[常陸国] 大甕神社 (*画像はWikiより)



■表記
*紀 … (星神)香香背男命・天香香背男・天津甕星
*記 … (記載無し)

*「先代旧事本紀」天神本祇 … 天背男命・天世乎命、天津甕星、天香香背男

*大甕神社 … 甕星香々背男命
*他に加賀背男命
*天背男命・阿麻乃西乎乃命(何れも「新撰姓氏録」)を同神とする説も


■概要
神話に登場する「星神」。ヤマト王権に最後まで服従しなかった神とされ、高天原に坐す「悪神」とも、葦原中国にいる「まつろわぬ神」とも。

◎紀には2ヶ所に登場するも、記には登場しません。一般に天香香背男命や天津甕星と同神とされます。
*巻第二 第九段本文
━━「一云」(一説によるとの意)として武甕槌命と経津主命が星神 香香背男を除き葦原中国を平定した。そこで倭文神(しどりがみ) 建葉槌命を遣わして二神は天に登った━━(大意)
*巻二 第九段一書(二)
━━経津主命と武甕槌命が葦原中国へ派遣される際、天にいる天津甕星、別名 天香香背男命という悪神がいるので、これを誅してから葦原中国へ降りたいと言った━━(大意)

◎紀の記述に於いての留意点が二つあろうかと思います。
先ず本文では国津神として描かれ、一書では高天原に坐す天津神として描かれています。本文では「不服者(うべなはぬもの)」、一書では「悪神」と比較的似た記述。本文は「星神」であるとし、一書では別名「天津甕星」としています。天津神と国津神の違いはあるものの、総体的には性質は「悪神」であり「星神」であると記されます。
もう一点は天津甕星(天香香背男命)を「誅してから…」と記してはいるものの、実際に「誅した」「争った」などとは記載されていない点。記述が無いだけで実際は「誅伐」されていたのか、或いは「懐柔」であっのか(後述します)


◎常陸国一ノ宮である鹿島神宮や、同国の式内名神大社である静神社(ともに未参拝)の社伝に於いては、武甕槌命は「香島」(後に「鹿島」)に降ったとし、天香香背男命は「大甕」を根拠地に。派遣された建葉槌命は「静」に陣を構えて対峙したと伝えています。
また同国内の大甕神社は、甕星香々背男命が「大甕山」(現在の「風神山」)に居を構え東国を支配していたと伝えています。

◎「星」を神格化した神は稀有な存在。「まつろわぬ神」と表されたのは、星神を信仰していた部族がヤマト王権になかなか服従しなかったことを表しているのではないかとされます。


◎名義については「天津甕星」と「天香香背男」とで別個に見る必要があろうかと思います。

*天津甕星

「天」+「津」(助詞「の」)+「甕」+「星」に細分。「甕」は先ず「厳(いか)」に由来するもの、つまり強くて厳めしいと捉え、「甕星」で「勢い盛んな(神威の大きな)星」説が一つ。今一つはいわゆる「甕」という大きな容器として、「甕星」で「甕のように大きな器」とする説があります。

*天香香背男

「香香」は「輝く」の意義の「カカ」、「輝く」や「勢い盛んな」の意義の「赫(カク)」、「光り輝く」の「灼(カカ)」等が考えられ、いずれも「輝く」といった意義。

「背男」は「佐衣(さえ)」で「晴明き(さえあかき)」意義とするのは(平田篤胤「古史伝」)。他に「兄男」の意義、「背」を「星」の「シ」の音便とする、「小男(せお)」、「背」を「男」とし「男」が並ぶことで「指導的な役割を果たす年長の男性」の意義、この神を「流星」を神格している化した神として「背」を「急流」とみなす…などの見解が見られます。


◎「星」について具体的にどの星を指すのか、古来より様々に語られています。以下簡潔に箇条書きにて。

*「金星」 … 平田篤胤「古史伝」、武田祐吉「日本古典全書 日本書紀」、野尻抱影「星の神話伝説集成」、勝俣隆「天津甕星の解釈について」

*「シリウス」(天狼星) … 野尻抱影「星の神話伝説集成」(第二説)

*「火星」 … 柴山久美子「記紀に表われる星~美須麻流の珠と天津甕星~」

*「妖星」(彗星、流星)・「天狗星」(巨大流星) … 谷川士清「日本書紀通証」
*特定の星としない … 日本古典文学大系「日本書紀」、上田正昭「日本神話」
特定するのは困難であり様々に解釈されています。最も知られるのが平田篤胤が「古史伝」にて述懐した「金星」であり、その支持者も多いのが実状。勝俣隆氏(神話解釈と星座神話等の研究者)は天文学上の各星の光度データを示し、また続記の記述が最も多い「金星」とする見解を示しています。「流星」とする見解は、天降った星の神というもの。
当ブログでは特定はせぬものの、永遠に輝き続ける「金星」とするには紀の記述と噛み合わず、朧気ながらも「流星」がその記述にしっくりとくるように感じています。

