■表記
◎磐鹿六鴈
*紀では磐鹿六鴈(イワカムツカリ)、六鴈臣
*記には記されず
*その他、磐鹿六獦や伊波我牟都加利命など
◎膳臣・高橋氏(概要下部にて)
膳大伴部(カシワテノオオトモベ)、膳臣(カシワテノオミ)、高橋氏、後裔に稚桜部臣


■概要
磐鹿六鴈は料理神として料理人からの崇敬の篤い神。高橋氏(膳臣)の遠祖。

◎景行天皇五十三年の条に、
━━天皇が東国へ巡幸、冬十月に上総国に到着。海路から淡水門を渡る際に覚賀鳥(ミサゴの古名、鷹の一種)の声を聞いた。姿を見たいと思い沖へ出たところ白蛤を得た。この時に膳臣(カシワテノオミ)の遠祖の磐鹿六鴈が蒲の穂を襷にして、白蛤を膾(なます)にして献上した。その功により六鴈は膳大伴部(カシワテノオオトモベ)の姓を賜った(大意)━━とあります。

◎一方で「高橋氏文」逸文(*)という書には、
━━景行天皇五十三年十月、天皇が上総国安房浮島宮に至った時、磐鹿六獦命は皇后よりカクカクと鳴く鳥を捕らるよう命じられるも果たせなかった。ところが堅魚(鰹のこと)と白蛤を得たので皇后に捧げると、天皇に献上するよう命じられる。そこで六獦命は无邪志(武蔵)国造上祖の大多毛比(オオタモヒ)、知々夫(秩父)国造上祖の天上腹(アメノウワハル)と天下腹(アメノシタハル)らを呼び寄せ、「膾(なます)・煮物・焼物」を作って献上。天皇はこれを誉め、永く御食を供進するように命じた。また六獦命に大刀を授け、大伴部を与えた(大意)━━と。

*「高橋氏文」
ともに天皇の御膳に奉仕した高橋氏と、海人族で海産物の貢納をした阿曇氏(アズミノウジ)。勢力争いのもと、高橋氏古来の伝承を朝廷に奏上した延暦八年(789年)の家記が原本とみなされる。現在は逸文が残るのみ。

◎この2点の記述において内容の大差は認められず、紀の記述を「高橋氏文」にて補足・補完したようにも見受けられます。さらに「高橋氏文」逸文には、
━━景行天皇七十二年に六鴈命が病死すると天皇は大いに悲しみ、準親王式の葬を賜り宣命使として藤河別命と武男心命(武内宿禰の父)を派遣した。そして六鴈命を宮中の食膳を司る膳職に祀るとともに、子孫を膳職の長官および上総国・安房国の長と定め、和加佐(若狭)国は永らく子孫が領する国として授けた━━と。
磐鹿六鴈に対しての景行天皇の尋常ではない寵愛ぶりが見て取れます。

◎上総国はアワビの貢進地として重要視されていました。そして名神大社 安房神社(未参拝)を御饌津神として奉斎。また南房総市の高家神社(たかべじんじゃ、未参拝)も、後裔が移住し氏神として奉斎したとされます。こちらは著名な料理人や醤油醸造業者などにより崇敬される神社として知られるところ。

◎一方で若狭国においては高橋氏の痕跡は少々稀薄気味。若狭国は海産物の貢進国として知られる「御食国(みけつくに)」。8世紀以降は高橋氏が国司を歴任、それ以前も支配者であったとされます。若狭町の「膳部山」周辺が根拠地であったとされ、周辺には古墳も多数あるとのこと(現地未確認)

◎ところが神護景雲二年(768年)、それまで瀬戸内を拠点としていた阿曇氏が若狭国守に任命。これには道鏡の思惑が絡んでいるという説も。これが両氏の権力争いの発端に。
またこちらも「御食国」として名高い志摩国も、高橋氏が国司を世襲しています。

◎履中天皇二年には、新たに築造された「磐余池(いわれのいけ)」で遊宴を行った時に、天皇に酒を献じたのが膳余磯(カシワテノアレシ)。この時に盃に舞い落ちた季節外れの桜の花びらの美しい話があり、稚桜部の姓を賜っています(→稚桜神社若桜神社の記事参照)

◎「新撰姓氏録」においては、天武天皇十二年に六鴈命十二世孫の国益が、高橋朝臣姓に改賜姓されたと記されます。


■系譜
磐鹿六鴈命は孝元天皇の御子で四道将軍の一人でもある大彦命の孫。父は大稲腰命。

◎膳大伴部(膳大伴部直)が安房国造や武蔵国造に見られます。一方で若狭国では膳臣。

◎安倍朝臣(大和国十市郡を拠点とする)と同族とも。氏神である式内名神大社 高屋安倍神社はかつて、若桜神社のすぐ隣に鎮座(現在は若桜神社に合祀)大彦命の長子が武渟川別命(こちらも四道将軍の一人)、次男が大稲腰命(間に御真津比売命がいる)武渟川別命の裔が安倍氏、大稲腰命の裔が膳臣。

◎日本最古の杜氏と言われる高橋活日命は、異なる高橋氏とするのが通説であるものの、同系統とする説も(→ 大神神社境内摂社 活日神社の記事参照)


■祀られる社(*参拝済み社のみ)
[大和国添上郡] 高橋神社(奈良市八条) … 高橋氏の氏神
[大和国十市郡] 若桜神社

*境内社等
[美濃国] 金神社 境内社 金高椅神社


*関連社
[若狭国] 佐伎治神社

[大和国十市郡] 稚桜神社
[大和国城上郡] 活日神社(大神神社境内摂社)
[紀伊国名草郡] 高橋神社