☆ しわ榎 (浦島太郎 屋敷跡)
丹後国竹野郡
京都府京丹後市網野町網野
(網野銚子山古墳の墓域内)
(アクセス、駐車は下部写真参照)
浦島太郎の伝承地は全国各地に見られますが、紀にはっきりと記される舞台は、丹後国与謝郡「筒川」。宇良神社(浦嶋神社)が鎮座するなど、多くの伝承史跡等が存在します。
竹野郡「網野村」「浅茂村」(現在は合併し網野町)にも伝承史跡が多くあり、移住があったと思われます。
こちらの「しわ榎」という史跡は、玉手箱を開けて老人になってしまった浦島太郎が、顔にできた皺(しわ)を榎の樹に投げ付けると、木肌も皺になってしまったというもの。
紀には以下が記されています。
━━雄略天皇二十二年七月、丹後国與謝郡管川(筒川)の人、瑞江浦嶋子(ミヅノエウラシマコ)が舟に乗り釣りをしていたところ、大亀を釣り上げた。大亀はたちまち女に姿を変えた。浦嶋子は妻とした。妻に誘われるがままに海に入り蓬莱山へ行き、仙衆(ひじり)を巡り観た。別巻にその物語が在る━━(大意)
「浦島太郎物語」とは若干、内容を異にしますが、これは長い時を経て変化したものと思われます。與謝郡「管川(筒川)」は宇良神社(浦嶋神社)が鎮座する地。
「浦島太郎」の名は瑞江浦嶋子(ミヅノエウラシマコ)。「瑞江」は「海辺に住む」の意、正式には「浦嶋子」。鍛冶氏族である日下部首の後裔であり、祖神は猿田彦大神。宇治土公(ウジトコ、ウジノツチギミ)が直系とされます。鉱脈を求めての移住かもしれません。
【浦嶋児に関連する記事】
◎宮司さんによる浦嶋物語「絵解き」
◎紀の記述
書紀抄録 浦嶋子神話
◎「丹後国風土記」の記述
◎関連社・関連史跡

いくつかアクセスルートはありますが、このルートが一番無難かと思います。農道(砂利道)を通る必要がありますが、私道かもしれません。基本的には車でのアクセスは拒んでいるようにも見受けられました。

当日は駐車場が閉鎖。近隣農家の邪魔にならないよう停め置きました。

浦嶋児がここで玉手箱を開けた時には、既に網野銚子山古墳は築かれていました。

この背後は寛平法皇陵古墳(網野銚子山古墳の陪塚)。



