意布伎神社 (京丹後市久美浜町三分)


丹後国熊野郡
京都府京丹後市久美浜町三分
(登記は「三分」までで番地無し)
(P有、参道は西側より、Pは南側)

■延喜式神名帳
意布伎神社の論社

■旧社格
村社

■祭神

「佐濃谷川」下流の右岸、川沿いの谷地の小集落、久美浜町「三分(さんぶ)」に鎮座する社。旧「田村」であったとされるようです。人口は138人40世帯(令和二年国勢調査)の過疎地。「熊野郡誌」によれば、往古は海面が入り込んでいたと伝えています。
◎創建は垂仁天皇の御宇、丹波道主命によると伝えられています。久美浜町「油池(ゆいけ)」に鎮座する同名の意布伎神社が中世の戦禍により焼失、移転したという言い伝えがあるようですが、古文書を消失しており確証するのは困難であると「熊野郡誌」はしています。
◎これとは別に「油池」の意布伎神社が焼失後、「油池」と「田村」(当社のこと)の2社が再建されたというものも。また当社も天正四年(1576年)に大火で焼失したと伝わります。

◎現在のご祭神は祓戸四神の一柱、気吹戸主神。水神と見るのか風神と見るのか意見が別れるところですが、産鉄鍛冶氏族が奉斎した社とするなら風神と見るべきなのでしょうか。

或いは「三分」を「みぶ(壬生)」からの転訛と解して、「丹砂」(水銀)の採掘が行われたのでしょうか。南方には「女布(にょう)」という「丹生(にふ)」という「丹砂」採掘を示唆する地名が残ります(後ほど賣布神社にて取り上げます)

◎全国に見られる「イブキ社」は尾張氏(海部氏と同族)系の伊福部氏が奉斎した社。銅を採鉱していたものの、その技術を鉄の採鉱にも受け継いだと見られる氏族。鉄・銅を求め全国に移住しましたが、美濃国の伊富岐神社を始め「伊吹山」麓に多数鎮座しています。当地に於いても鉄または銅を採掘していたと思われます。

祖神は天火明命またはその子の天香山命。本来のご祭神であろうと思われます。

◎久美浜町「湊宮」にも同名の意布伎神社が鎮座、久美浜町「三原」には伊吹神社が鎮座(未参拝)。海部氏の拠点であった但馬国にも多くの伊福部氏系の社が鎮座します。


社前道路(境内西側)。駐車場へはこの先を左折したところに。

赤い車の見えるところが駐車場。



以下、境内社。



ご祭神は猿田彦命。



丹後の特に熊野郡に多く見られるもの。

五角形であともう一柱は大己貴命。



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