八咫烏神社 (熊野速玉大社 境内末社)
建角身命
◎かつては「丹鶴山麓」に古くから末社として奉祀されていたと伝わります。「丹鶴山麓」とは東方400~500m辺りにあった、新宮市街を東西に分断する南北に連なる丘陵地帯のこと。ちょうど「蓬莱山」を御神体とする阿須賀神社との中間辺り。ほとんどが掘削され、現在は北端に新宮城跡が高台に残っています。昭和三十七年の遷座ということから、「丹鶴山麓」掘削の際の遷座ということでしょうか。神武東征時において、「天ノ磐盾」(ゴトビキ岩に比定される)に登る前後にゆかりのあった場所だったのかもしれません。
◎御祭神の建角身命(タケツヌミノミコト)は「新撰姓氏録」には高皇産霊尊の曾孫とあります。そして八咫烏は建角身命の化身であると記載。
八咫烏は神武東征の際に、高皇産霊尊(記では天照大神)により遣わされ、熊野国から大和国までの道案内をしたと記紀神話に記される神。
◎八咫烏は「ミサキ神」として捉えられました。死霊が鎮められたもの、神使として熊野のシンボルとなりました。
「熊野信仰」とともに八咫烏が描かれた「熊野牛王神符」(牛王宝印)が広まりました。鎌倉時代になると神符は「誓約書」となり、江戸時代には「起請文」の代わりとなったようです。

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