさらに有名どころがあるのですが。
奈良県のあまりに稚拙な観光PRであるため、知名度が上がっていないだけ。都があった場所ですし、日本初なんていうのはありふれてはいるのですが。総理大臣を輩出したことですし、奈良の魅力を相応なレベルに宣伝して頂きたいものです。日本人に対して。
「高取」の薬の起源は飛鳥時代に遡ります。推古天皇廿年(612年)紀に「夏五月五日 薬猟をして羽田に集まり列を連ねて朝廷へと向かった」とあります。
「羽田」とは高市郡「波多郷」のこと。そこには「式内大社
波多甕井神社」が鎮座し、おそらくこの周辺で薬猟が行われたのであろうとされます。
この地は波多
(羽田)氏が拠点としていました。武内宿禰の子である波多八代宿禰を祖とする氏族。氏神は「波多郷冬野村」の
波多神社とされます。
平安時代の医学書「大同類聚方」に、「志路木薬」を「新羅国鎮明之伝方、波多神社所伝」として記しているとのこと。
察するに波多八代宿禰が朝鮮半島へ派遣されるうちに、製薬技術を持ち帰ったのでないかと。そして良質な薬草を入手できる高市郡「波多郷」を拠点としたのではないかと。
波多氏は高所の山中に鎮座する波多神社から、後に麓の波多甕井神社へと拠点を移し、鎮守社としたのであろうかと思われます。
大和にはオオバク(キハダ)やゲンノショウコ・ジュウヤク・カッコンなどの類も野山に多くありました。
飛鳥時代に東漢氏(ヤマトノアヤウジ)が薬草を伝えたと伝承されています。なお東漢氏の阿知使主(アチノオミ)の裔という坂上氏(坂上田村麻呂等を輩出)が当地を拠点としました。一族が奉斎したのが「下土佐」の國府神社や「勧覚寺」の高皇産霊神社(勧覚寺)。高皇産霊神社の背後の山には坂上田村麻呂の屋敷があったと伝わります。
また高取周辺では薬種栽培も盛んで、大深当帰・清水当帰として知られる当帰や貝母、牡丹など現在に至るまで作られています。
やがて秘伝の処方との合薬により家伝薬が作られ、それが修験道者により全国に広まったようです。
江戸時代中頃には「大和売薬」が興ります。これは日本全国に広がる「配置売薬」。家庭を訪問し薬を置き、使用された分だけ代金を集めるシステム。私の幼少時もこれが主流でした。
「伊勢街道」沿いから始まり全国へと販路拡大を図るも、先行していた「富山売薬」に圧倒的な差を付けられ、市場は近畿一円に留まっていました。
転機が訪れたのは明治になってから。「高取売薬」をリードする三光丸製薬が独自の組織体を作り上げて対抗しました。明治政府による「売薬」業界弾圧に耐えつつ「富山売薬」「高取売薬」は成長したようです。
現在はスーパーでも薬が販売できるようになり、ドラッグストアもあちらこちらにできていますが、今なおそれらが近郊に無い山間部の過疎集落では、昔からの売薬が重宝されているようです。
なお高取には日本三大山城の一つ「高取城」がありました。製薬会社を営んだ人たちは武士出身者が多かったようです。

こちらが「くすり資料館」。

街道沿いには観光案内所(お土産販売も)「夢想館」があり、この奥に資料館があります。元呉服商であったとのこと。

向かって右が「夢想館」、左が「くすり資料館」。城下町風情の建物。



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