☆ 釜戸塚古墳 (太子町葉室)



河内国石川郡
大阪府南河内郡太子町葉室
(P有)



■形状
円墳
■全長
径45m
周濠有り
■築造時期
7世紀前半頃
■埋葬施設
横穴式石室
岩屋山石室(岩屋山古墳の石室)の可能性が高い

■出土品
(無し)
■周辺の状況
「二上山」麓の南西丘陵地
葉室古墳群に属し、東方すぐに磯長谷古墳群、南側すぐに一須賀古墳群がある
蘇我氏が根拠地としていた地
■被葬者
(不明)


「王陵の谷」とも称され敏達用明推古孝徳天皇の各天皇陵に聖徳太子御廟が密集する「磯長谷(しながだに)」。その界隈には蘇我氏の「一須賀古墳群」などもあり、古墳が密集する地帯。

広域では「磯長谷古墳群」内、狭域では「葉室古墳群」と称され、「二上山」麓の南西丘陵に位置します。葉室塚古墳石塚古墳などが属する古墳。

規模は径45mとされているものの原形を留めておらず、築造時の大きさは不明。当時の大きさとしては、かつ周濠を伴うものとしては、天皇陵に匹敵するもの。

墳名「釜戸」に関しては2説あるようです。
◎住民たちが釜戸を作るために、墳丘の土を削って用いたから。
◎紀竈門娘(キノカマドノイラツメ)に由来。

太子町春日にある妙見寺という仏教施設の裏山から、「紀朝臣吉継墓誌」が発見されています。詳細地は不明ながら、春日神社の北側ということでしょうか。これまで発見されている全18の墓誌の中でもっとも新しいもの。

紀朝臣吉継は紀広純の娘。光仁天皇・桓武天皇に仕えた側近の女官と考えられます。祖神は紀角(キノツノ、武内宿禰の子)。この時代には当地にまで進出していたということになるのでしょうか。

被葬者は不明。紀吉継とするには時代が乖離。築造時期から判断すると「乙巳の変」の前。蘇我氏系とするのが妥当かと思われます。



進入路はやや細いのでゆっくりと。

東側より(冒頭写真は北西側より)
北側より



*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。