◎この神がなぜ「まつろわぬ神」「悪神」と揶揄されたのか。これについて勝俣隆氏は、光度の最も強い「金星」が星の中で最初に姿を見せ、最後まで輝き続けていること、つまり最後に去る星であること、倭文神である建葉槌命が織物で暗闇を覆って明けの明星(金星)から光輝を奪い服従させたとも考えられること、中国の「陰陽五行説」では「金星」は臣が君を損うという凶兆とされていたといったこと等を理由として挙げています。

◎出自は不明、「天津神」と「国津神」のどちらであるのかも不明。紀では高天原に坐す神とも、常陸国の土着の神とも捉えることが可能。「天津」とあれば通常は「天津神」ですが、単に天にある星という意義で用いられたということになります。


◎「新撰姓氏録」には「山城国 神別 天神 今木連 神魂命五世孫阿麻乃西乎乃命之後也」との記載があります。「阿麻乃西乎乃命」は神名の類似から、やはり天香香背男命と同神でしょうか。そうすると高天原に坐したかどうかは別として、天津神ということとなります。

ただし今木氏は阿知使主(アチノオミ)を祖とする百済出身の渡来系氏族として大和国南部に蟠居していました。この氏族と今木連が同族であるなら、天神ではなく、祖神を神魂命に仮冒したと考えられます。なお桓武天皇の母の高野新笠は今木氏の裔。


◎「安房国忌部家系」所収の「齋部宿祢本系帳」には、天羽雷雄命は天背男命の孫として記載されています。天羽雷雄命は建葉槌命のこと、天背男命は天香香背男命のことと思われます。留意されるのは「一云 天石門別命」とあること。容易には受け入れ難いものの、もしこれが史実であるとするなら、天香香背男命は孫の建葉槌命により「懐柔」されたとも考えられます。

「齋部宿祢本系帳」 (「国立国会図書館」データベースより写本の当該箇所をスクショ)



◎常陸国内の大甕神社や静神社を始め多くの神社の所伝では、天香香背男命は建葉槌命に「誅殺」平定されたことになっています。どうやらこれが真相ではないかというのが現在の感触。

◎建葉槌命(天羽雷雄命)は倭文氏の遠祖とされます。拠点は全国に散在。総本宮とみられるのは伯耆国一ノ宮の倭文神社(記事未作成)。こちらを始めとして倭文氏と悉く拠点が重複しているのが鳥取氏。倭文氏は文字通り「倭文」という織物を製作する部民を率いた氏族のことですが、製鉄鍛冶氏族とされる鳥取氏と関連することによるものか、倭文氏も古代製鉄地に多く分布するように思われます。

また忌部氏とも関わる地が多く見受けられます。そういったことからも「齋部宿祢本系帳」の系図を無視し難いとも考えてはいます。


◎天津甕星(天香香背男命)を祀る社は全国的にみられるものの、圧倒的に常陸国が多く、やはり根拠地としていたものと思われます。次いで多いのが下野国。支配地はそこまで広がっていたのでしょうか。下野国では「星宮神社」及び類似社名で6~7社ほど見受けられます。

この社名及び類似社名で、尾張国には2社(山田郡の星神社・愛智郡の星宮社)みられます。中嶋郡に鎮座する尾張大國魂神社の「国府宮神記」には、天背男命の裔である中島直(尾張中嶋海部直)が奉斎したとあります。また同じ中嶋郡の久多神社(未参拝)も天背男命を祀っています。隣国の参河国幡豆郡の富田神社(未参拝)も合祀神として天香香背男命を祀ります。
さらに美濃国にも「星神社」及び類似社名社が4社ほど、それ以外にも天香香背男命を祀る社が2社ほどみられます。中島氏が美濃国から尾張国へと拠点を遷したと考えることが可能かと思われます。


■祀られる神社(参拝済み社のみ)
[尾張国山田郡] 星神社

[尾張国愛智郡] 星宮社
[伊賀国] 穴石神社(合祀)

[伊賀国] 陽夫多神社(合祀)

[伊賀国] 植木神社(配祀)

[丹後国與謝郡] 長宮神社

*相当数の漏れがあると思われます、発見次第追加修正します。

*関連社等(参拝済み社のみ)



[尾張国愛智郡] 星宮社




*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。