◎ 石上神宮 「御本殿と禁足地」特別参拝
(令和六年 9月23日)




まさかこんな日がくるとは…。

明治七年に禁足地内の発掘をしたところ、ホントに土の中から出てきた伝説の御神体の神剣。

その顕現150周年を記念して企画された、「御本殿と禁足地」特別参拝。

まさかまさかの夢のような企画を知り、もちろん喜び勇んで参拝へ。




3世紀~4世紀初頭頃でしょうか。
(卑弥呼が没して間もない頃とした方が分かりよい?)

石上神宮とは…

第10代崇神天皇七年、饒速日命六世孫とされる伊香色雄命(イカガシコオノミコト)が勅命により「布都御魂大神」を「布留高庭」に埋めて遷し奉ったのを創祀とする社。

その後、第11代垂仁天皇皇子である五十瓊敷入彦命(イニシキイリヒコ)が、勅命により「大刀一千口」を作り石上神宮の「神庫(ほくら)」に納め、その神宝管理をしていました。
ところが老化のため饒速日命七世孫の物部十千根命がこれを継承。「物部」姓を賜り宮司になったとされます。

御神体は「布都御魂大神」。
これは大国主命に国譲りを迫った武甕槌命が携えていたという神剣。

神武東征神話に於いては、皇軍が邪神の毒気で倒れていたところに、天照大神の命で高倉下命(タカクラジノミコト)を介して授けられ、眠りを覚まし復活させたとあります。





「布留高庭」とは…

楼門を潜り…現れる拝殿のその裏側。
剣先状の石製瑞垣で囲われ、以降「禁足地」として扱われてきました。神職ですらも滅多に入ることができない場所。

こんなところです。
↓↓↓

(イベント用パンフから)



ところが明治六年に当社大宮司であった菅政友が、「禁足地」発掘を政府に依頼し許可が下りました。そして翌七年に発掘調査が開始…

出た!

ホンマにあった!

単なる伝説ではなかったんや!

ホントに「布都御魂剣」が出たのでした。
他にも神鏡や勾玉等が出土。つまり「剣・鏡・勾玉」の3セット。神話の世界が、実は現実の世界であったことが裏付けられた瞬間。

(イベント用パンフから)




菅政友は御神体「布都御魂剣」を鎮める場所が必要であると考え、御本殿を建てることを決意。「禁足地」が後方に広げられ、御本殿が大正二年までかかり完成したとのこと。

御本殿建築の際にはさらに、饒速日命が携え降臨したという十種神宝(とくさのかむたから)の一つ「布留御魂剣」、スサノオ神が八岐大蛇(やまたのおろち)を斬ったという「十握剣」(とつかのつるぎ、布都斯御魂大神)も出土しています。

(イベント用パンフから)




いや…まさか
これらを拝められるとは…。

生きてて良かった!




いつもの楼門を潜らずに拝殿瑞垣のサイドから特別な通路へ。

もちろんここからは撮影禁止!!!

上に示した石上神宮 公式サイトの写真の奥の方に見える石階段の先が開かれ、「布留高庭」を遥拝することができました。
またもちろんお目にかかれない御本殿や神庫(ほくら)までも。

「禁足地」周囲をぐるりと巡ったわけですが、総勢5~6人のボランティアガイドが各々に「禁足地」のこと、「布留高庭」のこと、御神体を含めた神剣のことなど異なるテーマで、親切丁寧なご説明を下さいました。


拝殿(過去に撮影した写真です)



前日は初日で雨も降っていなかったからか、二千人も訪れたようです。


この日で良かった~





境内で仮説店舗を設けておられた

「ゐざさ寿司」さんの柿の葉寿司等のセットを頂き…


興奮冷めやらぬまま…

(表向きはクールに振る舞ってたが…)






石上神宮の始源にも関わるとみられる

石上神社桃尾の滝へ。




それでも収まらず

物部十千根命のものとみられる西山古墳へ。






「禁足地」発掘や御本殿建築には、未だに非難する意見も多くありますが…


今のご時世ですし、こういうことがあってもいいのではないかと思います。


神というものにより近く接する…

(尊大なる大神に接し申し上げる…)

そういうことでより神への崇敬心が高まるのであれば。


次回は50年後かな?
さすがに私も神となってますが。